日本は、『デーヴァラ』主演タラクさんの来日で沸いていることと思いますが、こちらムンバイでは、『RRR』のロングランなんて目じゃない作品『DDLJ(Dilwale Dulhania Le Jayenge/勇者は花嫁を奪っていく)』がいまだにロングラン中です。公開が1995年の10月20日。その後ロードショー公開が終わった後も、「モーニングショー」とか「マチネー」と呼ばれる午前11時開始の上映を続けて、コロナ禍下でインドの全映画館が封鎖された1年ぐらいの時期を除き、ずーっと上映されてきたのでした。すでに1000週は優に超えているのですが、そのお話はまたのちほど。

上映しているのは、ムンバイにいくつか残るシングルスクリーンの映画館のうち、大手の一つだったマラーター・マンディル。ムンバイ・セントラルという鉄道駅のすぐ近くにあり、ちょっと変わった建物になっていて、昔からエロスやリバティーと並んで名物映画館の一つでした。下の写真は10数年前に撮ったものだと思いますが、そのユニークな形がおわかりいただけると思います。私も1980年代から90年代にかけて、何度かこの映画館に映画を見に来ました。

かなり古びていますが、中はアールデコ調の装飾が各所に残っていて、ホールのロビーに当たるところはこんな感じです。



シャンデリアとかステンドグラス風の壁の装飾とか、美しいでしょう? すぐ上の写真は、下方に金属探知機の枠が見えますが、映画館の入り口です。1958年に1000席の劇場としてオープンしたそうで、1960年代や70年代には、映画公開時のプレミア上映の場としてよく使われたそうです。湾曲した2階廊下の手すりとか、トイレにもあるこの一番上の写真のような寄せ木のベンチとかが、全盛時代を偲ばせてくれます。

11時からというのに、上のチケット販売窓口はなかなか開かず、私が最初に行った10時45分ぐらいは誰もいなかったのですが、やがて11時を過ぎると観客が集まり始め、窓口が開いた11時20分頃には30人ぐらいの列が。周りの壁や塀には、現在のメイン上映作である『Chhaava(獅子の子)』のポスターと共に、『DDLJ』の大判ポスターも貼られています。


『Chhaava』は上写真のように1日3回上映で、料金は2階席が200ルピー、1階席が180ルピー。対する『DDLJ』は、2階席が40ルピーで1階席が30ルピー。5分の1か6分の1の料金で見られます。結局観客は50数人ぐらい入ったようで、これには驚かされました。そして何と、その列に並ぶ観客の中に、日本からちょうどムンバイに来ているソニアさんもいて、感激の再会を。実は、ムンバイに来てからソニアさんの「X」をチェックしたら、どうもニアミスしているみたいで、ひょっとして今日あたり、シャー・ルク・カーン好きのソニアさんが見に来るような予感がして、私も行ってみたのでした。というわけで、窓口のおじさんに「私のチケットの隣の席をこの人にあげてちょうだい」とお願いし、二人で鑑賞したのです。
![]()
『DDLJ』を全然ご存じのない方にざっとストーリーを説明すると、前半はロンドンとヨーロッパで話が進行します。ロンドンで雑貨店を営むインドのパンジャーブ州出身のバルデーウ・シン(アムリーシュ・プリー)は、妻ラッジョー(ファリーダー・ジャラール)と赤ん坊だったシムラン(カージョル)を連れてイギリスに渡り、苦労の末安定した生活ができるまでになったのでした。その間に次女のチュトキーも生まれましたが、望郷の念は捨てがたく、娘は故郷の親友の息子と結婚させることに決めていました。シムランも父の意を尊重する娘でしたが、大学の卒業旅行にヨーロッパを回る旅に友人3人と行かせてくれ、と頼み込み、許して貰います。出発の日、ロンドン発のユーレイルの列車に乗り遅れそうになり、あせって走る彼女を助けて乗せてくれたのが、別の男性3人グループでヨーロッパを回るラージ(シャー・ルク・カーン)でした。
しかしながらこのラージ、根っからのお調子者で、シムランとはそりが合わず、いつも角突き合わすことに。ところが、この二人が途中のスイスで列車に乗り遅れてしまったからさあ大変。様々なトラブルに襲われる中、やがて二人の心は結びついて行きます。ロンドン到着後別れて互いの家に戻ったものの、ラージは父(アヌパム・ケール)から恋したことを見抜かれ、一方シムランは母に芽ばえた恋心を打ち明けている時、それを父に聞かれてしまいます。そして意を決したラージがシムランの家を訪ねた時、シムラン一家は娘の結婚が決まったので故郷に帰る、と隣人に告げ、あわただしくインドへと旅立ってしまっていたのでした。ですが、シムランが残してくれたある物を見て、ラージはシムランの後を追う決心をします。

インターバル後、舞台はパンジャーブ州の田舎の裕福な2件の家に移ります。バルデーウは弟が継いでいる広い実家で共に暮らすようになり、バルデーウの母は大喜び。シムランの結婚相手クルジートは粗野そうな男ですが、彼の父で親友であるアジート・シン(サティーシュ・シャー)とバルデーウは、すぐにでも婚約式と結婚式をやってしまおう、と盛り上がります。シムランもあきらめるのですが、そんな時、早朝の芥子菜畑に、ラージがよく弾いていた曲が流れてきます。何と、彼はシムランを追って、ついにパンジャーブまでやってきたのでした。駆け落ちをするしかない、というシムランに対し、きちんとご両親の許しを得て、君を連れて行く、というラージ。彼はどんな、勝算となる策を持って、やってきたのでしょうか....。
というわけで、最後のクライマックスとなる田舎駅のシーンまで、189分のドラマが展開して行きます。最後はもう10回以上見ている私もうるうるしてしまったのですが、劇場ではいい場面では拍手や指笛、かけ声などが出て、みんなが楽しんでいるのがよくわかりました。わたしの隣は、お母さんに連れられてはるかムンバイ北部から、列車に2時間ぐらいゆられて来たという中学生ぐらいの女の子が座っていたのですが、いいシーンになるとスマホをかざして場面写真を撮ったり、時には歌のシーンを動画に撮ったりしています。まあ、違法なんですが、目をつぶりましょう。あとでお母さんのシャバーナーさんと話してみると、「私はもう2,3回見ているけど、娘がまだ一度も見たことがないので、この近所に薬を取りにきたついでに娘にも見せようと思って来たの」というお話でした。映画が終わってから、この日本人のお姉さんとおばあさんとの一緒の写真を望む人が他にも出てきて、『DDLJ』の看板の前でちょっとした撮影会をやってしまいました。

実はその後、この劇場のマネージャーさんに、どうしてこんな超ロングランを続けられるのか、何がきっかけか、等々を聞いてみたいと思っていたのですが、何だかぐったりして、あきらめようかと思ったところ、ソニアさんが活を入れてくれ、切符切りのおじさんに「マネージャーさんとお目にかかりたいのですけど」と頼んでみました。すると、あっさりマネージャー室に連れて行ってくれ、いらしたお二人にあれこれ説明すると、まだ40歳そこそこに見えるマネージャーのManoj Pandey(マノージ・パーンデー)さん(左)は「じゃ、どうぞそこに掛けて」とお茶まで出して下さいました。そばにはもう一人のマネージャー、S. Gurav(グラウ)さん(右)もいて、二人で私の質問にいろいろ答えて下さったのでした。

まず、今日50人ぐらい観客がいて、意外だった、という話をすると、「いやいや、土日はこんなもんじゃないよ。毎週末は時には満員になるぐらい観客が見に来てくれるし、かけ声を掛けたりして賑やかだよ」とのお話が。ロングランすることになったきっかけは、インドでは何週間ロングランしたか、でヒットの目安にするのですが(25週でシルバー・ジュビリー、50週でゴールデン・ジュビリーと呼んでいたのではなかったかと思います)、マラーター・マンディルの『DDLJ』が500週を超えた時、この映画のプロデューサーであるヤシュ・ラージ・フィルムズのヤシュ・チョープラー(数々の名作を作った監督でもあります)がこの劇場を訪れて、「500週とはすごいね。いっそ、1000週まで続けたら?」と言ったのだとか。で、続けに続けて、現在1,473週目だそうです。「いつまでお続けになる予定ですか?」と聞いたら、「いやー、やめようとするとファンから電話がじゃんじゃん入るんだよ。料金だって30ルピーと40ルピーだよ? 全然儲けにならないんだけど、お客が喜んでくれる限りは続けるつもりでいるよ」との頼もしいお言葉が。お忙しいのに、お話を聞かせて下さってありがとうございました、お二方。

館内には、『DDLJ』に対して贈られたいろんな賞の記念品などが飾ってあり、『DDLJ』記念博物館の様相を呈していました。見たいけど、インドまではとても見に行けない、と思っている皆様、ひょっとすると見られる機会ができるかも知れません。楽しみにしてお待ち下さいね。あ~、シャー・ルク・カーンもまた日本に来てくれないかな...。(下は、2001年9月に来日した時のシャー・ルク・カーン。左はジュヒー・チャーウラー、右は通訳の松下さんです)






