丹生川上神社中社 奈良県吉野郡東吉野村小968
丹生川上神社・中社 奈良県吉野郡東吉野村小(おむら)968 現在の丹生川上神社中社は、大正4年に郷社蟻通神社に丹生社の神体を遷し、社名を変更したもので、「丹生神祠」は、現在の摂社丹生神社をさす 御祭神-罔象女神(みづはのめのかみ)鎮座地は神武天皇が天神の教示によって天神地祇を祀り、戦勝を占った地であり、白鳳4年(675)に罔象女神を御手濯(みたらし)川(高見川)南岸の地に奉斎し、その後現在地に遷座した。神社の境内地は、諸説ある吉野離宮跡の一つと伝えられている。 Wikipedia
丹生川
鳥居
祈雨祈願の黒馬と止雨祈願の白馬の絵馬.
本殿への廊下
本殿
なでふくろう
蟻通橋
丹生川上神社 摂社 丹生神社 祭神 罔象女神
摂社 本殿
摂社
御祭神弥都波能売命.
扉の絵
神武天皇と鮎 神武天皇が東征の時に、天神の夢の訓があり、「丹生川上の紺碧の深い淵に厳瓮(いつべ)(橿原市香具山の土にて作った壷)を沈めて、天神地祇を敬祭せよ」、魚が木の葉のごとく流れれば戦に勝てると云われて、その様にしたら、見事、予言のとおり魚が腹を浮かせて川を流れ神武天皇は、大和平定を完遂して、畝傍山の麓「橿原宮」で即位しました。そこで、大和平定を感謝し、誠を捧げてこの地名が生まれました。その時、占った魚があゆだったことから魚に占うと書き鮎と名前が付いたとされている。
ゆめはし
神橋 蟻通橋
蟻通橋
夢渕
吉野離宮跡
丹生神社摂社の摂社
奥・本殿 手前・西殿
木霊神社 由緒
境内社 木霊神社
木霊神社
神木と本殿
西殿・手前 本殿・奥
西殿
丹生の眞名井
東殿
参考 ニッポンはじまりのたび NHK