市の星月夜日記

織江市の短歌、エッセイ

あるがままに陽射しを浴びぬ疚しさを背すじは持たずしなやかにして

2008-10-13 13:21:49 | Weblog


 午後に。


 この社会のなかで、つつがなく在ることが、じつは貴重なのだと思う。


 それにしても、いつも思うのは「部分」で「全体」を判断されるのはいやだなあ、ということ。


 わたし自身、それはいましめていること。


 わたしの歌は、わたしのこころのなかで、たぶんいちばんきれいなものだし、そうありたい。

 かなしみやくるしさを吐露するときでも、歌の調べにのせてつむぎだすとき、詠ったわたし自身、癒される。

 
 

 

 何があったわけでもない。白蓮さんのことなど思いめぐらして、ふと思った。


 その時代、周囲から「莫連女」とまで非難され、叩かれた彼女のこころを、いったい誰が率直に汲み取ることをしたろうか?


 しんどかったろう。

 いま、後世のわたしたちは、うつくしい彼女のおもかげと歌をめでることができるけれど。


 『紫式部日記』にも、そんなことが書いてあったっけ。












 

 
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