酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「サニー 永遠の仲間たち」~胸に染みる人生賛歌

2012-07-10 22:47:35 | 映画、ドラマ
 ユーストリームにアップされた広瀬隆氏の講演会を見た知人からメールが届いた。「目からウロコ」、「ずっと騙されていた」、「説得力に驚いた」……。感想は三人三様だが、ノンポリだった彼らを反原発の側に引き寄せられたと思う。ブログで紹介してよかった。

 原発再稼働、オスプレイ配備、TPPと対米隷属まっしぐらの野田政権だが、国民の「NO」の声は燎原の火の如く広がっている。格差と貧困、閉塞感など様々な背景が考えられるが、<健全なナショナリズム>もまた、核のひとつだと思う。環境汚染と子供の被曝は、思想の右左関係なく、人間としての怒りを呼び覚ますからだ。

 山田五十鈴さんが亡くなった。俺がその神髄に触れたのは世紀が変わってからである。日本映画専門チャンネルで放映された「浪華悲歌」(1936年、溝口健二)、「歌行燈」(43年、成瀬巳喜男)など戦前の作品を見て、山田さんが表現する薄幸、妖艶、一途、清純、アンニュイ、退廃に魅了された。不世出の女優の冥福を祈りたい。

 新宿で先日、韓国映画「サニー 永遠の仲間たち」(11年、カン・ヒュンチョル監督)を見た。俺だけでなく、デジャヴを覚えた中高年が多かったのではないか。青春期を過ごした仲間と再会し、空白の時間を埋めるというパターンは、ドラマだったか、映画だったか、それとも小説だったか、もどかしいけど思い出せない。記憶の底をまさぐるうち、自分の経験と重なることに気付く。本作ほど劇的なケースは稀だけれど……。

 主人公のイム・ナミは、世間から見れば恵まれた生活を送っている。超エリートの夫は、妻と娘だけでなく義母にも気配り十分だが、どこか空虚で希薄だ。魂がなく何事も金に換算するタイプと映る。入院中の母を見舞ったナミは、個室にハ・チュナの名札を見つけた。25年ぶりの再会である。ともに笑い、ともに泣いた17歳の頃の仲間に会いたいと願うチュナに、ナミは自分探しを兼ねて応える。7人の特徴を掴んだキャスティングの妙で、カットバックはスムーズに進行していた。

 地方からソウルの女子高に転校してきたナミは、初日にいきなりチュナが率いるグループの一員になる。肝が据わったチュナ、和みのチャンミ、言葉が汚いジニ、時に凶暴になるクムオク、ミスコリアを目指すポッキ、なぜかナミに冷たい美少女スジ……。個性豊かな面々に、初心で世間知らずのナミが加わり、グループはサニーと名付けられる。基本的に遊び仲間だが、スケ番風に縄張り争いもする。

 サニーが17歳だった頃、韓国は転換期を迎えていた。強権的な全斗煥政権下、自由への闘いが広がりつつあったが、時代背景は深刻ではなく、戯画的に描かれていた。警官隊とデモ隊が衝突する横で、サニーが敵と闘うシーンはコミカルだったし、熱心な活動家だったナミの兄の後日談も滑稽だ。全編にユーモアがちりばめられ、シリアスな韓流ドラマも笑いの対象になっていた。

 人生とは大抵、希望通りに運ばない。サニーたちも、荒んでいたり、経済的に追い詰められていたり、縛られていたりと、溺れそうになりながら抜き手を切っている。彼女たちは再び集うことで、勇気と輝きを取り戻す。本作はポジティブな人生賛歌で、世代や国境を超え、誰もが思いを共有できる普遍性を獲得している。ナミが初恋の相手と再会するシーンも印象的だった。

 カン監督は「死ぬまでにしたい10のこと」(03年)にインスパイアされたのではないか。「サニー」のチュナと「死ぬまでに――」のアンは、ともにがんに侵され余命2カ月。自分の死後、周りが幸せになることを願ってプランを練る。再結成されたサニーの紐帯は死せるチュナだ。空白の25年の精いっぱいの生き様が、仲間に希望を灯す。予定調和的で監督の狙いが窺えるラストシーンに安堵した。

 俺には大学時代のサークル仲間が、サニーみたいなものだ。20年ぶりに再会しても、時はあっという間に逆戻りし、それぞれの個性が弾む会話で自然に滲み出た。次の宴では、亡き妹を偲びつつ、酒の肴にしよう。ちなみに、妹が気に入っていた訥弁で大らかなFさんは、いまだ消息知れずだ。会える日は来るだろうか。

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