中華街ランチ探偵団「酔華」

中華料理店の密集する横浜中華街。最近はなかなかランチに行けないのだが、少しずつ更新していきます。

寿町のひとびと

2021年11月03日 | レトロ探偵団

 昨年発行されてから気になっていた本、『寿町のひとびと』。他に読みたいものがあり、なかなか順番が回ってこなかったのだが、先月、やっと買って来て読み終えた。
 著者の山田清機さんは6年間も寿町に住みながら取材を重ねてきたという。私も若い頃は寿のドヤに宿泊して、そこから出勤しようなんて考えていたことがあったが、あの頃はコトブキといったら怖い町だったので、1泊もできずに諦めていたのを思い出す。


 当時は町内に職業安定所があり、仕事で労務担当をしていた私は、毎月1回はそこを訪れていた。詳しい内容は忘れてしまったが、退職する人が多かったため、その届を出すためだったと思う。
 職安に行くにあたってはスーツを着て行かないようにしていた。なんとなく、あの町を通過するには相応しくない格好だと、勝手に思い込んでいたのだ。
 それで安全靴を履き、冬場ならドカジャンを着込んで職安へ向かった。当時は今みたいにハゲではなく、髪の毛はフサフサどころか、長いこと床屋さんに行っていないような長髪だったので、仕事で職安を訪問するサラリーマンというより、仕事を探しに来たヤツと思われたのか、よく手配師に声をかけられたものだ。
 昭和の時代には建設現場の仕事がたくさんあった。
 「〇〇時に来たら車で現場まで運んでいく。日当(どんな言葉を使っていたのかは忘れた)は〇〇円(金額は覚えていない)」とか言われて興味を持ったのだが、これは勤務先にバレたらヤバいし、第一、身体が持つかどうか分からなかったので、いつも「私は仕事できています」と言って断っていた。

 この本を読んで、昔のそんなことを思い出した次第。
 さて、著者の山田さんが6年間住み込んで取材した結果がこれだ。


 14話、それぞれスゴイ話や、「あ~そうだったのか」と思わせる話、ホロリとさせられる話が綴られている。
 以下はタイトル項目ではなく、自分なりのメモと思っていただきたい。

1 昭和19年生まれ
2 日本人とアメリカ人のハーフで、大学にも通っていた元翻訳家
3 栃木県生まれ昭和21年
 これは少しだけ内容を記しておこうと思う。

 実家は畳屋で300坪の家だった。小学校から手の付けられない暴れん坊。
 中学を卒業してゴム工場に住み込みで働くようになった。
 しかし、先輩とけんかして2か月で退社。
 そのあとクリーニング店に就職したが、そこも辞めて畳屋に勤めることになった。
 しかし、そこも退職し次の畳屋へ。
 ここで先輩から競輪を教えられて、給料をすべてすってしまう。
 その後は田舎と東京を行ったり来たりするが、再び畳屋に勤めることに。
 しかし、そこでまた競輪にハマってしまう。
 やがて、スナックで知り合った子連れの女性と3人で暮らし始めるが、その後、どこかから2人の子どもをつれてきて、結局、5人暮らしに。
 ところが、ある日、女性には夫がいたことが発覚。刺青をした夫が手下を連れて乗り込んできたのだ。そこでビール瓶を持って応酬、夫は逃げて行った。
 そして、30歳になって子供が一人生まれた。そのあとも次々生まれ総勢7人の子持ちになり、4畳半と6畳のアパートで9人が暮らす。
 収入を得るため女性をキャバレーで働かすようになった。
 そこで浮気をされたため、包丁を持って相手のところへの乗り込み、アイスピックで刺してしまい刑務所へ。
 出所後は別の畳屋で働き8人を養うが、月80万円の収入があったため再びギャンブルにのめり込む。
 そのうち、畳屋でも金銭トラブルが原因で辞めることに。
 そんな荒れた生活をしているとき、コンビニで棚をひっくり返し拘置所へ。
 出所後、再び畳屋へ就職するが、そこも辞めて家に帰ったら入れてくれなかった。
 仕方なくNPO法人で施設暮らしを始めるが、そこも追い出され中区役所で宿代を借りて寿の簡易宿泊へ。
 同時にアルクにも通い始めた。
 しかし、そこを卒業したら再び飲酒、大暴れで警察に。
 そしてアル中専門の病院へ入れられ、退院したら行先はドヤしかなかった。
 やがて脳梗塞で入院。平穏な生活を送っていたが入院先で死亡。

4 寿学童保育
5 帳場さん
6 さなぎ達
 ※参考に寿カレー寿町で「ひとり花見」
7 警察官
8 寿共同保育
9 山多屋酒店
10 寿生活館 田中俊夫 野本三吉 高沢幸男
11 村田由夫
12 益巌

 この本の中で、「3人の子を抱えた夫婦が路上生活」という事例が出てくる。この家族は今、どうしているのだろうか。

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 ところで、これを読んで思い出した本がある。佐江衆一の『横浜ストリートライフ』である。この作家は昭和58年に起きた横浜浮浪者襲撃殺人事件の背景や問題の本質を追うため、やはり寿町の簡宿に泊まりこんで取材をしている。ただし、対象は「寿町のひとびと」ではなく、いわゆるホームレスと呼ばれる人たちだ。


 本の表紙はなぜか、村雨橋際の「ポールスター」である。その右隣りには「スターダスト」。若い頃はどちらにもよく行ったもんだ。「ポールスター」にはピアノが置いてあり、そこにベースやドラムを持ち込み、パーティーをやったことを思い出す。

 その村雨橋といえば、飛鳥田市長時代のことだが、こんな事件もあった場所なのである。もう忘れ去られているかな~。 



 さて、佐江衆一の『横浜ストリートライフ』の表紙裏には、こんな写真が載っている。これは衝撃的な事件だった。


 殺された須藤さん。撮影したカメラマンの徳田さんは何回も山下公園を訪れ、ホームレスの須藤さんたちと交流を重ねていたのだった。


 佐江衆一は寿町の簡易宿泊所に泊まり込んで、取材を始めた。


 タバコの灰が長い!! スパスパやっていたのかな。


 ドヤの宿泊証明書。


 山下公園で須藤さんと仲の良かった先輩、ヘミングウエーとかボヘミアンと呼ばれた永井さん。明治生まれ。


 裏表紙。永井さんと語らう著者の佐江衆一。後方に写っているカゴが例のものだろうか?


 徳田カメラマンが最初に知り合った清田さん。


 30年前の夜間女子高生。襲撃事件後、永井さんのもとには、こんな女子高生が訪ねて来ていたのね。
 彼女たちはもう50歳近いのかな。

 山田清機さんの『寿町のひとびと』を読んで、佐江衆一、横浜浮浪者襲撃事件、村雨橋事件まで思い出した。


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2 コメント

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寿町 (赤飯番長)
2021-11-04 05:49:05
酔華さん、こんにちわ。。。

30年位前、まだ東京に住んでて元町の衣料品店で
働いてた時、根岸で麻雀をやる事になり車で
寿町を通りかかったらドラム缶で焚き火を
してるホ-ムレス達が沢山居てビックリしました。
同乗していた地元の人が
誰かぶつかって来ても止まっちゃダメだよと
言われ、そんな凄い所なんだ?と思いましたよ。
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Unknown (管理人)
2021-11-05 10:23:30
>赤飯番長さん
以前、町内に光センターという視覚障害者の通所施設がありました。
ある日、そこに通う人が白杖を落としてしまい迷っていたら、
真っ先に駆けつけてくれたのが寿の住人だったという話を、
ご本人から聞いたことがあります。
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