酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「愛、アムール」~静謐でヒリヒリとした愛の形

2013-04-02 22:15:12 | 映画、ドラマ
 長嶋茂雄氏と松井秀喜氏の国民栄誉賞同時受賞が決まった。当人たちの功績は認めるが、授与する側の基準がわからない。松本清張と手塚治虫が受賞者リストにないのは、ともに共産党を支持していたからだろう。俺が注目しているのは、国策に異を唱える吉永小百合だ。原爆詩の朗読をライフワークと位置付ける吉永は福島原発事故以降、脱原発を熱心に訴えている。

 銀座で先日、「愛、アムール」(12年、ミヒャエル・ハネケ監督)を見た。映画賞の基準も国民栄誉賞並みにわかりづらいが、本作はカンヌ映画祭パルムドール、米アカデミー賞最優秀外国語映画賞など数々の栄誉に浴している。〝納得した〟が観賞後の感想だった。

 ブログを始めてから、シネフィルイマジカでハネケ監督作を数本見たが、理解できず、何も書けなかった。前作「白いリボン」(09年)については、「密告」(アンリ・ジョルジュ・クルーゾー)に重ねて曖昧な感想を記した。ハネケ作品は敷居が高い〝映画学徒〟向けだが、「愛、アムール」には自然に入り込めた。第一の理由は、俺自身の老いである。

 ここ数年、妹をはじめ多くの別れを体験した。別稿にも記したが、伯母と叔父の死に触れ、絆、老人医療や介護の在り方、生の尊厳といった問題に思いを巡らせた。母はケアハウスに入居し、死へのソフトランディングを準備している。かく言う俺もアラカンで、活力に溢れていた父の最期を考えると、棺桶までの距離は遠くなさそうだ。「愛、アムール」は<限りある目盛り>を前提に生きざるをえない中高年向けの作品といえる。

 80歳を超える元音楽教師の老夫妻が主人公だ。夫ジョルジュを「男と女」など多くの傑作に出演したジャン・ルイ・トランティニャン、妻を「二十四時間の情事」など日本に縁が深いエマニュエル・リヴァがそれぞれ演じている。冒頭の演奏会のシーン以外、外部と遮断された老夫妻の住むアパートが舞台になっていた。

 ある朝、唐突にアンヌが惚けた。数分後、元に戻ったが、アンヌは自身に起きたことに気付いていない。精神の綻びを繕うために受けた手術は失敗し、アンヌは日々、壊れ、閉じこもっていく。気高さと美しさを併せ持つアンヌは入院を拒み、ジョルジュは愛の証しを立てるが如く介護する。

 隣人、アンヌの自慢の弟子、娘エヴァ、通いの看護師らも外縁に追いやられ、ヒリヒリと純化した愛が夫妻を包んでいく。雨滴が重なって幾つもの波紋となり、水面の下で夫妻の軌跡が影のような像を結ぶ。ジョルジュの悪夢など、ハネケらしい趣向を凝らしたシーンもちりばめられていた。壁の絵から抜け出た鳩は、外の世界へと繋ぐ使者もしくは、透明に切り立った愛の緩和剤なのか。タイトル通り、最大のテーマは<愛>である。

 本作で重要な役割を果たしているのは音楽だ。アンヌの愛弟子を演じているのはピアニストのアレクサンドル・タローで、サントラも担当している。ちなみにハネケの代表作「ピアニスト」はまだ見ていない。

 俺の父は秋に突然壊れ、翌春に召された。69歳にしては稀な老衰の症状で、肉体と精神は同時に衰弱する。父は病院をてこずらせ、放り出される形で実家に戻った。濃い性格同士の両親は一歩も引かぬケンカ友達だったが、母のかいがいしい介護に妹も感動したという。

 静謐な「愛、アムール」と違い、両親の介護の光景は騒々しく、時に怒声も飛び交ったはずだ。当時、勘当状態だった俺だが、父と末期の酒を酌み交わせたのは救いだった。死と老いという普遍的な光景を織り成すのは<愛>という糸だ。崇高さにも、様々な模様があるのだろう。いずれにせよ、孤独死確実の俺には無縁の話だが……。
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