まちを歩く ~散歩日記~

カメラを片手に街を歩き、
見たもの、感じた事を綴っていきたいと思います。

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永福町駅

2009-11-11 17:43:36 | 旅行
西永福駅からわずか700mの距離にある永福町駅が今日のメイン。
ここは1度来ているが、その時は大宮八幡宮しか見なかったので、今回はそれ以外の所を良く見てみたい。

永福町駅の出入り口は1つで、すぐ目の前には井の頭通りが通っている。

駅を出て、井の頭通りを渡ると行列の出来るラーメン屋・大勝軒がある。
今日は定休日だったが、前来た時は、13時過ぎにも関わらず、確かに列が出来ていた。



最初は「大勝軒だ!」と感動したけど、最近はそこら中にあるので、有名チェーン店というイメージが強くなってきた。
「スタッフ募集」の張り紙には驚くべき月給の額…。事業拡大とはいえ、味は保とうという姿勢か。すごい。



井の頭通りと垂直に交わる大通りを北へ歩くと、すぐに「郷土博物館」の案内が出てきた。





今日の目当ては何といってもここだ。
蛇場美遺跡の謎を解かなければ(詳しくは前回の日記参照)。

賑やかな通りから左に折れ、案内に沿って細い道を行く。
細い道をずっと歩くと10分ほどで方南通りに出る。もう大宮八幡宮の目の前だ。
しかし、八幡宮には行かず、
大宮八幡宮へ続く道と方南通りの間に伸びる細い道へ入る。新たな「郷土博物館」の案内板が出てきた。



徐々に案内が詳しくなってきた。盛り上がる。

細い道を行くと、途中で大宮八幡宮の大鳥居へと続く道を横切る。大宮八幡宮を見たい方は過去の日記を。



細い道を歩いて5分。杉並区区立郷土博物館に到着。入口は大きな長屋門。



さすがに郷土博物館の中は撮影できないので写真は無いが、面白いのは杉並区の変遷を見られる事。
昭和初期の写真と今の風景を比較するとその変化がわかる。

田んぼに森に川に家。その昔、確かに東京は田舎だった。

杉並区からは多くの遺跡が出土している。それらも展示されていた。
 
さて、遺跡といえば蛇場美遺跡だ。
下高井戸運動場にあったとされる遺跡はなぜ跡形もないのか。

授業の一環として来ている小学生が周りを飛び回る中、資料をあさり、「杉並区区立下高井戸運動場改築造成工事にともなう埋蔵文化財包蔵地の発掘調査(1991)」という資料を見つけた。
この資料は1991年に行った蛇場美遺跡の発掘調査結果をまとめたものだった。

以下、わかった事。

・今の下高井戸運動場付近は古くから、お屋敷山古墳と呼ばれる前方後円墳があったとされていた。
・昭和10年代後半には運動場が造成。
・古墳があったかどうかを調べるために昭和63年、運動場を試掘。施設痕が見つかる。
・試掘の結果から1991年、グラウンドの大々的な発掘調査に踏み切る。しかし、グラウンドを作る際、かなりの深さで削平されており古墳のデータは取れず。ただし、それとは別に土器などの資料検出。
 
つまり、運動場が出来た後に蛇場美遺跡は本格的な採掘をした事になる。
それでは、跡形などあるわけが無い。運動場を掘り起こし、そこを蛇場美遺跡として指定した後、またグラウンドとして埋め立てて使っているのだから。

遺跡をなくして運動場にしたのではなく、運動場を本格調査して蛇場美遺跡としたのである。

もっとも大きな問題は、古くから古墳があったとされる土地になぜあっさりとグラウンドや中学校を作ってしまったのか、という事だ。
昭和10年代の時点では、本格的に調査をするほど確信的な説ではなかったのだろうか。

同書冒頭に富田敬温氏という、グラウンドが出来た当時、史跡などの調査をしていた人の言葉が載っていた。
それによると、
お屋敷山古墳の調査はその頃から行っており、一帯の史跡指定を延長していたのだが、気づいた時にはそこは平らにされ、グラウンドになり、中学校が出来ていた、と悲痛に語っている。
 
どちらにしても、蛇場美遺跡が形として存在しない理由は判明した。

帰り際、明治後半から現在まで、年代ごと杉並区の地図をスクラップしたファイルを見つけた。
昭和10年代の地図を見ると、確かに運動場の地点には明らかなひょうたん型の台地がある。しかし、昭和20年代の地図では、その台地が完全に削られ平地となっていた。

台地を削った時、その土の中には何があったのだろうか。

資料に没頭していたらすっかり遅くなってしまったので、急いで出て、そこからは急ぎ足。
郷土博物館を出たら、永福町駅方面へ向かう。
428号を駅方面に歩くと大宮八幡宮の参道から続く道とぶつかるので東へ。
大宮八幡宮に背を向け歩くとすぐに方南通りへ出る。
途中には「鞍掛の松」と書かれた、高く湾曲した松が1本立っていた。
この松に、源義経が鞍を置いたと伝えられている。



方南通りの大宮八幡宮入口という信号を渡り、駅へと一直線に伸びる通りを歩く。ブティックやらマクドナルドやらがある通りを行くと、永福町の駅に戻ってくる。

線路を渡り、その道をさらに南へ。しばらく歩くと左手に永福稲荷神社。



一般的な神社ではあるが、赤と白の色使いは迫力あり。
そして、脇には4つ、小さな社が並んでいる。それぞれ社名と祭神、御神徳が書かれているので、欲張って全てにしっかりお祈りした。







今来た道(427号)をひたすら歩くと、すぐに神田川が見えてくる。長い今日の散歩もこれで終えようかと思うと、気になる看板が。



「永福自転車集積所」名前から大体の内容は察するが、行ってみる事にした。
すぐに到着。







東京には夥しいほどの放置自転車がある。上北沢辺りから明大前くらいまでの範囲で放置された自転車を、ここに集めて保管していた。
 
少し面白い光景だ。なんて、笑っている場合ではない。井の頭公園もそうだが、自転車はやっかいなゴミ。
この光景にモラルのなさが表れている。


神田川を渡り、今日の散歩は終了。


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