Saya Cinta Malaysia

I love malaysia. 愛してやまないマレーシアのあれこれを綴る、心の記録。時々台湾。

新婚旅行&誕生日プレゼントで15年ぶりのランカウイ

2019-01-23 | Kg. Kuala Linggi & Langkawi 2018-19
年末年始は、マレーシアの実家に帰省していました。寒い寒い東京を脱出して、ハムザの待つマレーシアへ。前半は実家でのんびり食っちゃ寝食っちゃ寝しまして笑、後半はハムザにランカウイに連れて行ってもらいました。まだ新婚旅行に行っていなかったのと、私のお誕生日が12月29日なので、お誕生日プレゼントとして用意してくれました。

    

友達から、「新婚旅行はどこに行くの?ハムザさんはどこか違う国とかが楽しいんじゃないの?たとえばオーロラを見に行くとかさ!」とか言われたんですが…、いやー私マレーシア以外思いつかないし別に行きたくないです他の国!笑。オーロラとか全然興味ない。マレーシアしか見てこなかった私の人生…笑。強いて言えば、台湾なら行きたいな~と思ったけど(まだ二人で行ったことないし)、でもやっぱり私はマレーシアがいいよね。私が私のままでいられる場所だから。

ランカウイに行くのはなんと15年ぶり!ハムザも同じくらい行っていないと言ってたけど、彼は1泊で1回行ったきりだから、どこに泊ったかも何をしたのかもほとんど忘れているレベルでした笑。私は、当時は年1回くらい行っていたのかな、確か。ランカウイはマレーシアに通い始めた最初の頃はよく行っていたんです。情報が多いペナンやメラカは最初みんなよく行くでしょ?私も例外ではなく。そして、ペナンから行きやすい場所として、当時はランカウイも何度か行ってました。まだAirAsiaが就航して間もないくらいの時だったから、国内移動を飛行機で、なんてまだまだ贅沢な発想で、バックパッカーはバスと船が主流でした。当時もペナンからフェリーに乗ってランカウイに行ったのでした。

    

今回はハムザが全部手配してくれて、KLIA2からAirAsiaでひとっ飛び~。朝一番のフライトで…、ランカウイには朝7時半くらいに着いてたよ。はやっ!!

レンタカーを借りる10時まで時間があったので、空港からお散歩をしながら近くの町パダン・マシラッをぶらぶらしました。食堂以外、さして何もない感じですごく良い…。

    

    

    

早起きして(3時起きでしたから…)お腹も空いたし眠いので朝ご飯ということで、ナシルマッやクエがあるお店に入りました。入ったお店はこの辺り。ロティ・チャナイやナシルマッなどのお店がいくつか並んでいました。



この数カ月、マレーシアに来るたび毎回クエ・ラピスを探しているのに見つからず(タイミングが悪いんだよな、いつも)食べられなかった私。このお店で見つけまして!迷わずお皿に盛っていました。ああ、美味しかった。

       

後ろのテーブルにはサロンを巻いたマレーのおじさん達が輪になってテーブル囲んでテ・タレ飲みながら朝の会議をしていて(ただのおしゃべり)、ああマレーシア好き~と思いながら幸せでした。可愛いネコちゃんもいて、写真撮りまくりました。

        

マレーシアで過ごす時間が本当に大好き。連れてきてくれてありがとう。
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イスラムについての正直な悩み

2018-12-20 | イスラムと私
Assalamualaikum.

今回綴る内容は、実は同じことをインスタグラムで長々と正直に綴ったら、思いのほか同じような改宗した日本人ムスリマさん仲間からたくさんDMをいただき…。コメント欄に正直な感想や悩みを書いてくれた人もいらしたけど、やっぱり気持ち的にこっそり悩みや自分の弱いところを打ち明けたい、って感じなのかな、DMで「私も同じです」「共感します」と連絡をくれた方が多かったです。それくらい、私が置かれている状況と同じような気持ちでイスラムに改宗してからの日々を過ごしている人が多いのかも、と改めて思ったのでブログにも書いてみようと思います。要は自分の「できないことの言い訳」みたいなことを綴っている感じもして、読む人からしたらすごくかっこ悪い文章だと思うのですが、かっこつけてもできないものはできないし、嘘をついてもすぐにバレますから、もう本音を書いてしまおうと思っています。私はこんなに弱くて自分に甘い人間なんです、と最初に宣言してしまいます…。

イスラムに改宗をして2年7カ月。すいぶんな時間が経ち、今年はムスリムであるハムザとも結婚して、本当ならイスラムのもことはどんどん前進していかなくてはいけないと分かってはいるのだけど…、イスラムのことはできないことだらけ。

SNSでつながっている改宗日本人ムスリマさん友とお話をすることは多いのですが、改宗の理由はそれぞれ。ムスリムの彼氏さんとの結婚を考え始めてとか、イスラムに興味があってとか、なんとなく笑とか、ある日雷に打たれるように衝撃が走ってとか…(私はわりとこれに近いな)。理由はそれぞれでも、改宗してからその人なりに日々イスラムと接して考えて、という日々を過ごしているよう。(結婚のためのみでその後全く自分がムスリマであることを忘れてるくらい、な感じの人もたまに出会うけど笑) 皆さんとお話してみてわりと聞こえてくるのが、改宗はしたけれど日本で暮らしていて周りにイスラムを信仰する人がほとんどいなかったり、どう勉強していいか分からなかったり、という声。クルアーンを日本語で学ぶということがとても難しい、という声もあるかな。私も英語もアラビア語もできないから、クルアーンは日本語のみでしか理解が進まず、そこは気持ちがとても分かる…。皆さん共通して、勉強しなくちゃ、やらなくちゃと思いながら、気持ちだけが空回りして、どうやって勉強したらいいのかも分からず時間だけが過ぎていって 色々できないまま空白の数年がある、と言う声が多かったです。

なんてことを書くと、「いや、実際できてる人もいるわけだから、ちゃんと勉強しなよ」とか「勉強会とか行ったら」「モスク行けば教えてもらえるよ」さらには「改宗して何年経ってんの」とか、そういう言葉を発する人がいると思うのですが、それはもちろんそうなんだけど、それを分かっているうえで、今こうして気持ちを綴っています。そんな言葉は正論過ぎて何の解決にもならないのでご遠慮いただきたいな…という感じ。改宗した人の全員が強い心や意志の持ち主じゃないし、こうやって迷ったり方向を模索したりというのはとても人間ぽい行動じゃないかなと思うから。しっかり完璧を目指して日々精進できる人ばかりではないです、人間。簡単にできるなら、イスラムに限らず、皆色んなことであっという間に成功をおさめているはずですし。

空白の数年については私も例外ではなくて、何となく見よう見まねでできることはやってみたり、たまに誰かに教えてもらったり、という感じでこの2年7カ月が過ぎてしまっています。礼拝もそのひとつで、ざっくりと「こんなふうにする」というのはできるけど、細かいところはできなかったり、隣の人についてやっているということばかり。本当は、モスクなどに頻繁に出向いてムスリマさんのお友達をたくさん作ったり、一緒に礼拝をしたりして教えてもらえる環境を自分で作っていかなくてはいけないのでしょうけど…(ハムザからもやんわりと「モスクで皆で一緒に礼拝するといいよ」と昔言われたけど) とにかくモスクまで出掛けるのがなかなかできない。東京やマレーシアでたまにモスクに行くと、親切に教えてくれたりする人もいるから、全く進んでないわけではないのだけど…、まあ全然できていません…。

そんな悩みを心に持ちながら、どうしたものかなと思いあぐねていた中、最近見つけたのがこの「ぼくの・わたしのサラー(れいはい)」(ダールッサラーム出版)※リンクからPDF版が開けます。とても便利!

この資料、きっと礼拝を一から学ぼうと思ってネットで検索して見つけている人も多いのではないかと思いますが、「礼拝って、実は細かい動作どうなってんの?」っていう疑問に対し、かゆいところに手が届く感じですごくいいなぁと思う礼拝読本です。

    

        

昨日じっくりこれを見返してみたら、小さな動作とか色々間違って覚えてるなあと気が付きました。改宗して一から礼拝を覚えている皆さんは、最初からこういう動作、ちゃんとできてるんだろうか。子供の頃から親や周囲が礼拝する姿を目にし、日々教えてもらうことができるボーンムスリムと違って、改宗した人達はきっとこういう細かい動作、横で丁寧に指導してくれる人がいないと、なかなか日常で目にすることも少ないし、難しいと思うのですが…。皆さんどうやって覚えたの?とつくづく思います。

こないだハムザに、今書いたようなことをざっくりまとめてちらっと(まだちらっとですが笑)悩みとして話してみたら、「信仰というのは波があるものだから。やったりやらなかったり、改宗者に限らずそういうことはあるよ。」とさらりと答えていて。私がハムザを好きな理由はこういうとこもあるなあと思った答えだったけど(こういうとこもあるって書いたけど、でもハムザのことはまるっと全部大好きですが笑)。ここで「イスラムはこうだからこうしなきゃいけない」みたいながんじがらめな答えを返されても、きっと私には難しかったり大変過ぎて全部を実践できないと思うし、ハムザや家族と一緒にいることやイスラムのことを考えることがしんどくなると思うから。

結婚してからハムザが、イスラムのことを「一緒にやりましょう」と私に声をかけてくれて、私も少しずつだけど、分からないことをハムザに教えてもらいたいとぼんやりだけど思うようになっていて。…というか、私はほぼ99%分からないことだらけなので、全部ハムザに聞くしかないのですが…、ハムザ大変だなあ…。ハムザは人生におけるイスラムの位置づけをとても大切に思っている男性なので、こんな妻でいいんだろうかと思ってしまうけど。

共通の友人であるマレー人男性(ボーンムスリムです)と先日話した時に、「ハムザはイスラムについてきちんと学んでいるから、イマーム(イスラムの指導的役割)とかできるんじゃない?ナオコは色々教えてもらったらいい。最高の先生だよ。」と言われまして。ハムザは私の中では、真面目にイスラムを実践しているけれど、それでいて日本暮らしが長いから考え方も柔軟な人、という見方で。そんなハムザと友人になってマレーシアで一緒に過ごすようになった私はたくさんの影響を受け、イスラムが心の中を占めていくようになったといってもいいくらい。だから、友人がそんなふうにハムザのことを話していて、へ~ハムザってそんなすごい人だったんだ~?と改めて自分の夫を見直しました。

そして、「イスラムのことも、マレーシアでのこれからの暮らしもハムザがいてくれたらなんとかなるさ」みたいな楽観的な気持ちでハムザのプロポーズを受け入れたのだけど。もちろん、ハムザについていけば何ごともうまくいくことは分かっているんですが、それはそれとして、ハムザと夫婦として一緒に道を進んでいくためにも、もっときちんとイスラムのこと勉強しないと、、、と改めて思っています…。
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暑いマレーシアで、真っ赤なバジュソンケッを纏って結婚式

2018-12-19 | マレー人と国際結婚
2018年11月24日、マレーシアで結婚式を行いました。

        

マレーシアのマレー系の結婚式は、新郎新婦それぞれの実家もしくはその土地のどこか会場にて行います。最近は、二カ所でそれぞれ式を行うことは無駄という考え方もあったりして一回で終わりにする方も増えているようですが。この8月に東京でニカー(イスラム婚姻誓約式)を行いましたが、ハムザの実家であるマレーシアのメラカでのお披露目はこの日に。伝統的なマレースタイルの結婚式で、参列者も800人を想定するとか笑、なんせ派手さや規模がすごいので、やっぱりマレーシアでの式がメインだね、という感じでした笑。

    

    

ニカーの時は白のバジュクルンを着ましたが、マレーシアの結婚式では何色を着てもいいので、今回は真っ赤で!

    

私は普段、服を始めとして小物に至るまで赤というカラーを自分で選ぶことはなく…。衣装を決める際にハムザから赤とか黄色はどう?と言われても最初はピンと来なかったのですが、試着をしてみて案外悪くないな、と思い。何よりハムザが「情熱の赤だよ~。燃える赤だよ~。」と、ずいぶんと赤推しで笑。あとは、せっかく一生に一度の機会なので、マレーシア伝統の生地であるバジュソンケッでできているものを着たいという希望もあり。

着てみたら、思いがけずお互いしっくりきたし、ハムザは褐色の肌色にとても似合っていてすごーく男前で本当にカッコよかった~。メラカらしい赤色の衣装っていうのもいいかもと思い、真っ赤にゴールドをあしらったバジュソンケッで決まりました。

        

バジュソンケッはものすごくしっかりと織っている生地なので、超~~~暑いんですよ…!!南国のマレーシアでこんな分厚い衣装着るとか、なんかの罰ゲームなの!?って思うくらい大変だった笑。マレーシアのカンポンスタイルの結婚式は、ずっと屋外で事が進んでいきます。もちろんテントや家の屋根の下なので日陰にはなっていますが、そうは言っても外ですからね…。ちょっと緊張したりすると汗が出てきて大変でした。でも、不思議なもので結婚式という緊張の場にいるからなのか、汗はかくんですけど身体も顔も、目に見える部分に汗は出てこないんですよね。気合いで抑えてるのかな笑。こういう時の緊張感からくる女性の、美を守らねば!みたいな気合いって実はすごいんだな~と我ながら感心しました。ハムザはずーっと汗ダラダラだったけどね。

当然ですが、マレーシアでの結婚式は私にとって何から何まで初体験なことだらけで、終始ハムザが隣にいてくれて教えてもらって、ついていく、という感じでした。何の事前打合せもなくて(聞いてもハムザは「その場でやってみないと分かんないから、説明しても分かんないしさー」という返事ばかり…笑)、その時になって「○○をやるから座って」「次はこれ」という感じでハムザが手をつないでくれて引っ張ってくれる、という、まあなんていいますか、私の人生そのものみたいな行きあたりばったりな一日で、「ああ、マレー人と結婚したんだな~」と改めて思える、とても面白く楽しい一日でした。
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映画「Pinjamkan Hatiku」に現れた、懐かしいパハン州のカンポン

2018-11-29 | Kg. Kuala Linggi & KL 2018
今回、マレーシアでの結婚式を行うためにマレーシアへ行ってきました。カンポンでの結婚式のこととか、楽しかった出来事がたくさんあるのでそれは書いていきたいのですが、まずはマレーシア航空の機内で観た映画でびっくりなことがあったので、それについて。

2015年5月にパハン州のクアンタンに滞在したのですが、少し田舎のほうに行ってみたくなり、バスに揺られてたどり着いたのがスンガイ・レンビンという山間にたたずむ小さな町。その時の記事はこちら。→ 「スンガイ・レンビンの小さなカンポン

山に囲まれているだけあって、マレーシア人の間ではトレッキングなども人気らしく、川(スンガイ)を挟んだメインの町のほうには、小さな宿があったり、食堂やお土産屋さんといったお店もあって、のどかながらもそこそこ人の往来もある雰囲気です。そして、記事内にも書きましたがこの川を挟んで対岸には地元の人達が暮らす小さなカンポンがあり。マレー系の人達がとてもかわいらしいお家に暮らしている様子を見ることができます。対岸からこのカンポンを見つけ、行ってみたい衝動にかられて橋を渡り、人懐こいおばさま達にお家に招いていただいたのでした。

そして今回、機内でマレー映画を観ようかな~と思ってリストを見たら、まあやる気ない感じでマレー映画は1本だけ…。でも、私が好きな俳優さんが出ていたしどうやら好きなラブストーリーっぽいので観てみよう~と軽い気持ちで見始めたのでした。タイトルは「Pinjamkan Hatiku」。

        

ストーリーなどの情報
YouTubeにてトレーラーもあります。

冒頭から自然がいっぱいな雰囲気のシーンが多く、これはマレーシアのどこなのかな?と思いながら観ていて。自然が多いロケ地だと、よくペラ州とかで撮影されたりするよな~と思っていたら…。主役の俳優さんが実家に帰るシーンが登場したところで「あっ!!!」と心臓わしづかみ状態に!このお家、というかこの風景、見たことがある!行ったことある!と衝撃が走りました!大げさでなく、本当にそんな感じだったんです!

  

ドキドキしながら巻き戻し、ゆーっくりと見直しました。そう、これは私が2015年に訪れたカンポンのお家そのものです。この通りを私は行ったり来たりと歩いたのでした。そして、歩いているとお家の人達が窓から顔を出して「どこから来たの?一人なの?」とみんな声をかけてくれたんですよね…、懐かしい。

この窓、私をお家に招いてくれたおばあちゃんも顔を出して、最後見送ってくれたなぁと思い出して。

  

ストーリーもまあまあ面白かったからしっかり観てはいたのですが、それ以上にもう、自分が訪れたこの小さなカンポンが映画の中に突然現れて、そしてそれを瞬時に見つけて思い出したことに感動してしまい、観ながらずーっとうるうるとしっぱなし笑。KLやペナン、マラッカといった大きな町であればロケ地になることも多く、そしてひと目見てすぐに分かるけれど、こんな山間の何にもないカンポンが登場し、そしてそこに自分が行っている、ということがすごく感動的でした。

ひと通り観終わって、もう一度カンポンのシーンとかを見直したり、エンドロールの小さな文字にロケ地の情報を見ようとしたりして、画面に顔をすごい近付けて何度も見ていた私。お隣に座っていた方はいぶかしそうに見ていました…笑

これだけマレーシアを訪れていて、そしてハムザと夫婦になりマレーシアに家族もできた私。そりゃあマレーシアのいろいろな切っても切れない縁はたくさんある、といつも思っているけど、改めて、こうやって私のもとにはマレーシアとの縁がどんどん舞い降りてくるんだなと思いました。もうね、私が「マレーシアと縁を切りたい」と思っても切らせてもらえない運命なんですよきっと。

マレーシアに住むようになって落ち着いたら、もう一度この映画を見たいし、このカンポンに写真を持って行きたいな。おばあちゃん達に会えるだろうか。ハムザと結婚をしたことも報告したら喜んでくれるだろうか。そんなことを考えながら、機内であれこれ先のことを考えて楽しくなった私でした。
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ポートディクソンで観たマラッカ海峡の夕陽と、華人のパサマラ

2018-11-13 | Port Dickson & KL, 2013
2013年に訪れたポートディクソン。なんとこの時、私は金曜日の仕事を定時で終わらせて一旦帰宅し、身支度を整えてから羽田に向かい(当時の職場、そして羽田から我が家は至近です)、24時近いAirAsiaでKLへ。そして土曜の夜はKLに1泊して、翌日日曜日の14時半頃のAirAsiaで東京へ帰ったのでした。そう、1泊2日(厳密には1泊3日ですが)でマレーシアに来てしまったのでした。別に会いたい人がいたからどうしても、とかいうわけではありませんでしたが…。

    

今になり振りかえって、なんでこの時の私はここまでしてマレーシアに来たのかなぁと考えますが、色々と気持ちや暮らしが八方ふさがりになっていて、自分でもどうにもできない気持ちになっていたなぁと。仕事も暮らしも、まあさして大きな目標を掲げて生きていたわけではないですが、それでもなんだかやりたいことや目指しているところに向かうことができずにぐるぐるぐるぐる回っていて、思い切って飛び込んでみた環境もどうも馴染めずで…。全然自分らしく生きていなかった。自分の気持ちに嘘をつきまくって生きていた頃でした。

そんな心境の時だったので、今の私なら冷静に考えて1泊2日でマレーシアなんて行かないのだけど、当時はどうしても逃げ出したくて行ってしまったのかも、と思います。その時はもちろん逃げ出してるなんて気はないのですが、今になって思うとまあ危なかっしい気持ちでいたなあと。加えて当時の私は、仕事は全然面白くなかったけど、無駄にお給料だけは良くて。だからコスト的に考えて1泊2日でマレーシアに行くことも別に無駄にも思わず行ってしまったというのもあります。ああいうお金の使い方、本当に良くないなと今になってみれば反省ばかり。

そんな弾丸マレーシアの旅。1泊ですから遠出はできませんから、KLから日帰りで行ける場所ということで海辺の町ポートディクソンへ。ハムザとマレーシアで会うようになってからは、ハムザの実家が近いこともあって、しょっちゅう訪れるようになりましたが、当時はそんなに行ったこともない町でした。

KLからバスでセレンバンまで行き、セレンバンからまた別のバスでポートディクソンへ。こんな味のあるバスに乗りましたよ。

    

        

セレンバンのバスターミナルでバスの待ち時間にご飯を食べたりしつつ、ポートディクソンのタウンへ到着しました。海が見えるところまで歩いて、しばらく海沿いに座り日が沈むまでマラッカ海峡を眺めていました。夕陽がとても綺麗で、この夕陽を見るためにまたここに来たいなと思ったことは覚えています。そして、これからはいつでも観られますね~。

日が沈んでから町に戻ると、パサマラ(夜市)があったのでちょっとぶらぶら。華人のパサマラでした。

    

        

この時、チャイニーズニューイヤーが間もなく、という時期だったので、町は赤色やみかんが溢れていて。パサマラを彩る町の電飾も素朴な雰囲気でキラキラとしていてとても綺麗でした。

    

このまま帰りたくないなーとぼんやり思いながら、東京に戻ってからのつまらない暮らしを思い、いっそう心が重くなったりして。心を軽くしたくて来たはずのマレーシアだったけど、結局根本は何にも解決してないのだから当たり前なのですが。

でも、この時観たマラッカ海峡の夕陽は何かあると思い出すくらい、私の心の中でのベスト5に入る美しい夕陽にランクインしているし、可愛らしかったポートディクソンの町のキラキラ電飾もマレーシアらしい風景で。最近はポートディクソンに行ってもビーチ沿いばかりにいて、タウンのほうまで行くことはほとんどないので、また今度行ってみたいなあと思っています。久しぶりに町を歩いたらまた何か違うことを感じるのだろうなと思って。
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