酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「あなたが消えた夜に」~人間の深淵と闇に迫る中村文則

2016-09-17 22:03:05 | 読書
 <神は存在するだろうか? 悪とは? 罪とは? そして、裁きとは?>

 豊洲関連の報道に接し、こんな風に自問自答している。原発事故後の心境と重なる部分が大きい。民主党政権は体内被曝、海や土壌の汚染データを隠蔽しただけでなく、野田前首相は原発再稼働と輸出に舵を切って安倍政権にバトンタッチした。

 豊洲はどうか。森五輪組織委委員長、内田都議、石原元都知事らが都庁幹部、ゼネコンと阿吽の呼吸で五輪と市場移転をリンクさせ、シナリオ通り事を進める。国民の生存権(環境、健康)より利権を優先する構図は、原発と全く同じだ。せこい悪行や嘘を積み重ね、死後は地獄からスタートする俺でさえ、次々に明らかになる腐敗に怒りが込み上げてくる。

 ここで再び、冒頭の問いを……。

 <神は存在するだろうか? 悪とは? 罪とは? そして、裁きとは?>

 このテーマを前面に、人間の深淵を描いた小説を読了した。中村文則の「あなたが消えた夜に」(15年、毎日新聞社刊)である。最新作「私の消滅」も購入したが、時系列に沿って前作から読むことにした。

 当ブログで中村を絶賛してきた。あまりの多作ぶりに、〝粗製濫造に陥る可能性もある〟と厳しめに記したこともあったが、短編集「A」、「教団X」(ともに14年)に続いて本作を読み、不安は杞憂に終わった。最高傑作は中村が〝私にとって「カラマーゾフの兄弟」〟と評した「教団X」だが、「あなたが消えた夜に」は作家自身が最も投影された作品といえる。

 初代〝日本のドストエフスキー〟こと高橋和巳は60~70年代、身を削った作品の数々で若者たちの教祖的存在になった。亀山郁夫氏(ロシア文学研究者)が<ドストエフスキー的課題を21世紀に甦らせた>と絶賛した中村こそ〝2代目〟に相応しい。中村の真骨頂は人間の闇を抉る対話、手記、モノローグで、ドストエフスキーからの影響が窺える。

 高橋は癌に侵され、39歳で召された。<苦悩が癌に形を換えた壮絶な自殺>と評した識者もいる。中村は今、39歳だ。「あなたが消えた夜に」の登場人物には、自身の葛藤や傷が反映している。執筆中に叫び、泣き、時に嘔吐したに相違ない。高橋に引けを取らない身を削る格闘から吐き出される血が滲んだ作品たちは、生き辛い若者たちのバイブルになっている。

 冒頭は警察小説の赴きがある。連続通り魔事件がネットで拡散し、情報は錯綜し、模倣犯まで登場するが、2部、3部へと進むにつれ、主観の位置が警察側から犯人側に転倒していく。物語に軸になっているのは<中島刑事-小橋刑事>、<吉高亮介-椎名めぐみ>の2組の男女だ。中島≒吉高の図式に、作者を加えてもいい。小橋とめぐみは好対照だが、めぐみと志向性が重なる科原さゆりの存在感が次第に増してくる。

 所轄の中島はバツイチの30代で、本庁の小橋は「コンビニ人間」の恵子と重なる天然キャラだ。美人という設定だが、ピンボケの言動が読者を和ませる。中島は自身の欠落を強く意識し、少年時代の火事を巡る記憶に苛まれている。一方の小橋も引きこもりを経験しているが、喪失感を埋めるべく前向きに生きている。中島は小橋に、次のように告白する。

 <刑事の仕事を選んだのも、犯罪者の近くにいると安心するからなんだ。逮捕する度に自分を捕まえてるように思った。自分の代わりに誰かを捕まえて罰を与えていくみたいに>……

 犯罪者の意識に近い中島と、直感と観察力に秀でた小橋はまさに名コンビで、捜査の流れを主導する。ちなみに作者自身、<子供の頃、少年犯罪が報道されるたび、他人事には思えなかった>と語っていた。

 悪をとば口に人間の普遍性に迫った点で、中村の小説を<ドストエフスキー+エルロイ>と捉えることも可能だ。アメリカでミステリー作家として評価されているのもわかるような気がする。犯罪者の心情から世界を凝視するという方法論は、高村薫に近いものがある。世間を騒がせた通り魔事件だが、真実は人間の織り成す屈折した複層のプリズムから解き放たれていく。

 吉高とめぐみを繋いでいるのは、悪でも罪でもなく神だ。中村の作品には絶対的な存在、善をなす者への憧憬が窺えるが、本作のタイトルにある「あなた」が神を指していることは、吉高の独白で明らかになる。俺が中村作品に惹かれる最大の理由は、予定調和的なカタルシスが用意されている点だ。巧みに構成された本作でも、濾過されるようなラストに心が潤んだ。
   
 ファンを自任する友人によると、中村が執筆に当たり最も重視しているのは<多様性>だという。それを聞いて意外に感じた俺は、まだまだ読み方が浅いのだろう。<多様性>も一つのキーワードして、重厚で深遠な中村ワールドを彷徨っていきたい。
コメント
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