銀鼠いろの空。
もうじき7月。
夏の百合の季節。これも紫陽花ほどはなやかではないけれど、ふと気がつくと、あちこちに、ぽかっと咲いている。
風に揺れるから、「ゆり」という名前がついたそう。
ゆらゆらと揺れる姿が、ほかの草花にましてきわだってきれいに見えた、ということだろうか。
海に降る雨。
それだけのことなのに、不思議。
それもメリーベルの台詞だった。単純なことがふしぎ。
さかもと未明さん、ブログにわたしのことを書いてくださった。
多忙なスケジュールなのに……。たくさんの言葉。
さっき訪問して一読、あまりに過分な賛辞、とまどう。
いろいろと至らないこと、自分がいちばんよく知っている。
「雪の会」では、わたしの宮沢賢治への想いだけが演出かもしれない。
青い幻想。
ストーリイがあるようでないような。
この作品にゆたかに溢れるゆらめく光を、声で表現できるかどうかと。
いっときの夢ものがたり。
ありがとう、未明さん。あなたといつかコラボレーションしたいです。
歌誌『玲瓏』70号がとどいた。
早朝のミサのあと、そのまま職場のミーティングへ。
教会を出たときには陽射しがほのめいていたのに、会議中からほぼ土砂降り。
レインコートの準備もなく、なんとか傘だけでしのぐ。
このごろ自分の歌について、また迷い始めたみたい。
言葉の技巧を凝らして、現実ではない言語空間に遊ぶ。
それはたのしい「遊び」「タマフリ」だったし、今も。
そのいっぽうで、主情をくきやかに詠いとる抒情表現でもありたいと願う。
歌誌掲載の自作をもういちど眺めて、おもうこといろいろ。
無理しているかも。
心はさまざまに揺れて、歌に対する姿勢も視線も、今はまた違った景色のなか。
お名前をあげていいものかどうか迷うけれど……、
『玲瓏』の誌面のなかでしか存じ上げない、梶尾操さんという方の作品にひかれる。歌、というよりきっちり彫り上げられた「作品」という印象。
女性だろうか、男性だろうか。どんな方だろう?
才気と抒情。古典和歌の巧緻な技巧……。
帰り道、沙羅を発見。
思わずみとれた。
そのきよらげな、すがた。
はなびらの薄さ、繊細が、この蒸し暑さを忘れさせてくれる。
和泉式部の歌を思い出した。
つくづくと空ぞ見らるる想ふひと天降り来むものならなくに
たぶん、こんな歌だったと想う。
じっとりと大気が重い。
雨霧が海からじわじわと、まるで生き物のようにしろく這いのぼる夕暮れ。
霧の中でぱらぱら雨が降り始め……
湯上りのころにはベランダに飛沫をあげて大雨。
こわばった背中にシャワーをたたきつけ。
首筋から肩にかけて、軽くなった気がした。
ふわっと疲れが抜ける。
雨音。すこしおだやかになる。
どこかで水鶏の声が聞こえる。