水色の亀

4月の目標:とりあえず、モンゴル完結編!

文章について

2005-07-18 | 語り
前にも一度触れたけど、私は稀に文章を書く。ストーリーとかある文章ね。
と、いうわけで今日はおこがましくもいち書き手として、「文章」についてのお話をば。

さて、映像を切り取る際「絵画」が「写真」に勝てるわけがないのと同様に、情景を切り取る際「文章」が「映画」に勝てるわけがないと私は思う。

しかし画家も作家も、いつの世にも絶えず存在し、絵画を、文字を生み出すことをやめようとはしない。そしてまた大衆はそれを好んで鑑賞する。
それは何故か。私は絵画のプロフェッショナルではないからよくわからないけれど、絵画には写真に写りこまない何かがあるのだと思う。肖像画ならばその人物の人格までも表現することが可能であるように。
では文章は?私は「想像の余地」こそが文章の魅力だと思う。

映画はとても便利で、魅力的な媒体だと思う。
芸術家(この場合演出家)の正に思い描くそのままの世界を、視覚で聴覚で大衆に与えて見せられるのだから。
だが芸術家の感じる「美」が、全ての人にとっての「美」であるとは限らない。「美」に限らずとも、「安寧」であれ「恐怖」であれ、同様にそれらが全て人間にとって普遍的なイメージとして受け入れられることはないのだ。

文章が映画よりも秀でているのは正にここだと思う。細かな描写や映像の切り出しも時には大事だが、そればかりの文章ならば映画にかなうよしもない。
文章には美しいものを「美しい」と表現してしまえる強さが有る。それは作家としてはある場面では逃げともいえるが、受け手の想像力に対してこれほど寛容で、協調的な媒体はそうはないだろう。

私はいち発信者として、映画にはないものを持っている文章を書けたらいいと強く願う。



あい、マジ語りが2回連続ですいませぬ…
これ、元々1000字に無理矢理入れこんで書いた文章だったんで、ここに書いたことが全てではないです。文脈が強引なのもそのせいです。(言い訳)