日本人のルーツ2
日本人の主な祖先である、弥生人は、朝鮮半島の南部から、紀元前3世紀
ごろから、日本列島に渡来するようになりました。
その要因は、満州から朝鮮半島北部に発展しつつある、後の朝鮮族に圧迫
されつつあったからです。彼らは、すでに国家を形成しつつあったのです。
そして、新天地を求めて、九州や山口に渡来し、ごく一部縄文人と混血し
ました。
弥生人は、農耕民族、縄文人は狩猟漁労民族なので、お互いの生活領域で
利害が対立することは少なかったでしょう。しかし、時には武力闘争も起こった
と思われますが、金属の武器をもっていた弥生人に縄文人は、かなわなかったでしょう。縄文人は、東方へまた、九州南部から琉球へと追いやられていったと
思われます。
この過程は、戦前に行われた、日本人の形質調査でも浮き彫りにされています。
縄文人と弥生人の混血度合いが、九州では、1対9 関西では、2対8 関東では、
3対7ということに現れています。また、沖縄には、彫りが深く毛深い形質の
人と色が白く平たい顔の人がいて、そのコントラストには興味深いものがあります。これは、この混血過程を物語るものではないでしょうか。
今日は、ここまでとします。
日本人の主な祖先である、弥生人は、朝鮮半島の南部から、紀元前3世紀
ごろから、日本列島に渡来するようになりました。
その要因は、満州から朝鮮半島北部に発展しつつある、後の朝鮮族に圧迫
されつつあったからです。彼らは、すでに国家を形成しつつあったのです。
そして、新天地を求めて、九州や山口に渡来し、ごく一部縄文人と混血し
ました。
弥生人は、農耕民族、縄文人は狩猟漁労民族なので、お互いの生活領域で
利害が対立することは少なかったでしょう。しかし、時には武力闘争も起こった
と思われますが、金属の武器をもっていた弥生人に縄文人は、かなわなかったでしょう。縄文人は、東方へまた、九州南部から琉球へと追いやられていったと
思われます。
この過程は、戦前に行われた、日本人の形質調査でも浮き彫りにされています。
縄文人と弥生人の混血度合いが、九州では、1対9 関西では、2対8 関東では、
3対7ということに現れています。また、沖縄には、彫りが深く毛深い形質の
人と色が白く平たい顔の人がいて、そのコントラストには興味深いものがあります。これは、この混血過程を物語るものではないでしょうか。
今日は、ここまでとします。