午後に。
この社会のなかで、つつがなく在ることが、じつは貴重なのだと思う。
それにしても、いつも思うのは「部分」で「全体」を判断されるのはいやだなあ、ということ。
わたし自身、それはいましめていること。
わたしの歌は、わたしのこころのなかで、たぶんいちばんきれいなものだし、そうありたい。
かなしみやくるしさを吐露するときでも、歌の調べにのせてつむぎだすとき、詠ったわたし自身、癒される。
何があったわけでもない。白蓮さんのことなど思いめぐらして、ふと思った。
その時代、周囲から「莫連女」とまで非難され、叩かれた彼女のこころを、いったい誰が率直に汲み取ることをしたろうか?
しんどかったろう。
いま、後世のわたしたちは、うつくしい彼女のおもかげと歌をめでることができるけれど。
『紫式部日記』にも、そんなことが書いてあったっけ。