青島留学老人日本生活記

留学後日本の生活記

旅行 敦煌3

2014年09月13日 | 娯楽

5日; 蘭州東駅 8:42 着

ここで 蘭州駅に入る順番待ちである。隣には北京から来た列車が

待機している。

一時間程待機して 10:00蘭州駅に入る。ホームの案内板を見ると

10:07発とある。 遅れた訳ではないようである。

同室のおばさんと別れの挨拶をして下車。

ホームには朝食販売の屋台が待っている。

 

蘭州は甘粛省の省都なので乗降客は多い。

 

蘭州駅 近すぎて看板が見えない。

 

敦煌行の列車は18:00発なので 約8時間の市内観光に出る。

先ずは駅構内から出て 手荷物を預ける。

リュック1個が一日10元である。

場所柄(西域が騒がしい) 駅に特別警察車両が待機、警戒している。

西域に来た実感が湧く!

身軽になり 地図を(5元)買い、いざ市内観光へ!

 

タクシーがなかなか捕まらない!

止む得ず三輪タクシーと価格交渉し(言い値は25元、)行先は白塔山公園

 

距離感も分らないので(取り敢えず20まで値切り)手を打つ。

この車で繁華街を抜けて行く、

信号無視、歩道走行、あり!

 

黄河の畔 中山橋に15分程で10:30到着; 

おじさんの了解を得て乗車記念写真をぱちり。

 

中山橋を渡ると白塔山公園がある。

 

 午前中 体力の有る内に この山を登ります。

 

黄河を渡る!

 

 

このあたり 水量は有る、しかし名前の通り 水は濁って黄土高原の

色である。

歩道橋を渡ると白塔山公園の入口がある。

嬉しい事に入園料は無し 無料開放である。

 

 案内図に従って登って行く。

 

 

 振り返ると 蘭州市内のビル群; 真下に中山橋;

遠方に霞む山脈は午後観光予定の五泉山公園、蘭山

 

白塔に 11:25到着

残念な事に改装工事中

 

 

 

 公園内の植木の根本は少し掘っている、 水を逃がさないようにしている。

乾燥地帯で 少雨対策を取っている。

 

白塔から 西の稜線に蘭州碑林があり、折角なので見学に向かう。

 

途中の山林にスプリンクラーで散水している。

 

12:10 碑林到着 比較的新しい建造物である。入園料は記帳だけで

無料である。

 

 

地元出身の学者だが 案内板が読めない!

近辺の石碑の複製を展示している。

 

ここからケーブルで一気に下り黄河を渡る。

下り 25元

 

黄河でモターボート遊覧をしている。

 

ロープウエイの駅ビルに蘭州ラーメンを提供するレストランがあり

食事をしながら黄河見物が出来る。

12:50 昼食を摂る。

 

本場の蘭州ラーメン 包子4ヶ 合計27元

大連留学時代、大連で食べた蘭州ラーメンが口に合わず 以来

ずーと食べてなかったが 本場のラーメンはマーマーの味だった。

 

次は五泉山公園である。

 タクシーで行くのが手っ取り早いのだが なかなか捕まらない!

地元らしき通行人に近くのバス停を尋ね 歩くがバス停が良くわからない

そうこう してたら タクシーを捕まえることが出来 約5分 11元で

13:40到着

 

 入園料は無し 一般市民に開放している。

奥の山頂まで公園で 更に 蘭山公園に続いている。

 

 

シルクロード所縁の将軍 ”霍去病”

 

経歴

衛青の姉、衛少児の子。同じく衛青の姉であり、霍去病の伯母にあたる衛子夫が武帝に寵愛される戻太子を生んで皇后に立てられたため、親族にあたる霍去病も武帝の覚えが良く、寵愛されていた。また、漢王朝創立時からの功臣である陳平玄孫陳掌は霍去病の母と密通しており、霍去病の義父となった。

騎射に優れており、18歳で衛青に従って匈奴征伐に赴いている。その後も何度も匈奴征伐に功績を挙げ、3万の首を上げ、紀元前121年驃騎将軍に、更に紀元前119年には匈奴の本拠地を撃破し、衛青と並んで大司馬とされた。大功と武帝の寵愛により権勢並ぶ物が無くなった霍去病だが、紀元前117年、わずか24歳で病死した。

霍去病と衛青は同時代に活躍し、血縁でもある事からよく比較される。衛青は少年時代に奴隷であった経験から人にへりくだり、常に下級兵士の事を考えていたと言われる。その一方で、霍去病は物心付いた時には既に一族は外戚であり、叔父が匈奴討伐に大功を上げていた。その事から叔父とは対照的に傲慢であり、兵士が飢えている時に自分たちは豪華な幕舎の下で宴会を開くような事をしていた。しかし意外にも、宮廷でも兵士の間でも、霍去病のほうが人気は上であった。衛青はへりくだりが度を過ぎて媚を売るような所があったらしく、また、霍去病の傲慢も頼もしい勇壮と見られていたようだ。武帝も自身の性格から、積極果敢な霍去病をより好んでいた。また衛青が李広の息子に殴られたことに憤慨し、李広の息子を殺した話も世間からは義侠の士として人気があったという。

息子の霍子侯は武帝封禅の儀において、武帝と唯一共にし泰山に登ったという。

 

とても山頂までは登れないので公園の入口付近を散歩し、アイスを食べ

ながら 木陰で休む。

五泉と言うが

案内板で 二つは見つける。

甘露泉と 恵泉;

何時も感じることだが 案内板に距離の表示が有ると大いに助かる

のだがーーーー

結局 距離感が掴めず 見学は諦める。

残りの3ヶも登山の途中に有るのだろう。

時間は十分にあるが、他の観光地に行くほどのゆとりは無く、

疲れが取れたので 駅まで散歩しながら街の様子を見学する。

途中市場で車内用の果物を買う,また 駅の構内に入る前にスーパーで

食料を買い込む。

 

少し早すぎたが 何時もの如く 切符、身分証、手荷物検査を受けて

軟臥車専用の待合室に入る。

 

 17:40 改札開始、1番ホームに停車中の列車を見て初めて”敦煌号”

と判る。

(敦煌線 2006年に敦煌線として延長される。)

車掌さんに聞いたところ 今年の7月10日から運行始めた特別列車

だそうである。

 

 青島大学国際学術センターで切符購入の際 服務員が気を利かして

押えてくれたのであろう。 実に嬉しい心配りである。

お蔭で 蘭州市内観光と一日一便の敦煌号に乗れる。

列車は牽引式でなく 新幹線式である。

 

乗車口に莫高窟 双飛天の図柄が迎えてくれる。

 

 

 

 軟臥車の廊下に敷かれてあるカーペットが新しい!

車内の設備

 

 

 

 

 

 トイレがなんと! 洋式だ!しかもトイレットペーパー着き!

 

18:00 定刻出発、 振動が殆ど無い 滑るように駅を離れる。

蘭州から 乾燥地帯に入る

山に樹木が無い!

 

同室のお客は 内モンゴルのフフホトから敦煌の観光に行く親子であり、

大学入学祝いの旅らしい、満州族と言ってたが綺麗な標準語を話すので

会話が弾む。

 

20時過ぎ ベッドに横になると爆睡で途中 駅に停車したのか?敦煌直行

か?判らず 車掌が切符の返却に来るまで気が付かない。

6:48敦煌駅到着 時差が二時間近く有り 未だ暗い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


旅行 敦煌2

2014年09月13日 | 旅行

 4日は 新幹線で済南まで行き ここで乌鲁木齐(ウルムチ)行の列車に

乗り換え蘭州で下車。更に敦煌行に乗り換えます。

 片道 2700Km

 

 行程の紹介;

青島発5:45---青島北駅 6:00---潍坊6:55--ー淄博 7:35--  

 章丘 8:00---  济南8:30 ここでウルムチ行きK列車に乗り換え 済南発9:20

――泰安10:10---兖州11:05--- 邹城11:30---  藤州12:00--

 棗庄12:35--- 徐州13:20(進行方向が変わる)-- 商丘15:20--

 開封16:50--- 鄭州(河南省都)17:45--- 洛陽19:25--- 三門峡21:05

霊宝 21:30--西安0:10 宝鶏2:10-- 天水?爆睡ーーー陇西6:00--定西7:15

ーーー5日; 蘭州10:00 着ここで下車。 列車はウルムチが終点である。同室の婦人は酒泉

まで行くと言っていた。

蘭州 18:00発 敦煌号――車中振動なく爆睡 途中停車したのか?不明 6日敦煌6:48着

 

帰路;

敦煌 9:31発 K列車西安行――瓜州10:45---酒泉15:05--张掖17:00--

金昌19:10--武威20:00---武南20:20---蘭州23:10---宝鶏7:00--

終点西安 9:40 (珍しく雨)  西安にて青島行K列車乗り換え 12:17発ーーー潼関14:20--

霊宝15:15---山門峡16:00―――洛陽17:55---鄭州19:35---許昌20:20

――この間爆睡 済南6:20---淄博7:36---潍坊8:50---高密9:40--

終着青島 11:18

 

 

新しく出来た青島北駅

 

 青島駅は行止まり駅なので構内が狭く 近くにダイヤ調整を兼ねた駅が

必要になる。

 

動車( 新幹線)二等座席

 

青島ー済南間は最高時速200K走行 因みに 北京ー上海最高時速300K

 

車窓より 山東省の田園風景 特に潍坊(ウエイファン)あたりは野菜の

産地で日本へも輸出している。

延々と続くビニールハウス!

是だけの面積に農薬をばら撒くとすればどれだけの量が必要なのか?

(そんな金が有るのだろうか?)

雨が降ると溶けて川に流れだし魚の大量死が新聞に載る。

 

約二時間半で済南駅に着きました。(K快速列車だと5時間以上掛ります)

 

反対のホームには雲南省昆明から来た列車が停まってます。

中国の長距離列車は言葉以上に長いです。

 

乗り換えるのに直接プラットホームへ移動は出来ない。

面倒でも 一旦駅の外に出て サイド切符、身分証を見せ 手荷物検査を

受けて構内に入らなければならない。

新装なる済南駅;

乗り換え時間は一時間なので 観光、食事も出来ず

写真の中央にある入口から入る。

 

ホームには勝手に行けません、行先毎に待合室が決められてます。

発車の15分前に改札が始まります、座席指定であっても、早めに

並んで人より先に乗りたい様です。

待合室の案内板; ウルムチは 烏魯木斉と音を充てた漢字を使う。

 

改札が始まりホームに上がります。

始発なので汽車は既に停車して、お客の乗り込みを待っている。

長距離列車は列車も長い! 16両繋いで一台の機関車が牽引して走る。

 

私達が乗る車両は 7号車;軟臥車(A寝台車)で食堂車の隣に接続で 

列車の中央にある。

軟臥車は1~2輌で 硬臥車が4輌~6輌接続している、それ以外は普通

座席である。 武漢~青島に帰るとき仕方なく普通座席で一夜を過ごして

帰ったがとても寝られる状態では無い!

 

軟臥車(A寝台車) 4人用の個室が9室あり 定員は36名

直ぐに売り切れるそうだ。

硬臥車は上、中、下の三段式のベッドが連なっている。汽車の旅は好き

だが、流石にこれは利用したことがない。したがって、価格差がどれくらい

有るかは知らない。

同室の客は 煙台から酒泉まで帰る おばさんであり、会話しながら

過ごすことが出来る。

済南から泰安、棗庄と南に下って来たが 徐州13:20で、機関車が着け

換えられて西に向きを変えて走る。 感覚的に戻ってるかの様だ。

 

西に向かい最初の駅 商丘 15:20

街並が見えてくる。

沿線の古い住居を撤去し再開発を進めている。

新築のアパート群;

 

因みに軟臥車のトイレ

綺麗な方である、

完全に穴開き  駅に停車中は使用禁止で鍵が掛る、

駅を離れると車掌が鍵を開ける

(要は線路上に垂れ流し、昔日本でもそうでした。)

 

16:50 北宋時代の都; 開封に到着、 何時かは ゆっくり訪れたい

町である。

 

 

 

17:45 鄭州到着

河南省の省都であり 乗降者は多い。

 

鄭州から 洛陽の 間に 落陽を見る事が出来た。

18:20

青島との時差は既に20分程有るようだ。

 

19:25 落陽到着

 

これから先 爆睡したため 山門峡、西安の写真は無い。

 

開けて5日;