酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ステレオフォニックスの青い焔に焦がされて

2016-07-27 23:09:32 | 音楽
 相模原市で起きたことに言葉も出ない。気持ちを整理して次稿の枕で記すことにする。

 先週末(23日)、横浜スタジアムでDeNA対巨人戦を観戦した。同点の6回表に3点を奪われたが、その裏に6安打を集中して5点を奪う。鮮やかな逆転劇に酔いしれたが、球場の熱狂ぶりにはついていけなかった。

 「8月から派遣先が変わるんだ。経済的にかなりピンチ」
 「うちはブラックだから、クライマックスシリーズ中に有休取れないかも」
 「TSUTAYAなんか3カ月以上、行ってない」
 「ここんとこ、100円ショップのレトルトカレーばっか」
 
 横に座っていた若者グループの会話が聞こえてくる。貧困とまではいかないが、DeNAのチケットを購入するため、生活を切り詰めていることが窺えた。

 俺はこの間、反戦争法、反原発、反貧困などを掲げる集会やデモに参加し、統一地方選と参院選には主体的に関わってきた。「この酷い現実を直視して……」といったスピーチをバックにビラを渡そうとしても、殆どの若者に拒絶される。スタジアムで浸った孤独、街頭で感じた空しさは、目に見えない回路で繋がっているはずだ。

 シカゴの1stアルバム「シカゴの軌跡」(1969年)収録曲「いったい現実を把握している者はいるだろうか」の問いかけは、40年近く経った今もフレッシュだ。そもそも<現実>の捉え方が曖昧になっている。

 バーチャルリアリティー(VR)(対戦型オンラインゲーム)にハマって、派遣労働者になった知人がいる。<現実逃避>と嗤う者もいるだろうが、<酷い現実>を変えようとあがくより、「VRで充実感を覚える方がまし」と彼は言う。スマホを持っていても「ポケモンGO」をダウンロードしないだろうが、「現実を変えるのは不可能」と観念したら、スタンスを変えるかもしれない。

 渋谷で昨夜、ステレオフォニックスを見た。フジロックに合わせた単独公演で、アジアツアーの一環でもある(本日は上海)。ライブに接するのは2010年4月以来だが、今回は新作「キープ・ザ・ヴィレッジ・アライヴ」(昨年9月)が全英1位(通算6作目)に返り咲くなど、キャリアのピークといっていい。個人的にも5rh「ランゲージ・セックス・ヴァイオレンス・アザー?」(05年)に並ぶ愛聴盤である。

 ザ・フーには3人の息子がいる。長男はポール・ウェラー(ジャム)、次男はエディ・ヴェダー(パール・ジャム)、そして三男はステフォのフロントマン、ケリー・ジョーンズだ。俺は2階の座席(1列)の真後ろという特等席で観賞したが、入場した時に流れていたのは、フーの「ビハインド・ブルー・アイズ」だった。スージー&ザ・バンシーズの曲がフェイドアウトする中、バンドがステージに登場する。

 7th以外の8作から万遍なくセットリストに含まれていた(恐らく)。デビュー曲「ローカル・ボーイ・イン・ザ・フォトグラフ」から、「ザ・バーテンダー・アンド・ザ・スィーフ」、「ミスター・ライター」、「メイビー・トゥモロー」などメロディアスでエッジの利いたヒット曲連発で、ケリーのソングライティング能力の高さを再確認する。ちなみに、「キープ――」から5曲が演奏された。

 ステフォは同郷(ウェールズ)の先輩、マニック・ストリート・プリーチャーズのようにラディカルでもなく、詩的でもないが、普遍的な感覚に寄り添う骨太かつオーソドックスな曲を作り続けている。全作を予習してみたが、変化はさほど感じない。でも、齢を重ねることで憂いとコクが染みてきている。

 30代後半でもストレートは150㌔以上、スライダーとツーシームを織り交ぜるものの。軟より硬、緩より急で打者に立ち向かう……。投手に例えればこんなタイプで、シェイプされたロッカー体形を維持している。6年前よりファンは増え、しかも若返っていた。客席との掛け合いも楽しめたが、ストイックな雰囲気で、青を基調にしたライティングが印象的だった。

 アンコール2曲目の「ダコダ」でステージは明るくなったが、お約束のメンバー紹介もなく引き揚げる。焔は最高温度に達すると赤から青に変わるという。ステフォの意志と熱で焦がされた心身を、驟雨で冷ます。ロックの本質を鋭く提示し、余韻が去らないライブだった。
コメント
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