アジア映画巡礼

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力作インドのドキュメンタリー<その2>『人間機械』ラーフル・ジャイン監督インタビュー

2018-07-23 | インド映画

「力作インドのドキュメンタリー<その1>」と題して、7月21日から公開中の『人間機械』をご紹介したのは随分前になってしまいました。こちらの記事ですが、先日『人間機械』のラーフル・ジャイン監督にスカイプでインタビューさせていただく機会があったので、今回はそのご報告です。この監督インタビューは、7月20日付け「しんぶん赤旗」に掲載していただいた拙文「インドのドキュメンタリー映画『人間機械』/繊維労働の苛酷さ、美しさ」をまとめるために行ったものですが、「しんぶん赤旗」のご好意で、インタビュー全文のブログへのアップ許可をいただきました。ありがとうございます。というわけで、ちょっと固いインタビューですが、まずはお読み下さい。通訳は、『バーフバリ』シリーズ等の字幕翻訳者でもある藤井美佳さんです。

© 2016 JANN PICTURES, PALLAS FILM, IV FILMS LTD

Q:(藤井さんより)生年月日を教えて下さい。

監督:1991年6月8日です。

Q:今はどちらから、質問に答えて下さってますか?

監督:ニューデリー、サウス・エクステンションⅡの自宅からお話をしています。

© 2016 JANN PICTURES, PALLAS FILM, IV FILMS LTD

Q:『人間機械』はドキュメンタリー映画第1作だそうですが、それまで映像を作られた経験があったのですか?

監督:もともと軍の学校に行っていて、宇宙飛行士をめざしたりしていたものの、数学が全然ダメで、数学がなくてもいい学校に進もうと思いました。それで、芸術系の大学にいろいろ願書を出したのですが、その中で1つだけ、他と違った学校がありました。それがカリフォルニア芸術大学で、映画の技術を教える他の大学とは違うと感じました。自分はどこかを目指して進んでいく、ということが無理な体質なので、自分にはこの大学以外は無理だと思われたのです。それに、他の大学では卒業すると映画業界に入り、人に雇われて働くことになります。そうではなくて、僕は自分の作品が作りたかったのです。
カリフォルニア芸術大学ではとてもいい先生に巡り会えました。トム・アンダーソンという教授で、他の大学では「何を撮るか」「どのように伝えるか」を教えるわけですが、アンダーソン教授は「何を伝えるか」を教えてくれました。

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Q:なぜ、ドキュメンタリー映画という手法に着目されたのでしょうか。

監督:この世界に何を与えられるか、と考えた時、見つけた手段がドキュメンタリーだったのです。

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Q:工場労働者、それもスーラトの繊維工場を取り上げようと思われたのは、お祖父様がかつて経営者だった、ということがベースにあると思いますが、何かあなたの創作への意欲をかき立てる出来事があったからなのでしょうか。

監督:子供時代の思い出は、記憶を辿ると不確かながらいろんな記憶が浮かんできて、それが今に繋がっています。ドキュメンタリー映画を撮るにあたっては、自分がアクセスできる世界でないと撮れない、と考えていました。僕がアクセスできた世界は、いい意味でも悪い意味でもすごく醜い部分のインドではありますが、工場という世界だったのです。ただ、きっかけとして考えられる出来事が一つあって、それは2013年の4月に、バングラデシュのダッカでラナ・プラザというビルが崩壊した事件です。ビル内に縫製工場などがたくさん入っており、1100人以上の人が亡くなったのです。これは、自分の中では大きなショックを受ける事件となっていました。

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Q:最初20分ぐらいは、短い語りを除いてほとんど会話がなく、ひたすら工場の音が聞こえるばかりです。その後、インタビュー(中年の労働者、少年労働者、年長の労働者、コントラクター(請負業者、2人組の若者労働者、社長)が続き、1時間の節目で突然カメラは屋上にいる布をまとった男性たち6人を映し出します。あの屋上シーンは非常に印象的ですが、どのような意図から撮られたのでしょうか。サリーのように布をまとうことに対して、労働者たちの抵抗はなかったのでしょうか。

監督:おっしゃるとおり、あの布をまとうシーンでは、労働者たちは最初はずごく恥ずかしがりました。そのため、僕自身もサリーを着てみせないとなりませんでした。観客は映画を見ていて、その後どうなるのか、と思ったと思うのですが、あそこではいったん風穴を開けたかった、風を通したかったのです。一度ロジックを変化させて、労働者たちを違う風に見せたかったのです。彼らに布を着させたのは、彼らが作った布は美しい布だということを、彼ら自身にも見せたかったからです。あの部分ははっきりした意図があったというよりも、あいまいな感じで作ったのですが、このシーンによって、観客が彼らを見る視点も変わったのではないかと思います。

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Q:そのすぐあとに、監督とカメラマンが大勢の労働者に囲まれるシーンになります。労働者たちの様々な告発は主として工場経営者に向けられてはいますが、「取材が終われば帰ってしまうんだろ」等々、監督に突き刺さるような言葉もあります。どのような意図で、このシーンを撮られたのですか。また、どのようにして、この状況を作られたのですか。

監督:興味深い質問ですね。あのシーンは偶然だったと言えます。あのシーンを撮る前には車の中にいて、気分が悪かったんです。ちょっと吐いたりもしてね。外に出ないといけないんだけど、体調が悪いしどうしようかな、と思っていたら、外に労働者たちが集まってきて、車の外で彼らに囲まれる形になりました。そこで彼らと話した時に、工場主が言っていたようなこと、「労働者たちはお金を稼いでも送金もしない。嘘つきで、怠け者だ」というのを工員たちに伝えてみました。貧しい人たちを悪く言う、工場主の言葉をそのまま繰り返してみたわけです。言った時には、どんな反応が返ってくるのかわからなかったし、最悪の場合刺されるかも、という危惧もあったのですが、僕がわざと挑発している、ということを彼らも気づいていたようです。彼らの口から工場主に対する気持ちを言ってほしかったのでああしたんですが、状況を作り出したということで偶然とは言い切れないところもあるものの、あの場であんなシーンを撮ったというのは、まったく偶然の出来事でした。

© 2016 JANN PICTURES, PALLAS FILM, IV FILMS LTD

Q:あのシーンを作品からカットする、という方法もあったと思うのですが、なぜ残したのですか?

監督:あれをカットせずに残したのは、映画というのは人生と同じだと思っていたからです。この映画をカリフォルニア芸術大学の先生やクラスメートに見せた時に言われたのは、「君はブルジョワジーだろう。プロレタリアを主人公にする、こんな作品などを撮る資格はないんじゃないか」ということで、だいぶ非難されました。ですが、自分が金持ちの家に生まれたことは自分が選んだわけではない。自分がどんな罪を犯したというのか、そのように生まれついただけだ。この映画を撮ることができたのは、今存在する自分がそこにいたからであって、自分はそのように生まれついたのだと言えます。
ドキュメンタリー映画を撮る上で最も大切だと思うのは、映画は自分を映す鏡だ考えること、映画を撮っていくことで自分も撮られていく、と考えることだと思います。本作に僕の姿は出てきませんし、声も入れていませんが、あのシーンを見てもえらえばわかるように、カメラの影は映り込んでいます。自分の姿や声を排除したにもかかわらず、自分がそこに存在していることがより際立ったのではないかと考えています。それがドキュメンタリー映画というものですね。

© 2016 JANN PICTURES, PALLAS FILM, IV FILMS LTD

Q:最後のシーンで、最初に登場した中年の労働者が、「死ぬ時は金持ちも我々も皆一緒」と言いますが、この言葉で終わりにしたのはなぜですか。「現実は変えられない」というあきらめのように取れますが。

監督:あの労働者は年寄りに見えますが、まだ41歳です。自分は集団というものを信じてなくて、人間の倫理というものは集団になるとゆがんできてしまう、と考えています。どういうわけだか、自分は楽観的な人ではなく、悲観的な人にばかり出会ってしまうんです。裕福な家には生まれたけれど、自分の近しい人や家族を見ても希望が持てず、失望ばかりさせられています。彼らにとっては貪欲さが美徳というか、「貪欲になれ」とよく言われるのですが、僕自身はそういうことにまったく興味がないんです。自分の身近な人たちは、欲というか貪欲さ、それ一筋になっているように思われます。自分がこの中年労働者の言葉を最後に持ってきたのは、普通の人はこの人のように考えている、ということを示したかったからです。この工場労働者だけでなく、普通の人の考えはこうだ、ということを最後に示したかったのです。

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Q:繊維労働者の実態を描くと共に、工場の機械と労働者が生み出す映像と音の「美」というものを見せようという意図があるようにも思えます。そのため工場での各工程の説明がなく、何をしているのかわからないシーンがいくつもありました(例えば、白い布をひとまとまりにして、釜のような中に入れているシーン、あるいは釜から引き出すシーン。これは、糊抜きとか漂白でしょうか)。このような断片的な描き方は、労働者たちは末端の仕事のみをさせられていて全体像を知らない、ということを表しているのでしょうか。

監督:その通りですね。今まで自分から言葉で言ったことはなかったけれど、その通りです。最初は全体像を撮ろうと思ったんですが、そうすると工場の宣伝映画みたいになってしまったので、こういう撮り方を選びました。この映画は繊維産業の映画ではなく、人間の状態、労働の条件を描いた映画なのです。

© 2016 JANN PICTURES, PALLAS FILM, IV FILMS LTD

Q:『人間機械』は、インドでどのように上映されていますか。あなたのドキュメンタリーが上映されたことによって、何かが変わった、というようなことはありましたでしょうか。

監督:本作はまだ、インドでは公開されていません。公開したいと思って、すごく努力はしているんですが。でも、いろんなインド国内の映画祭7~8箇所で上映されました。TV局からの放映オファーはあるのですが、私はやはり公開されることを望んでいます。
実は昨日まで、南インドの茶農園に行っていました。たくさんの女性たちが働いていたのですが、美しい風景の中、工場とは違って壁もない、警備員もいない所での労働です。年取った女性たちが働いているのを見て、自分が作った『人間機械』のことを思い出しました。この映画を撮っていなかったら、彼女たちを見てこんなに気になることはなかったと思います。彼女たちはすごく恥ずかしがり屋で、疲れているようでしたが、今回はカメラを持って行かない旅だった上、カメラを回す許可も取っていなかったため、何も撮ってはいません。ですが、『人間機械』を撮ったことで、そういう気持ちになったのです。
自分の作品が世界を変えたかどうかは、すべての国々に行ったわけではないですし、今は何とも言えません。でも、芸術は何かを変えることができると思います。人間の意識に訴えかけることができる芸術は、単なる情報ではなく、人の経験であったりします。辞書を引くように、こちらとあちらを置き換えるようなものではなく、その人が経験したこと、美意識や問題意識を写したものが芸術だと思うのです。映画の制作を通して、どのように生きていくのか、世界をどのように捉えるのか、といったことを自分は考え続けていくと思います。それが、今後も私がやっていくべきことだと思っています。

「人間機械」予告編


『人間機械』はもうご覧いただけたでしょうか。これから劇場においでになる方は、パンフレットにもぜひご注目を。

こんな、約15㎝角のかわいいパンフなのですが、中身はすべてモノクロで、そのデザインがハンパないインパクトなのです。読みやすいとは言えないものの、「この映画、ただ者じゃないぞ」感満載です。デザインがあまりにも凝っているので、クレジットを調べてみたら、河村康輔というお名前が出ていました。ググってみると、グラフィック・デザイナーやコラージュ・アーティストとして名の知られた人のようで、1979年生まれというから、まだ若い方ですね。劇場にいらした時には、ぜひ忘れずにお求め下さい。上羽陽子先生の解説文や、岡田温司、結城秀勇、那倉太一、持田保諸氏の論考が掲載されています。

なお、ユーロスペース(HP)では現在1日4回、12:00、13:30、15:00、19:00と上映中。7月28日(土)以降は時間割が変更となりますので、上記劇場ホームページなどでご確認下さいね。71分の作品ですので、お仕事帰りにでもぜひどうぞ。

 

 

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