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心のたねを言の葉として

2021年、東京オリパラが残したもの ①コロナ        関川宗英

2021-09-21 08:54:05 | 新自由主義

2021年、東京オリパラが残したもの ①コロナ        関川宗英



 2021年9月5日、東京パラリンピックの閉会式だった。

 これで、7月23日から始まった2020東京オリンピック・パラリンピックは全て終了したことになる。

 アスリートのひたむきな姿は美しく、感動的で、私たちを魅了するが、それでオリンピックはよかったとはならない。

 2021年の東京オリンピック・パラリンピックは多くの宿題を私たちに残した。




 コロナ禍、日本では感染者が最多を更新する中、無観客でオリンピックは強行された。

 バブル方式で万全の感染対策だったということだが、9月8日のNHKの報道によれば、感染した選手はオリパラ合わせて、41人いたそうだ。そして大会関係者やメディア、ボランティアなど全体では863人となっている。

 幸い、選手村で感染爆発などということにはならなかったようだが、この「863人」は見過ごせない。



 一方、オリンピック開催中、デルタ株は第5波として全国で猛威を振るうようになる。

 

 NHKの「特設サイト 新型コロナウィルス」のデータから、7月と8月の感染者数、死亡者数を計算してみた。

 

          感染者数     死亡者数

   7月     12万6607人     410人

   8月     56万4201人     875人  

 

 8月の感染者数は、7月に比べ、5倍近く増えている。死亡者数も2倍強だ。(9月に入り感染はピークアウトし始めるが、死亡者数は増え続け、9月15日までの合計は915人となっている。死亡のピークは、感染のピークの後にやってくる。)

   

 

 このように8月、感染は急増したわけだが、病院への入院はままならず、全国で自宅療養者が増え続けた。厚生労働省は、9月1日の自宅療養者数を13万5674人と発表している。

 自宅療養は「原則2週間」として、9月1日直近の2週間(8月18日~31日)の感染者数を合計すると、30万7933人だ。この直近2週間の数字から自宅療養者数の割合を単純に計算すれば、大雑把にいって、2人に1人が自宅療養していることになる。

 

 さらに深刻なデータは、自宅療養など病院以外で死亡した人は、8月だけで250人いたというものだ(9月14日朝日新聞)。

 これは、まさしく医療崩壊だ。

 

 毎日のようにコロナの深刻な状況を伝えるテレビは、医療崩壊寸前などという枕詞がいつも使われていたが、医療崩壊は現実のものになっていた。日本の国民は満足な医療を受けられず、ひたすら家で熱を測り、パルスオキシメーターを指に挟んで、病態の急変に怯えていたわけだ。いよいよ呼吸が苦しくなり119番緊急要請しても、病院に入れない人が続出した。コロナ感染した妊婦が病院の受け入れ先がなく、自宅で出産、新生児が死亡するという悲惨なニュースもあった。死後2週間後に発見された…、保健所からの連絡がない…、毎日のようにテレビはコロナで救われなかった人のことを悲しい面持ちで伝えてくれる。が、そのニュースの直後、「では日本選手の活躍を!」と大音量のテーマソングと共に番組はオリンピックに切り替わる。私は毎日テレビの前で、不条理な気持ちのねじれに身をよじられる思いだった。



 菅義偉首相は2021年6月9日、野党4党首との党首討論で、この夏の東京オリンピック・パラリンピックについて「国民の命と安全を守ることが私の責務。守れなくなったらやらないのは当然」と語った。

 6月の頃は、コロナ感染者が減少傾向にあった。しかし6月後半には増加傾向に転じ、7月12日東京が緊急事態宣言となる。その後も感染者はじわじわと増えていき、オリンピックは開催できるのか不安の声が多くなる。しかし、菅首相は「国民の命と安全を守る」と同じ言葉を繰り返すだけだった。

 そして7月23日、オリンピックは開催された。この日の感染者は4225人だった。それから1週間後の7月30日は1万743人と約2.5倍に増えた。そして、菅首相が広島で原稿を読み飛ばした8月6日は、1万5634人と4倍近くになる。

 

 2021年1月の感染ピークでは、1月8日の7957人が過去最高の感染者数だったが、オリンピック開催後、その記録をあっさり更新しまう。

 

 

 8月6日、広島の原爆式典後の会見で、菅首相は「東京の繁華街の人流はオリンピック開幕前と比べて増えておらず、オリンピックが感染拡大につながっているという考え方はしていない」と述べ、感染拡大とオリンピックの関係を否定した。

 

 コロナとオリンピックの因果関係について学術的な分析を待ちたいが、今問題にすべきは、医学的な分析にかなうデータを日本が持っていないということだ。

 

 そもそもコロナ感染拡大の因果関係など、日本の検査体制ではとても追える状況にない。

 ニューヨークは「いつでも、どこでも、何度でも」PCR検査を受けられるそうだが、日本の場合PCR検査数そのものが増えていない。

 



 日本の人口1000人当たりの検査数は0.71件(2021年8月11日)、最も多いのはイギリスで10.97件。なんと、日本の15倍である。

 

 さらに、検査数の少ない日本のコロナ陽性率は海外に比べ、当然大変高いものになっている。

 川崎市が毎日発表しているデータをもとに、コロナの感染状況を丁寧にまとめているブログがある(武蔵小杉ブログ(武蔵小杉ライフ 公式ブログ) (shinobi.jp) )。このブログからの引用だが、「8月2日(月)~8月8日(日)集計データ」で、陽性率は46.1%だったそうだ。

 AERAに「神奈川・川崎市で1日あたりのコロナ陽性率「95%」相当を記録? 異様な高さになった理由とは」(https://dot.asahi.com/dot/2021081900053.html?page=1)という記事でも、陽性率の異常な高さを取り上げている。この中に、次のような保健所の方の話が紹介されていた。

 

「濃厚接触者などが公費負担で受けられる行政検査は、検査した翌日に市に実績が報告されます。しかし、民間のクリニックなどが独自に行う自費検査で出た結果は、必ず翌日に報告が上がってくるわけではなく、なかには1~2週間遅れて報告があるケースもあります。市が発表する陽性者数は、その日の公表時点までに集まった数字のため、誤差が生じます」(川崎市健康福祉局保健所感染症対策課)

 

 これでは陽性率が異常な高さになるのは当然だろう。

 だが、この保健所の方の話から日本全国の検査体制の実態もうかがえる。つまり、今コロナの現場では、深刻な症状が出ている人とその濃厚接触者を検査するだけで追われているということだ。私たちが知るコロナの感染状況とは、深刻な症状の患者と濃厚接触者 が受けた検査の集計結果ということになる。すると、感染はしているのに無症状の人が市中にどれだけいるのかなど、今の検査体制では全く分からない。

 

 日本の少ない検査数では、感染拡大の因果関係など把握できるはずがない。

 



 金メダル!、世界新記録!、オリンピックの喧噪の最中、コロナが第5波となり、PCR検査を受ける体制が整っていなかったこと、熱が出てもすぐに医療の支援が受けられず自宅待機を命じられる、といった日本の医療の実態を私たちは目の当たりにする。

 入院どころか、ホテル隔離もままならず、感染者、死亡者は増え続ける、この事実を前に、国民の命を守ると言った政府は何をしているのか、と多くの国民は不安と怒りの渦に巻き込まれていく。

 

 8月8日、東京オリンピックは閉会した。が、その後も感染者は増え続け、8月20日には史上最多の、2万5868人の陽性者を記録する。

 

 オリンピックはコロナ感染拡大の原因とは言えない、と日本の首相は強弁するが、今、コロナで苦しんでいる人がいる、死んでしまった人がいる、医療崩壊の現実を前に、無策としか映らないそんな政府を私たちは毎日テレビで見る。令和おじさんの虚ろな目、重みのない言葉、法に定められた臨時国会の声にも応えない政府、2021年の8月、時間は過ぎていく。

 

 8月24日、東京パラリンピック開催。

 

 8月25日、政府は緊急事態宣言地域など拡大を発表。その記者会見で、菅首相は、「明かりははっきりと見え始めている」と言った。新型コロナの感染者が日ごとに増え、収束が見えない国民の実感とはかけ離れた発言だった。

 

 8月だけでコロナで875人もの命が失われた。菅首相はこのことをどう受け止めているのだろう。彼には、国民の命を預かっているという重みはとても感じられない。

 

 9月3日、菅首相は辞意を表明する。菅義偉は、安倍晋三に続いて政権を投げ出した。





 菅義偉首相は今年1月の施政方針演説でこう断言していた。

「夏の東京オリンピック・パラリンピックは、人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたいと思います」

 

 2021年夏の東京オリンピック・パラリンピックは、コロナ禍の中強行開催されたが、感染を広げ、多くの死者を出してしまった大会として、人類の記憶に残るだろう。

 

 これだけの犠牲を出してしまったオリンピック。当初7千億と言われていた開催費用は3兆円を超えるとか。金がかかりすぎる、競技が多すぎる、アメリカのテレビのために深夜に行われる決勝、オリンピック見直しの声が出るようになってもう何十年になるだろう。市場原理主義、新自由主義が格差をますます広げている。オリンピックの意義や規模について、私たちはしっかりと考えなければならない時期に来ている。

 

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