今までに、デモというものには数えるほどしか参加したことがない。そんな僕が言うのもなんだけど、今回の自由と生存のメーデー’07のサウンドデモは、文句なしに一番面白かった。こういうデモなら、毎週参加したっていい、と思った。
単に音楽が付いているから、というわけではない。使っていた音楽自体は、レイヴからハードコアから、ヒップホップから「泳げたいやき君」まで、多彩でありながらも、僕の好みとは今いち違う。だから、そういう意味では楽しめたというほどじゃない。
だけどそんなことより、その音楽のかけ方が、路上を「奪還する」という方向に意図的に向いていた(抽象的な言い方で申し訳ない)ことが重要なのだ。デモ・コールの中身は、もちろん一つ一つが「主張」には違いないが、当たり前に「主張」をすることができる空間を奪取するために、まず音楽による「祝祭空間」化があった。店舗や企業がひしめく「私営空間」である路上を、こんな風に音楽で切り裂いていくことができる、というのを体感するのは、実に気持ちがよかった。
沿道の人々の反応も、これまでに参加したことのあるデモの時と比べて、違っていた。明らかに困惑している人、苛立っている人、呆気に取られている人の数が多く、はっきり表情に表れていたのである(普通だと無関心を装っている、あるいは本当に無関心な人が多い)。
また、笑顔の人も多かった。笑顔といっても、いいこと言ってくれてるな、という共感の笑顔もあれば、ふん、負け犬どもめ、という嘲笑の笑顔もあるにはあった。ただ若い人達は全般に、なになに?おもしろそー!という感じの笑顔だったと思う。
とにかく、いずれの場合も、人々の表情から、眼前のデモと距離を置こうとする余裕が消えていた。あるいは、その余裕が足りていなかった(もちろん、同じものを何回も見ていれば、じきに慣れてしまうこともあろうが)。
これは、これだけで勝利に値するのではないか。人数にすれば、たったの400人程度のデモである。だけど、僕が参加したことのある数千人~1万人規模の反戦デモですら、こうした表情を沿道の人々から引き出すことはできなかった。だからその都度、デモというのはやはり時代遅れなのか、あるいはもっと「動員」を増やさねば実効力がないのか、という思いを抱く結果になる。それが、有効性のあるデモとはこういうものだ、人数の問題じゃないのだ、というお手本を自ら体験することができたのだ。
そういう「有効な」デモであるがゆえに、警察の警備体制もハンパじゃなかった。左右を隊列で挟む、いわゆる「サンドイッチ」式に加え、先頭のサウンド・カーの前をお立ち台付きの警察指揮車が「先導する」という手の込みようである。時にサウンド・カーの流す音楽に負けないくらい、お立ち台(ジュリアナかっ)のスピーカーから指示連絡をやかましくがなりたてる。ある意味デモより目立っていたのではないか。
参加者への威圧・挑発も露骨だった。今までのデモでは、「大人数で大げさだなあ」と思うくらいで、ことさら警官に悪感情を抱かなかった僕も、さすがに今回は頭にきた。
一度、飲んでいた缶ジュースの空き缶をゴミ箱に捨てようとして、歩道に足を踏み込むと、意味不明に目が血走った若い警官に押しとどめられた。すぐそこに見えているゴミ箱に缶を捨てたいだけなのに、だめだ、もし出るんならデモには戻れなくなりますよ!とがなる。何をバカなこと言ってんだ?と食い下がっても、引く気配はない。じゃあんたが捨ててくれ、と言って手に缶を押し付けても、目線を逸らしつつ頭をブルブル振るばかりで、受け取ろうとしない。デモ参加者とは一瞬たりとも馴れ合うな、とかいう訓戒を受けていて、それを実直に守り通したいようだ。ここで悶着を起こすと他の参加者に迷惑を及ぼすことになるかもしれないので、後で隙を見て捨てようと思い、いったん引き下がった。
しかし、歩けど歩けど、その隙が見えない。それくらいに警官がうようよいるのだ。そしていたるところで僕と同じような小競り合いを、他の参加者(及び取材記者)との間で起こしていた。
なんのためだろう?いわゆる暴力行為を好むタイプの参加者などまずいないし、そういう行為は参加者の共通理解として戒められている。
交通整理の必要はわかる。だがそれなら車道側の列だけはみ出ないようにすればいいだけだ。歩道側の警備など、本来必要がない。歩道を混乱させ、通行者の邪魔になっていたのは、あるいは物々しさで怖がらせていたのは、明らかに大量の警官の方だ。
一緒に歩いていた「ベテラン」風のおじさんも言っていたが、結局、デモと沿道の市民とを分断させるという狙いなのだろう。デモというのは特殊な行為で、特殊な人間しか参加しないものです、善良な市民の皆さんは関わらないように、という線引きをしたいのだ。そしてそういう線引きに苛立った参加者が暴れ出したら、それを口実に弾圧する。よくある手だけれど、それが今回は徹底していた。
これほど分断に力を注ぐということは、それだけ当局が、デモ参加者と一般通行人の境界があいまいになることを恐れている証拠である。事実、サウンドデモは、境界をあいまいにする効果が高い。だからこそ僕は、断然この形態のデモなら支持するのだけど。
「分断」は最後までいやらしかった。
最後に大久保通りから、出発点の地域センターへと右折するところで、警察は対向車線の車をストップさせ、デモを右折させた。そして右折する間中、指揮車のお立ち台から「早く、早くしなさい」とがなり続けた。「君たちのせいで他の交通を止めている。君達が市民の交通を妨げている。お車の皆さん、ご迷惑おかけします。・・・くり返す。早く右折しなさい。君達のせいで交通が止まっている──」
これを10回近くも、口角泡飛ばしながら(本当に泡が飛んでるように見えた)くり返していた。だが、明らかにこれは、前もって考えられたセリフを叫んでいたに違いない。
そのとき参加者達は、特にゆっくり歩いていたわけではなかった。それまでと同じか、ちょっと早いテンポで歩いていた。それ以上にせかされる意味がない。
さらに、お車の皆さん、と言ったって、祝日の昼間の大久保通りは車がかなり少なかった。対向車線で止められていたのは3、4台である(うち1台は空車のタクシー)。その3、4台が迷惑しているというなら、いったん右折をストップさせて、3、4台を先に通らせ、それからもう一度参加者の右折を、という手順を踏めばいいだけだ。なんなら、数回にわたってその手順をくり返せば、長く待たされる車が出てくる心配はない。その程度の交通整理をする人員は、バカバカしいほど十分にいたのである。にも関わらずそうしようとせず、何がなんでも1度で右折させ切ることにこだわっていたのは、ドライバーも含めた一般の市民のあずかり知らぬ、警察の勝手なシナリオであるに過ぎない。
途中で事件が起きなければ、最後に一番露骨な挑発をして、一部の参加者をぶち切れさせようと目論んでいたのかも知れない。そうだとしても不思議ではないが、対デモという以前に、一般通行者向けの「分断」のメッセージだった可能性も高い。この人達のわがままのおかげで警察がどれだけ苦労しているか、という印象を沿道の人々に植え付けようとしているような、芝居がかった口調だった。何も混乱は起きてないのに。
警察に勝てばこの運動の勝利、というわけではない。ともあれ警察の問題はこれからもつきまとう。いかに警察の間抜けぶりを人々に伝えていくか、かつての過激派の「実力行使」的発想とは別のところでやっていく必要がある。その際ポイントになるのも、「境界をあいまいにする」という発想ではないかと僕は思っている。
参加者全員で、警官のコスプレをしてデモったらどうなるんだろう。そっちの「境界」をあいまいにする手もあるのではないか(全員逮捕か?)。
*デモの様子は上記メーデー・サイト内から(動画も観れます)。
ページ上部「デモの心得みたいなもの」には、デモの意義についてのすばらしくまとまった、示唆に富んだ考察が載っています。ぜひともいろんな方に読んでもらいたいです。
歩道にいる取材の人が車道との「境界」をあいまいにしてしまうと、デモを包み込んで隔離することができないから、神経質になっているように見えました。ただでさえ、車道の僕らより歩道の方が歩きづらかったでしょうに、そのうえ妨害までされて大変でしたね。
僕は目撃してませんが、メーデーのサイトの方では、後ろから追い立てられた女性が倒されたっていう報告もありますね。
やっぱり去年のメーデー以来、警察はこのサウンドデモに対しては特別な警戒感を持っていることは確かのようです。僕らはそれを手応えの一つとして、前向きにとらえていけばいいと思います。
かつて、大阪であったサウンドデモで、やはり警察が内と外にもの凄い人数ではりついて、歩行者からも見えないくらいの警備(?)をされました。
歩道を歩いている人にチラシを渡そうとするのも、身体を盾にして妨害するし……。そんな中で、わざわざ歩道のほうから身を乗り出して、警官の隙間からチラシを受け取ってくれた人が何人かいて、それは嬉しかったです。
「境界をあいまいにする」……いいですね~。私もその方向を支持します。
しかしサウンドデモが面白いのは、主催者がちゃんと「一般ピープル」のたくさんいる繁華街を狙っているから、でもあるんですよね。比較的少人数だから許可が出たっていう面もあるとは思うけど、それならそれで、それを強みにどんどん全国各地で「狙った」コース設定を展開していけばいい。
「兵力が多いか少ないかは、戦いのひとつひとつの場面で決まる/敵を分散させ、味方を集中させる、これが大切」と、「孫子の兵法」にも書いてあります(笑)。
まあ人数はどうでも、とにかく飛び入り参加したくなるような境界の壊し方を追求することですよね(そこで警察と一番ぶつかるんですけど)。「見ている」ことと「参加している」ことの距離を、どう失くしていけるか。音楽はやっぱり重要です。
あと、住宅の多いところを通るのも楽しいですね。マンションのベランダから見物している人達がいたりして。
警官のコスプレ作戦っていうのは、ルパン三世の「どっちが勝つか三代目」って話がとにかく好きでして、あれを一度やってみたいよなー、というのが子供の頃からの夢なんです(笑)。あの話では警官ではなく、ルパンの変装をした学生を大量に送り込んで警察を混乱させる、っていう筋でしたが。
それはそうと、BLOG BLUESブックマークに入れさせてもらいました。今頃では失礼かなとも思いましたが申し訳ありません。今後ともよろしく。
忠実な再現はあれなので、天才バカボンのおまわりさんみたいな見るからにふざけたかっこのほうが異化効果もあっていいと思います。交通の邪魔してるのは、デモ参加者よりも警官のほうですよ。
デモに対するいやがらせは、デモ参加者が少なくなるにしたがって酷くなってます。
とかいいながら、実際にデモしたのってもう遠い昔になってしまいました…
これはわかる気がします。こっちが弱いと思えばこそ、挑発しやすいんでしょうね。
警官のコスプレに関しては、
①そもそも手に入りづらい(ドンキあたりでも売ってないw)
②貧乏人のデモゆえ、買う金がない
っていう問題点がよく考えたらあります。今頃言ってるのもなんですけど・・・。それこそ厚紙で「目ん玉つながり」のお面でも作るしかないかも。
脱原発デモ参加者全員が警官コスプレしたら
空撮してみたいです。
今回のデモでは警官の格好をしたことについては 本物の警官からはなにも言われませんでした。その様子はhttp://youtu.be/r8zIMcw1rPU にありますので よかったら観てみてください。
こうして4年前に僕が半分冗談で言ってたことを、本当にやってる人がいて、びっくりするやら嬉しいやら、でした。
しかし今回新宿では、警察はわりとフランクでしたね。渋谷の時にあのコスプレやったら、ちとヤバかったかもしれません。でも数が多ければ、それはそれで面白い展開になったかも(でも、何のデモだかわからなくなるか…)。