市の星月夜日記

織江市の短歌、エッセイ

言霊の結晶蒼き海のかなた祈り空満つ  まほろばありや

2008-01-13 21:34:38 | Weblog
 
 由比ガ浜沿い、車窓から海をながめて。

 病に倒れたひとがいます。

 彼のために、家族のために、祈る。

 ごく自然に。

 やすらかに、と。


 海は、あかるい青灰色。水平線は青緑。

 かなたには群青の大島の影。

 海と空と同じいろ。流れる雲の縁に、微かに浮かんだ茜の薔薇色。

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少女漕ぐ鉄のブランコ青々(せいせい)と風切羽(きりは)鳴らして冬空翔べり

2008-01-13 19:58:20 | Weblog
外出の途中、小高い丘の公園で、十歳くらいの女の子ふたり、この寒空にブランコ遊びをしていました。

底冷えして寒い曇り日。風とおしのよすぎる公園は、設けられてから日が浅いので、周囲の植え込みなども、わびしくちいさい。北風は無遠慮に吹き抜け、肩をすくめて歩くわたしの視界に、女の子たちの屈託のない話し声と、ブランコ遊びの情景は、新鮮で小さな驚きをくれました。

こどもは風の子。

彼女たちはほがらかにわらいながら、思い切りブランコを漕ぎあげ、この丘の高みを吹く風と、ブランコの風切る音とがないまぜになって……

彼女たちが呼吸している風のつめたさ、快さは、鳥の楽しみのように思えて。

目に映るままに。

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いってきの油したたり落ちるまへキリストならぬ青年芳(かぐは)し

2008-01-13 14:23:01 | Weblog
主日ミサにあずかる。

毎日曜日、ときには土曜の夕方の御ミサは、できるかぎり欠かさない。

祈りの時間、たぶんわたしは放心していることのほうが多いんじゃないかと思う。

神父様のおはなし、心のなかに浮き沈むさまざまな想念と混じりあいながら、勝手気ままに流れてゆく、そのさまは、さながら「唐紅にみづくくるとは……」と和歌にに詠われた小川のよう。

賛美歌を歌うのは大好き。発声練習なしで、いきなり歌いだすから、ところどころ喉がふるえる。でも、気兼ねなくのびのびと歌えるのは、教会でだけです。

賛美歌の旋律も好き。ことに、司祭さまは喉がお丈夫で音程がしっかりしている。朗々と唄われる。

今日の朝ミサでは、成人式を迎えた青年がひとり、神父様から祝福をうけました。

偶然か、今日で教会のクリスマスは終わり。ヨルダン川のほとりでヨハネがキリストに洗礼をさずけた「主の洗礼の日」

神父様の前で、緊張して表情の硬い若者のすがたに、聖別される寸前のイエス様を連想。冒瀆かな?

香油を注がれたのは、ヨルダンのほとりではないけれども、「油壺から抜け出た」聖なる色男だったイエス様に変身する前の、少年イエスを想像してしまいました。

キリスト以前のイエスを伝える一番好きな記述。

イエスが十二歳になったとき、過越の祭りでエルサレムに上り……の最後。

  ……イエスはますます智恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人から愛された。

 神と人から愛された。神からだけではなく、周囲のひとびとからも愛され、すくすくと育つ利発な少年が見えるような気がする。


 キリストでない、ふつうの青年だって、さわやかできどらない素朴な心と姿のほうがわたしは好きです。自意識過剰はね……。




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