チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

普天間基地ゲート前で頑張っていたHさんが急逝された! 15日に告別式

2019年09月14日 | 沖縄日記・辺野古

 突然の訃報が入った。毎朝、普天間基地野嵩ゲート前で頑張っていたHさんが、急逝されたのだ。あまりのことにしばらく言葉も出なかった。

 2012年9月、普天間基地にオスプレイが強行配備されるというので、私たちは基地の全ゲートを封鎖するなど、懸命の阻止行動を続けた。オスプレイが配備されてしまった後も、大山ゲート前や野嵩ゲート前での抗議行動が毎日、続いている。

 私は当時、毎朝、大山ゲート前に行っていたが、時間のとれるときは野嵩ゲート前の行動にも参加した。そこで、お会いしたのが、Hさんだった。鉄工所を経営されていたが、毎朝、早朝、仕事前に野嵩ゲート前に来られていた。一人、黙々と幟や横断幕等の準備をされた後、少ししわがれた大きな声で米軍車両に抗議をされていた。拡声器などいらない。満身の怒りが込もった、凄まじい迫力の抗議行動だった。顔いっぱいに髭をはやし、一見、強面だが、実にやさしい目をした方だった。

 私は、辺野古新基地建設事業が始まってからは、普天間のゲート前には行けなくなったが、Hさんは、多くの仲間たちとともに、その後も連日、野嵩ゲート前での抗議行動を続けられていた。9月11日の朝、ゲート前に彼が来ないので、心配した仲間が鉄工所に行ったところ、Hさんが一人、倒れていたという。すぐに救急車で搬送されたが手遅れだった。死因は脳出血。最近は特に仕事が忙しく、疲れておられたそうが、それでも毎朝の抗議行動の準備や片付け作業を続けられていたという。まだ、59歳。あまりに早すぎる。

 普天間基地大山ゲートの仲間では、昨年、宮里洋子さんが亡くなった。辺野古ではさくらさんも死んでしまった。あまりに悲しい知らせが続く。

 心からご冥福をお祈りしたい。

          (9月15日の告別式)

 

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