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チョイさんの沖縄日記

辺野古や高江の問題等に関する日々の備忘録
 

琉球セメントと闘った民衆の記録・『うまんちゅのすくぢから』(石原昌家著)に学ぶ --- 煤塵公害に抗議し、8日間の座込みで工場を封鎖!

2020年01月10日 | 沖縄日記・辺野古

 辺野古への土砂が搬送されている琉球セメント安和桟橋の前には、琉球セメント屋部工場がある。埋立土砂は琉球セメント安和鉱山から出され、同社の桟橋から辺野古に海上搬送されている。まさに辺野古の埋立は琉球セメント社の全面協力によって実施されているのだ。

 先日、興味深い本を入手した。『うまんちゅぬすくぢから --- アメリカのカイザー資本・琉球セメントと闘った民衆の記録』(1979年 晩聲社)という石原昌家さんの本だ。

 琉球セメント屋部工場は1964年に創業を開始したが、それと同時に、悪臭を伴うセメント煤塵が安和を襲うようになった。以前は企業誘致に奔走した地元住民だったが、あまりの被害に「安和・勝山区煤塵対策委員会」を組織し、地域ぐるみの反対運動に立ち上がった。

 当時、琉球セメントの筆頭株主はカイザー社というアメリカ資本、さらに地元屋部村長から立法院議員となり、元自民党副総裁として大きな影響力を持っている吉元栄真氏が常務だった。

 しかし住民らは屈っしなかった。2年間に30回もの交渉を続け、さらに69年11月には工場正門前に250人の住民が座り込み、8日間にわたって操業を阻止した。

 そして71年6月、会社との間で妥結の覚書をかわし、反対運動は終了した。煤塵の降下量を激減させ、一応の被害補償も勝ち取ったという。

 石原昌家さんは本書の最後の「公害反対闘争の成果」で、この運動を大きく評価している。たとえば、「村落の世襲的役職者支配の構造を崩壊させ、民主的な村の運営が可能になった」、「県外各地、沖縄各地に公害調査を実施し、被害住民・研究者との交流を通して民衆レベルにおける連帯性を認識した」、「闘争対象の企業内労働組合との協力関係を維持した」、「学習活動を積み重ね、理論的・論理的思考を深めた」というような点だ。

 さらに、名護市の取組を評価し、「現在、名護市が沖縄では最も先進的な公害行政のもとに、幅広く環境問題に取り組んでいるのは、セメント公害反対闘争が大きく影響していると思われる」とされている。

 以前にも紹介したことがあるが、名護市は市内の各鉱山(採石場)との間に公害防止協定を締結している(残念ながら本部町にはない)。こうした取組も、このセメント公害反対闘争とも関連していたようだ。

 沖縄では反基地闘争だけではなく、こうした地域の公害反対運動にも学ぶことが多い。現在、さらに詳細な活動記録を取り寄せている。入手次第、紹介したい。

 

  昨年10月、琉球セメント屋部工場の前に、辺野古への土砂搬送に抗議する県民らが押しかけた。1969年の公害反対闘争以来、50年ぶりの光景だったと思われる。

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