いもりんのヒルズ的生活+貧乏昔話

教師から起業家へ。無一文の外国人夫との超ビンボーな暮しから脱出、奮闘の末つかんだ、ちょこリッチな生活をおバカ調で公開。

ママ友ゼロで子育てを乗り切りました:その1

2018年11月01日 20時48分16秒 | 国公立からニューリッチ(お受験・教育)

まもなく末子の義務教育が終わる。何より嬉しいのはPTAとサヨナラできることだ。
私はママ友を一人も持たなかった。もちろん会えば会釈をするし、会話も弾む。役員もたくさん引き受けた。でも相手の名前はもちろんのこと、子供さんの性別さえも絶対に覚えなかった。

なぜか?

○子供の個人情報を話したくない
○相手の子供に興味がない

この2点に尽きる。

性別を覚えないのはかなり重症で、長女が小5くらいの時に、男児の親に「今度泊りに来させていいからね」って言ったこともある。

PTAの本部役員の飲み会にも行かなかった(校長も教頭も参加したのに)。
この理由は、教員やっている友人たちが「PTAと飲みたくない」といつも言ってたからだけど。
  ※もちろん、その教員友グループの飲み会には必ず出る。

中学校の部活では、LINEに強制的に入れられた。私は業務上、SNSはできない。集中力が散漫になるから。
だけど、LINEの断り方って難しいんですね、
電話だと連絡者が大変だろうと渋々アプリを入れた。

いや論点はそこじゃない、なぜ中学生にもなって母親たちが連絡を取り合って、試合だのコーチの世話など焼かにゃいかんのだ、と納得いかなかったからだ。過保護過ぎない?
昭和の中学生なんか、親が車で送迎する時代じゃないから、家電しかない時代に、電車やバスで遭難しそうになりながら、大会会場までたどり着いたんだぞ、と思うのである。

続きます。

長女が上京してからは、3畳ロフト付きの、10畳の部屋が私の仕事場。


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