昨夜(8月8日)、突然入った翁長知事の訃報。もう言葉もでないほどの衝撃だった。今日(9日)の講演の準備もほとんどできず、未明に目覚めてそのまままんじりともせずに朝を迎えた。
今回の2014年からの辺野古新基地建設反対運動の経過を振り返っても、何故、こうも辛く、悲しいことが続くのかと思う。一緒に闘ってきた親しい船長仲間・友人の死、運動を牽引されてきた大先輩の死、博治さんたちの長期不当勾留、権力のすさまじい弾圧に心を壊されてしまった仲間(彼はその後、回復してくれたが)、稲嶺前名護市長のまさかの敗北、そして翁長知事の発病とあまりに早い死去---思い返すだけでも辛く、悲しい。
今日(9日)は、午前中、沖教組中頭支部の夏期講座の講師に呼ばれ、辺野古の話しをした。最初にやはり翁長知事の死去の話から入らざるを得ない。少し話しているうちに、突然、胸がつまり、こみ上げるものがあって言葉が出なくなってしまった。
それでも、今後、県民が決して諦めずに抗議を続け、そうした県民の支えをもとに知事が毅然と対応する限り、辺野古新基地建設事業は必ず頓挫するという話をした。9月末にも行なわれる知事選の結果が、今後の辺野古新基地建設事業の帰趨を握る。
うちひしがれていることはできない。なんとしても知事選に勝利しなければならない。安倍政権によって死に追いやられた翁長知事の無念を晴らさなければならない。
午後は辺野古に向かう。さすがに今日は大勢の人たちが集まっていた。
午後4時から、シュワブの工事用ゲート前のフェンス等の道路占用許可について沖縄総合事務局北部国道事務所との交渉を行なった。大型バスで駆けつけた人たちを含め、100人以上が集まった。交渉内容については後日、詳しく説明するが、防衛局のいいなりになって、歩行者の安全を無視して歩道を塞ぐ占用許可を出した沖縄総合事務局の責任は大きい。
我々の質問に対して、沖縄総合事務局はほとんど答えることができず、交渉は紛糾した。2時間ほど交渉を続けたが、全く埒があかないことから、来週にも再度の話しあいを求めて、今日の交渉は終った。