酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「灼熱の魂」~崇高な愛を謳う叙事詩

2022-09-06 22:38:44 | 映画、ドラマ
 的外れの発言がNHKで飛び出した。自民党の茂木幹事長が4日の討論番組で同党議員と統一教会の関係が報じられていることを踏まえ、「左翼的な過激団体と共産党との関係について調べないのは問題」と発言する。同席していた共産党の小池書記局長は「事実無根」と撤回を求めた。

 茂木氏が何を念頭に〝左翼的な過激団体〟と発言したのか別にして、60年安保以降、共産党の裏切りに辛酸をなめてきたラディカルな活動家、団体は、共産党に拭い難い不信感を抱いている。茂木発言は的外れだが、共産党を批判したいなら、20年以上もトップが代わらない閉鎖的な体質を問うべきだ。

 ゴルバチョフ元大統領の葬儀に、プーチン大統領は参列しなかった。ロシア国内ではソ連崩壊を主導したゴルバチョフ氏への否定的な声が強い。旧ソ連を批判して国外に追放されていたソルジェニツィンでさえ、ロシア正教の伝統と国民的気質を鑑み、プーチンを高く評価していた。〝皇帝幻想〟が定着するロシア国内で、ゴルバチョフに冷ややかな視線が注がれているようだ。

 新宿シネマカリテで「灼熱の魂」(2010年、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督/カナダ・フランス合作)を見た。日本でも高評価された同作のデジタルリマスター版である。レバノン生まれでカナダに移住したワジティ・ムアウッドの戯曲「焼け焦げる魂」を映像化したのが本作だ。背景にあるのは1975年、キリスト教マロン派の民兵が27人のパレスチナ人の命を奪ったことをきっかけに始まったレバノン内戦だ。

 ケベック州に暮らす双子の姉ジャンヌ・マルワン(メリッサ・デゾルモー=プーラン)、弟シモン(マクシム・ゴーテット)に母ナウル(ルプナ・アザバル)の遺言が伝えられる。公証人であるジャン・ルベル(レミ・ジラール)はナワルを秘書として長年雇ってきた。遺言を神聖なものと見做すルベルは、姉弟に母の思いを託す。

 ジャンヌには父への手紙を、そしてシモンには兄への手紙を、それぞれ手渡すようにという内容だったが、姉弟は自分たちの父と兄の存在を知らない。それどころか、とりわけシモンはナウルに疎遠さを感じていた。数学の研究者であるジャンヌは、相談した教授に「純粋数学は、解決不能な問題に取り組む必要がある。避けられぬものに反抗すべきでない」と言われ、母の生まれ故郷レバノンに旅立った。

 映画「判決、ふたつの希望」にも描かれていたが、レバノン内戦ではキリスト教徒、ムスリム、パレスチナ難民、シリア、イスラエルが凄惨な戦闘を繰り広げた。30年の時空を超えてナウルとジャンヌの主観がカットバックしながらストーリーは進行する。目の前で殺された難民の恋人の子供を身ごもっていたナウルは出産後、子供と離れ離れになり、キリスト教右派の指導者を暗殺して十数年間、獄中で拷問にさらされることになる。

 テレビ、ネット、DVDでご覧になる方も多いと思うのでストーリーの紹介は最低限にとどめたい。観賞後、背景を詳しく知りたくなったのでパンフレットを買おうとしたが、作製していないとのこと。ナワルはキリスト教徒だと思うが、右派の裏切りを許せず、指導者に銃を向けたと推察しているが、勘違いの可能性もある。

 シモン、そしてルベルもレバノンを訪れ、姉弟は歴史に翻弄された母の波瀾万丈の生き様を知り、残酷な真実を突き付けられる。シモンがジャンヌに問いかけた「1+1=……」が印象的だった。「ポロポロ」を紹介した前稿で<物語>の意味を考えたが、「灼熱の魂」は<物語>から飛翔した壮大な叙事詩で、ギリシャ悲劇「オイディプス」を連想した方も多いはずだ。絶望的な苦悩の末、母が到達した崇高な愛に、俺のふやけた魂も焼け焦げた。

 「国際報道2022」(NHK・BS1)はイスラエルでの極右勢力の台頭を報じていた。彼らは「アラブ人に死を」と訴え、ヨルダン川西域のパレスチナ人居住地への不法な入植を進めている。レバノン内戦時(1982年)、イスラエル軍とキリスト教右派がパレスチナ難民キャンプを襲撃ことは「灼熱の魂」の背景のひとつだ。戦争と戦乱が生む憎悪の連鎖を断ち切る術はあるのだろうか。
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