SFちっくな歌になってしまった
このごろ、夜空を見上げると、大気が澄みとおって月星のひかりがさやか。
オリオンも昇る季節。
シャルケンを終えて、ほっと。
語りとチェロ演奏をすべてソロで演じるのは最初の試みだった。
お稽古や舞台は日常の業務同様、一生懸命、ベストを尽くす、それはあたりまえのこと。
そのいっぽうで、お客様の入りは、どうなるかなあ…と、心配だったけれど、予想以上にお出でいただいて、うれしかったし、びっくりした。
中でも、去年に続いて、ケアワークでの先輩方がさらに何人もお越しくださり、ちょっと、どぎまぎ。
楽しんでいただけたらうれしい。
ふだん、日常と、非日常の境界のけじめは付けて働いているいるつもりだけれど、傍目には違和感もさぞ、と察してきた。
歌や演奏、お芝居にたずさわっているから、業務が鈍い、などと評価されたくない。
ひとりよがりでなく、ちゃんと結果が出せる「一生懸命」を続けたいと思っている。
二日め、椿さんの演奏を聴きながら語り、夢のような気持ちがした。
たぶん、ここにいるほとんどの方がご存知ではないけれど、彼は、数年前に、事故で左手に重症を負い、チェリストとして再起があやぶまれた。じっさい、もう演奏不可能だろうと、みんな思ったはずだ。
でも、不屈の精神と忍耐、努力で復活し、そんなこと微塵も感じさせない芸を披露し続けている。
わたしは、芝居が終わったあと、すこしおしゃべりして、そのことに触れたかったけれど、椿さんに気兼ねして言えなかった。
椿さんは、そういう話題の吹聴を嫌うので。
わたしには、でも、自慢ではないし、贔屓目ではないし、遠方からわざわざお越しいただいた方に、そういう「強靭な意志」の音色を聞いていただいた、とお伝えしたくもあった。
椿さんの発する「不屈のエナジー」を。もしかしたら、お聴きになった方の「元気の素」になるかもしれないから。
椿さんのかたわらで語りながら、わたしは、時のへだたりの遠さを、思った。
今のわたしにあるべき心のスタンスを測りながら、一瞬ごとの音を聴き、声を紡いだ。
椿さんの周囲には、相変わらず、女性、ことにあたらしい若い世代のお弟子さんたちが、また集まっている。
距離を置いて、わたしはそういう方たちを、曇りのないまなざしで眺めている。
この歌は光瀬龍さんの「百億の昼と千億の夜」のヒロインから(古い?
萩尾さんの漫画もよかった。もっと長編で連載して欲しかったなあ。
よしなしごと、ながながと。
読んでくださってありがとう。御不快になりませんよう。
ネット上で、雪香さんの短歌に出あい、心ひかれ、愛読させていただいていた者です。
ブログで雪香さんがお芝居をなさることを知り、伺いました。
雪香さんの変幻自在な語り口、柔らかく動く指先、そしてそっと寄り添う椿さんのチェロの音色…時を忘れ、堪能いたしました。
これからも益々のご活躍を…。
秋の一日、贅沢な時間をありがとうございました。
いつもながら、ご挨拶もせずにすみません。
すてきでした。
回りの席からもすすり泣きが…。
椿先生の不屈のエナジー。
御自分ではしきりに、『よろずいい加減で』という言い方をされるけど、
本当は人並みはずれた強靭な精神の持ち主なんですよね。
そうでなきゃ、あれだけの芸と技、
それで生き抜いてきたこと、有り得ない。
確かに、普通のことに無頓着なところはありますけれど!チャーミング!
あらゆることを学ばせていただいています。
こちらこそ長々と失礼しました。
けど、雪香さんの長めの文章は、
みなさん読みたいと思います!
ありがとうございます。楽しんでいただいて、うれしいです
椿さんのチェロは、このごろは、もうあまり演奏されないベル・エポックのころのマズルカでした。
また、いつか、どこかでお会いしたときは、きがるに声をかけてくださいな
のりんごさんの「自分探し」に、椿さんからの学びが、役立ってくれるといいな、と思います。
「シャルケン画伯」は、我ながら語っていて、「なんだかこの悪魔、ちょっとかわいそう」なんて思っていました。だって、暴力も何もなく、少女をさらってゆくより他、別になぁんにもしないんですから。
終始、ただ、こわい顔で坐っているだけ。そうしてローゼといっしょになりたいあまりに、ちゃんと大金をはらっているし。きっと無理やり人間に化けて出たので、怖い貌になってしまったんだろう、と思います。
もっと化けるのが上手だったら、ローゼもあんなに怖がらなかっただろうに、なんてネ