シティのランラン日記

シティボーイ&ガールのマラソン・旅行・グルメなど身近で気軽な話題のプログです。

丸亀城

2014年04月30日 | お城巡り


築城400年を誇る丸亀のシンボル「丸亀城」は、全国に現存する『木造天守十二城』の一
つです。内堀から天守にかけて積み重ねられた石垣は、”扇の勾配”と呼ばれる特長的で見
事な曲線を描いています。この白亜の二重三層の独立式木造天守は重要文化財に指定されて
いるそうです。

清洲城

2014年04月29日 | お城巡り


最近、お城巡りを趣味にしましたが、しばらく最近登城したお城を紹介します。
郷土の英雄・織田信長公が天下布武への足がかりとした城として名高い城です。平成元年に
築城され、五条川にかかる朱塗りの大手橋とともに、清須市のシンボルとなっています。趣
向を凝らした展示物で清須の歴史に触れることができます。土日、祝日は武将や姫に扮した
スタッフによる紙芝居などのおもてなしを行っています。

墨俣城

2014年04月28日 | お城巡り


墨俣城は薄墨桜ウォーキングのチェックポイントでもあり、良く訪れています。
築城時期は不明です。長良川西岸の洲股(墨俣)の地は交通上・戦略上の要地で、戦国時代
以前からしばしば合戦の舞台となっていました。斎藤氏側で築いた城は斎藤利為らが城主を
務めました。また、1561年ごろ織田信長による美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(後の
豊臣秀吉)がわずかな期間でこの地に城を築いたと伝えられています。これがいわゆる墨俣
一夜城ですが、不明な点が多く、様々な議論があります。

岐阜城

2014年04月27日 | お城巡り


岐阜城は何度か訪れていますが、写真は岐阜清流マラソンの受付時に撮りました。
岐阜県岐阜市(旧・美濃国井之口)の金華山(稲葉山)にある山城跡です。織田信長が、斎
藤龍興から奪取した稲葉山城の縄張りを破却して、新たに造営したものが岐阜城です。城跡
は岐阜城跡として国の史跡に指定されています。

大垣城

2014年04月26日 | お城巡り


水の都、大垣にJRで行ったときに大垣城を散策しました。
宮川氏築城当時は、牛屋川を外堀の代わりに利用し本丸と二ノ丸のみであったそうです。氏
家氏、伊藤氏によって改築が加えられたとされ、1613年には石川忠親によって総堀が加
えられ、松平忠良が天守を改修しました。その後1649年に 戸田氏鉄によって明治に至る
姿とされています。

掛川城

2014年04月25日 | お城巡り


浜松に遊びに行ったときに掛川城へ立ち寄りました。
戦国時代には東海道を扼する遠江国東部の中心拠点として掛川はしばしば争奪戦の舞台とな
ったそうです。朝比奈氏によって逆川の北沿岸にある龍頭山に築かれたとされ、現在見られ
る城郭の構造の基本的な部分は安土桃山時代に同地に入封した山内一豊によるものです。

山口県ハローキティ2点目

2014年04月24日 | キティ


錦帯橋は、山口県岩国市の錦川に架橋された木造のアーチ橋で、そこで買った山口県2点目の
キティです。日本三名橋や日本三大奇橋に数えられており、名勝に指定されています。藩政史
料には大橋と表記されることが多く、「錦帯」という美名は完成後に定着した説が有力とされ
ているそうです。
継手や仕口といった組木の技術によって造られている。しかし、美しいアーチ形状は、木だけ
でなく、鉄(鋼)の有効活用がなされて初めて実現したものである。杭州の西湖にある堤に架
かる連なった橋からヒントを得て創建されたそうです。

危機一髪

2014年04月23日 | 日記


4月20日(日)午後6時ごろ、愛知県一宮市の名神高速道路下り線を走っていた観光バスが、
中央分離帯のガードレールを突き破って反対車線を約200メートル逆走し、トラックなど車
約10台と衝突、接触する事故がありました。
丁度、そのころ私とガールさんは母の告別式を終え名神高速の養老付近を車で走っていました。
予定では午後6時ごろ一宮を通過予定でしたが、関西での渋滞とガソリンの給油などで予定より
30分ぐらい遅れたので事故に巻き込まれなくて済みました。これも母が助けてかれたかも?

合掌

2014年04月22日 | 日記
4月18日(金)にガールさんの母が享年90歳で亡くなりました。
4月12日(土)に関西まで母の顔を見に行ったばかりなの出来事で少し信じがたかったです。
18日には車で関西まで行き、通夜、告別式と済ませることが出来ました。
どうぞ安らかに静かにお眠り下さい。
19日・20日は長野マラソンに行く予定でしたが急遽、取りやめました。

広島県ハローキティ5点目

2014年04月17日 | キティ


宮島といえば、しゃもじですね。杓文字を持ったハローキティも可愛いでしょ。
宮島杓子の由来
寛政の頃、神泉寺の僧・誓真という人が、ある夜、弁財天の夢を見てその琵琶の形の美しい線
から杓子を考察し、御山の神木を使って作ることを島の人々に教えました。この神木の杓子で
御飯をいただけば、ご神徳を蒙り福運をまねくという誓真上人の高徳とともに、宮島杓子の名
声は世に広く宣伝されています。なお現在では、その伝統を生かして、各種の調理杓子・お玉
杓子などが考察されています
宮島では、飯をよそう杓文字(しゃもじ)を杓子(しゃくし)と呼んでいます。

広島県ハローキティ4点目

2014年04月16日 | キティ


広島旅行に行ったとき、厳島神社の大鳥居に乗った可愛いハローキティを買てきました。
宮島の鳥居は海に立つことで鳥居としてユニークであり宮島のシンボルになっています。
そして瀬戸内海の特徴で潮の干満の差が大きく常に変化があるのがとても素敵です。
おお鳥居の高さは16.8mで一番太い柱は周囲10mもある巨大なクスの木でできています。
そしてびっくりするのはこの鳥居はただここに置いてあるだけなのです。その重さで動かない。

豊国神社

2014年04月15日 | ウォーキング


4月14日(月)は天気も良かったので中村公園内にある豊国神社に散歩に行ってきました。



豊国神社は、名古屋市中村区の中村公園内にある豊臣秀吉を祀る神社です。
中村公園内の敷地は大河ドラマで話題の豊臣秀吉の生地に当たる場所です。また東隣の妙行寺
は加藤清正の生地であり、妙行寺でも摂社で清正を祀ってあるので一緒に散策してきました。

広島観光4日目

2014年04月13日 | 観光

(縮景園)
広島観光最終日はホテルをチェックアウトして荷物は預けて、市内観光(縮景園)に行きました。
広島藩主浅野長晟が、別邸の庭園として築成されたもので、作庭者は茶人として知られる家老の
上田宗箇です。 園の名称は、幾多の景勝を聚め縮めて表現したことによるが、中国杭州の西湖を
模しています。中国杭州の西湖は何度も訪れた場所なので懐かしく思い出していました。


(縮景園お茶)
園の中央に濯纓池を掘って大小10余の島を浮かべ、周囲に山を築き、渓谷、橋、茶室、四阿など
が巧妙に配置され、それをつなぐ園路によって回遊できるようになっています。素敵な庭園を見な
がらまったり飲むお茶は心が安らぎます。


(広島城)
今回の旅行で行きたかったお城「広島城」にも登城してきました。
天正時代になって新しく築城された城で、1589年毛利元就の孫、毛利輝元のとき、それまでの
毛利氏の本拠、吉田郡山城が山間であり新しい時代に対応できないと感じ、陸海の拠点であるこの
地に10年の歳月をかけ築城したそうです。


(焼き牡蠣)
広島グルメの最後は焼き牡蠣を美味しく頂きました。
広島名物は牡蠣や穴子などの瀬戸内の幸、広島風お好み焼き(広島焼き)、広島の地酒などご当地
グルメが沢山あり、他にもつけ麺本舗「辛部」も人気で美味しかったし、広島アンデルセンのパン
も最高でした。楽しい3泊4日の広島旅行が出来ました。

広島観光3日目

2014年04月12日 | 観光

(厳島神社周辺観光)
3日目は宮島と岩国観光です。まずは日本三景のひとつ宮島に行きました。
日本三景・安芸の宮島(厳島)は非常に有名であす。特に厳島神社は神殿を始め数多くの国宝・
重要文化財をもち、1996年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録された。


(あなごめしのうえの)
宮島に行ったら絶対に食べたい、創業明治三十四年 駅弁 あなごめしのうえを食べました。
計画段階であなごめしはうえのと決めていましたが、広島でタクシーの運転手さんから宮島に行く
んだったら、あなご飯を食べるべしあなご飯を食べるんだったら絶対うえのに行くべしとの言葉
も聞きました。


(錦帯橋)
宮島からJRで岩国へ行きバスに乗り換え錦帯橋に行きましたが満開の桜に感激しました。
日本三名橋のひとつ「錦帯橋」は日本を代表する木造橋です。他に例を見ない特異な姿の五連の
反り橋が特徴で、国の名勝に指定されています。長さ193.3m、幅5m、橋脚の高さ7.2
mで組木の技術が生かされています。


(岩国城)
岩国に行ったら絶対に行きたかった岩国城にロープウェーを利用して登城してきました。
岩国城は1608年に初代岩国藩主の吉川広家が、蛇行した錦川に囲まれた天然の要害の地である
横山の山頂に築城しました。しかし幕府の一国一城令により、築城より僅か7年後の1615年
には取り壊しとなりました。

広島観光2日目

2014年04月11日 | 観光

(海上自衛隊呉地方総監部庁舎)
2日目はJRで呉まで行き呉観光です。まず訪れたのは海上自衛隊呉地方総監部庁舎です。
旧呉鎮守府庁舎は明治40年に竣工した地下1階、地上2階建てのレンガ石造の建築で、
レンガと御影石との調和がとれた、呉市に現存する代表的なレンガ構造物です。


(入船山記念館)
総監部庁舎から歩いて入船山記念館に行きボランティアの方の説明をしっかり聞きました。
終戦まで日本の沿岸は5つの海軍区に分けられており、それぞれに鎮守府が設置されていま
した。こちらの記念館は呉の海軍鎮守府の司令長官官舎で、東郷平八郎元帥の居宅もあり、
見学してきました。


(音戸の瀬戸公園)
広電のバスに乗って「音戸の瀬戸公園」に行きましたが桜が満開でとても綺麗でした。
平清盛が夕日を招き返して1日で切り開いたという伝説のある名勝地で、3月下旬から4月
上旬には約2、300本の桜、4月下旬から5月初旬には約8,300本の紅白のツツジが
咲き乱れ、真紅の「音戸大橋」とマッチした素晴らしい景観が楽しめるそうです。


(大和ミュージアム)
タクシーで呉駅まで戻り「大和ミュージアム」などを見学しました。
太平洋戦争終結まで海軍工廠があった呉港に面して建てられた博物館です。その呉海軍工廠で
建造された最大の船であった戦艦大和を中心とした展示を行っています。中でも10分の1
スケールの戦艦大和模型は圧巻であす。