豊国廟(阿弥陀が峰)ほうこくびょう 京都市 東山区今熊野北日吉町61-1 京阪七条から京都女子大ゆきバスですぐ
阿弥陀が峰は196m 石段は489段あり、何回も休んで上まで行った 秀吉は1598年薨去され、阿弥陀が峰に墓所がある
太閤坦
入り口
高さ10m
漏世公子は豊臣秀頼の子国松(1608?~1615)のことで,法名の漏世院殿雲山智西大童子からとった称。寿芳夫人は豊臣秀吉の側室松の丸殿(?~1634)のことで,法名の寿芳院殿月晃盛久からとった称。
国松は元和元(1615)年5月8日の大坂落城のあと,家臣田中六郎左衛門と乳母の手によって逃れ,伏見に潜居したが発見され,京都六条河原で処刑された。祖母淀君のいとこでもある松の丸殿が哀れみ,国松を京都寺町の誓願寺中に葬った。松の丸殿は誓願寺再興時の施主であり,晩年は寺内に住んだことから自分の墓も国松の墓と並んで建てさせた。明治に至り新京極の開設など近辺の環境悪化を理由に,明治44年秀吉ゆかりの現在地に改葬した。この改葬の経緯を記したのがこの碑である
豊国神社 大阪 2014.03.25
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唐門・国宝