chuo1976

心のたねを言の葉として

ⅩⅩⅥ  彈眞空を観る聴く 『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2015/1/14

2015-01-14 13:48:47 | 文学
ⅩⅩⅥ  彈眞空を観る聴く       『エイガニッキ』 SASHI-ハラダ  2015/1/14
 
 
  尺八の演奏会です、暫く演奏会を聞いていなかったので、とても、新鮮です、邦
楽の世界を余りに何も知らないので、この演奏会の音を言葉にするのは、少しばか
り、いや全くもって身勝手とも想いますが、ニッキという気ままな語りならば、演奏
を聴いた者の、自由な言葉遊びならば、そんな遊び事に付き合う者は誰も居ないで
しょうが、それでも、私には、この遊びが、理解の、音に対面しての、可能性の始ま
りなのですから、演者は虚無僧の姿で現れます、演奏の最中に歩きます、歩きながら
演奏をするのです、虚無僧ですから、元々、祈りの世界とも言えるのでしょう、演奏
の合間には、言葉を発します、お経とも、哲学とも、祈りとも、判りません、そうし
た言葉は此処では、私には、関心が在りません、一途に、音の在処です、発せられ
た、音が、どこに、部屋の空調の音も止めもして居ません、此処は、カフェですか
ら、注文の料理も、飲み物も運ばれ続けています、こうした場で、間で、音が、揺ら
めきます、演者は前向きに近づき、背を向け離れ、音の動き、決して、高鳴りはしま
せん、が、とぎれることなく、もちろん息づかいが在るのだから、間は在りますが、
曲が終わるまでは、持続する音、中空を彷徨い歩く音、どんな、解釈も拒んで、あな
たの、理解は、まだまだですよと、問いつめます、しかし、私は、愚か者ですから、
俗ですから、あらぬ事に気を取られます、この演奏会に来るまでの列車事故のこと、
前に座っている女性のこと、お茶を運ぶ店の人の姿、見てきた映画のこと、馬鹿な、
下らぬ仕事のこと、いけない、気持ちを集中しなくては、音について行かなくては、
斯く、音とイメージと解釈と散漫との行きつ戻りつの中に、逆に、私が露わに、この
私とは、演者に問いかけられて、私とは、日常の中で、とりあえず、生活故に、在っ
てしまうに過ぎない、私、日本という世界に捕らえられてしまった私、今ある日本語
たちに押さえ込まれた私、喧噪の響きの間に聴覚を錯乱されている私、かくて、この
私が、また、彈眞空の音に向かいます、向き合えと勧める力のある音が在るのですか
ら、私など振り捨てろ、心地よいメロディーが現れても、直ぐに次に展開してしまい
ます、響きの度合いも、全てに同じではないのです、リズミカルに乗ろうとても突き
放されます、己の息づかいまでもが見えてきます、テーブルのワインを口にします、
旨いです、最高に、心地よい、間があるのです、此処には、次なる曲が始まります、
さて、何が、見えますかしら、現れますかしら、  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

札幌国際芸術祭

 札幌市では、文化芸術が市民に親しまれ、心豊かな暮らしを支えるとともに、札幌の歴史・文化、自然環境、IT、デザインなど様々な資源をフルに活かした次代の新たな産業やライフスタイルを創出し、その魅力を世界へ強く発信していくために、「創造都市さっぽろ」の象徴的な事業として、2014年7月~9月に札幌国際芸術祭を開催いたします。 http://www.sapporo-internationalartfestival.jp/about-siaf