酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「悪童日記」再読~アゴタ・クリストフの一周忌に寄せて

2012-07-27 03:16:22 | 読書
 なでしこジャパンに続き、サッカー男子五輪代表が初戦を飾った。関塚監督の采配を含め不安材料が幾つも挙げられていたし、相手は世界最強スペインの弟分である。下馬評通り予想していたが、相手の退場もあったとはいえ、内容も日本が押していた。俺はかつて、<サッカーは政情や経済に不安を抱える国の方が強い>との偏見を抱いていた。言い換えれば〝国破れてサッカーあり〟だが、今の日本にも当てはまるような気がする。

 ストーン・ローゼス復活が話題のフジロック'12が開幕する。フジロックといえば、第1回(1997年)の悪夢が甦る。暴風雨下、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの〝ロックの神〟が降臨したかのような凄まじいパフォーマンスに衝撃を受けたが、晴れ上がった翌日は中止になった。天候に加え、周辺自治体の冷淡さ、会場へのアクセスなど主催者の不手際が目立ち、〝悪しき伝説〟として語り継がれるイベントだったが、当時40歳だった俺は個人的な問題も抱えていた。自業自得の体調不良である。

 毎週のように焼き肉屋に足を運び、ジャンクフードを大量の炭酸飲料で流し込む。アイスは箱ごと一気食いだ。結果として弾き出された悲惨な数値は、気力の低下を招いていた。節制と無縁の〝失われた10年〟だったが、俺が辛うじて知的好奇心を保てたのは書物のおかげである。一周忌を迎えたアゴタ・クリストフへの感謝を込め、「悪童日記」(86年)、「ふたりの証拠」(88年)、「第三の嘘」(91年)の3部作について記したい。

 夫、娘と共に移住したフランスでデビューしたため「アゴタ・クリストフ」と紹介されていたが、最近ではハンガリー語の「クリシュトーフ・アーゴタ」の表記が一般的になっている。日本ではほぼ同時期に発刊された3部作を先日、20年ぶりに再読した。

 東欧革命の息吹と軌を一にして世に出た第1部「悪童日記」は、双子の少年の意識を分離せず<ぼくら>で通した実験性でも世界を瞠目させた。作文の形を取る「悪童日記」は、「ぼくらの学習」の章に記されたルールに則っている。感情を定義する漠然とした表現を用いず、物象、人間、自らの行動の描写で構成されているのだ。

 戦後の東欧といえば、悪魔もしくは悪魔的な存在が頻繁に登場するポーランド映画に魅了されてきた。その根底に悲運の連続があるが、「悪童日記」もまた、ハンガリーの苦難の歴史が背景になっている。戦争とドイツ軍進駐、ユダヤ人やジプシーへの迫害、窮乏する生活、そして解放軍であるはずのソ連と傀儡政権による弾圧……。涙も涸れる酷い現実が、ぼくらの視線で切り取られていく。

 ぼくらは首都ブダペストから母に連れられ、「魔女」と呼ばれるおばあちゃん宅に預けられる。「牝犬の子」とおばあちゃんに罵られるぼくらは、生き残るための術と酷薄さを身に付け、時に人としての本質的優しさ――木枯し紋次郎や矢吹丈にも通じる――を発揮する。

 <クリアな闇>というべき「悪童日記」で覚えた高揚感は、ぼくらが離れ離れになった「ふたりの証拠」で後退し、<曖昧な霧>に覆われる。ハンガリー動乱後の絶望的な状況下、国内にとどまったリュカを軸にストーリーは進行する。原罪を背負う少女ヤスミーヌとその息子、夫をスターリニストに殺された図書館司書クララ、信者を失くした司祭、党地方幹部ペテール、本屋店主ヴィクトワールらが紡ぐ物語に光は射さず、ページを繰るごとに人生の深淵へと下っていく。

 「第三の嘘」ではリュカとクラウスの主観、過去と現在が交錯する。かつての登場人物が異なる設定で現れ、時空を超えた重層的パラレルワールドに閉じ込められたかのような錯覚に陥る。ミステリアスな3部作を読了した時、言い尽くせぬ寂寥が体内に広がった。<落ちる>あるいは<沈む>という感覚に苛まれた小説は久しぶりである。俺は当ブログでドストエフスキーの小説を<R50>に指定したが、人間の孤独を追求した3部作も、混沌と暗澹を知る中高年層に薦めたい。

 20年前とは感想が異なるのは当然で、俺はすっかり老い、死に近づいたから……と書くと嘘になる。俺は恐らく、今より当時の方が死に近かったのだ。怠惰で不摂生な30代、40代のおかげで、俺は今、勤勉な50代を過ごしている。自分の過去を反面教師にしているのも珍しいのではないか。 

 心にしこりを残す3部作の消化剤として、小川洋子の最新作「最果てアーケード」を読み始めた。近日中に感想を記すことにする。


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