長徳寺

新潟県新発田市 長徳寺

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CHAGE and ASKA × ブッタ 「言葉は心に勝てない」

2013-12-23 12:23:50 | 山門法語

今年最後の山門法語は、チャゲ&飛鳥の「Say Yes」の歌詞から

言葉は心を越えない  

とても伝えたがるけど

    心に勝てない

     CHAGE and ASKA

言説に依らず        ブッタ

 

 今から20年前の大ヒットドラマ「101回目のプロポーズ」の主題「Say Yes」

チャゲ&飛鳥の大ヒット曲の一つです。

 

私たちは相手に気持ちを伝えるために「言葉」を使いますが、どんなに言葉を尽くしても、その人の「心」を越えることはできないと歌われます。

逆に、どんなに巧みな言葉を用いても、そこに心が入っていなければ、相手にその言葉は届かないことは、実は誰もが経験しているのかも知れません。

 

またブッタは「言説に依らず」と真理は言葉では説明しきれないと語ったと、これも今から役20年前、大学の仏教の授業で習ったことを思い出しました。

偶然にもドラマの主題歌と当時の大学の授業が20年後に私の中でつながりました。

 

 

<真理> いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。

「Say Yes」 http://www.youtube.com/watch?v=9D6cH0z2rSo

        リンクは偶然、クリスマスライブでした。

 

 因みに今年「101回目のプロポーズ」が映画化されていました!

http://www.101propose.jp/

 

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日本とスリランカの深い関係〈追記〉

2013-06-29 11:41:50 | 山門法語
前回の投稿の続きになりなりますが、
 
ジャヤワルダナ氏が演説にいたるには、スリランカ建国の父と言われるダルマパーラという方の存在がありました。
 ダルマパーラ
 
ダルマパーラは僧侶ですが、初来日した明治22年は、大日本国憲法が発布された年であり、日本の近代化を目の当たりにしたそうです。スリランカは他のアジア諸国と同様に西欧の植民地でしたので、日本がアジアの中で唯一の希望だったと語っています。この後、ダルマパーラは3度、来日しますが、この間に日本は大国ロシアとの戦争に打ち勝っていた事もダルマパーラに更なる希望を与え「日本人によってアジアはまさに死の淵から生還した」とも語ったそうです。

中国・朝鮮等も視察し、日本の植民地ではありましたが、あまりの発展ぶりに植民地を搾取の対象としか見ない欧米なら50年はかけることを2、3年でやり遂げていると言って日本に対する尊敬の念を隠さず、晩年は「今度生まれる時は日本に生まれたいと」よく話していたとのこと。

ダルマパーラは、スリランカで独立運動を続けますが、独立の日を見る事なく、昭和8年に69歳で亡くなってしまいます。

そんなダルマパーラと日本を見ていた少年がジャヤワルダナだったそうです。大正10年に当時、皇太子だった昭和天皇がヨーロッパに向かう際、巡洋艦でスリランカに立ち寄ったそうですが、15歳のジャヤワルダナはいつかスリランカも日本のようになりたいと尊敬の念をもって皇太子が乗る巡洋艦を一目見ようと港に向かったと言われています。
そのジャヤワルダナがスリランカの代表とり、日本を助けてくれたということは本当に感慨深いです。

日本とアジアの関係は戦中、戦後だけでなく明治初期から育まれ、少なくともスリランカからは尊敬の目を向けられていたという事実を、子供達には伝えていかなければならないと思います。
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スリランカと日本を繋ぐブッタの言葉

2013-06-27 11:41:46 | 山門法語

 

 

  怨みに報いるに

  怨みをもってしたならば

  ついに

  怨みの息(や)むことがない。

            ブッタ

 

お釈迦様の言葉をそのまま記録したと言われる『法句経』の一文です。

この言葉に「怨みをすててこそ息む。これは永遠の真理である」と続きます。

「報復」という言葉がありますが、お互いが報復を続けたならば、被害や苦しみが増すだけです。どこかで「怨み」を捨てて、手をとり合う事ができれば、新たな繋がりが生まれます。

 

かと言って、怒りに身を焦がされている間は、なかなか人を許すことはできないかも知れません。これは、個人々人の関係だけでなく、団体同士、国家間でも同じです。ニュースから「報復攻撃」という言葉が聞かれるのは決して珍しいことではありません。

 

しかし、国際社会でこのブッタの言葉を実践された国があります。それがスリランカです。

第2次世界大戦後に日本が国際社会に復帰したのは1951年9月8日に調印されたサンフランシスコ講和条約によってですが、この国際会議には、日本を独立国とせず4つに分割統治する案もあり、日本の行く末が不安定な状況であった9月6日、国際会議が行われているオペラハウスの壇上に上がったのはスリランカの代表、ジャヤワルダナ氏でした。

日本軍からの空襲により、一大産業の天然ゴムが壊滅的な被害を受けたスリランカですが、ジャヤワルダナ氏は、このように語られたそうです。

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スリランカは日本軍から大きな被害を受け、日本に損害賠償を求める権利を有する。しかし私たちの国は日本に対するこの権利の一切を放棄する。

ブッタは「憎しみは憎しみによっては止まず、ただ愛によってのみ止む」と説かれた。私たちはこの教えに従い、日本に対して賠償を求め、日本の自由を制限するのではなく、独立国として国際社会に復帰することを望む。

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 J・Pジャヤワルダナ氏

 

 

このジャヤワルダナ氏の演説が終わると、あまりの拍手の音で会場の窓のガラスが割れるのではないかという程であったと『サンフランシスコ・ニュース』は報じています。また『サンフランシスコ・エグザミナー』紙は「褐色のハンサムな外交官が、セイロン島よりやって来て世に忘れ去られようとしていた国家間の礼節と寛容を声高く説き、鋭い理論でソ連の策略を打ち破った」と書いたそうです。この演説によって会議の雰囲気が一変し、二日後の9月8日、サンブランシスコ講和条約は調印されました。

 

この後、何度も日本を訪れたジュアヤワルダナ氏は自分の死後、自身の角膜を「右目はスリランカ人に、左目は日本人に贈る」との遺言により、左目は日本に届けられたとのこと。

ドイツの様に分割統治される可能性があった日本をブッタの言葉を引いて、救ってくれたスリランカのことを忘れないでいたいと思います。

 

 

 

今週末(6月29日)、スリランカから日本にお嫁に来られたチャミラさんの講演会が新発田で開催されます。

スリランカを知るチャンスです。是非ご参加ください。

 

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『小さな恋の歌』モンゴル800

2012-12-23 17:40:23 | 山門法語

   ほら

   あなたにとって

   大事な人ほど

   すぐそばにいるの

      『小さな恋の歌』モンゴル800


12月の山門法語には。沖縄生まれの3人組のロックバンド、モンゴル800の『小さな恋の歌』の歌詞を掲示させてもらいました。

寒い日がつづく今の季節。皆さんは誰と過ごしていますか。


「ありがとう」の反対語は「当たり前」であると聞いたことがあります。私たちは、身近に誰かが居てくれること、それ自体が「ありがたい」ことなのに、慣れてしまうと「当たり前」と感じるようになってしまいます。


『小さな恋の歌』。当たり前のように、私のそばにいてくれる人、その人こそ、私にとって何ものにも代えがたい大事な人であると振り返らせてくれた歌詞の歌でした。

人々が集まるこれからの年末年始、大事な人を大事にしていきたいと思います。


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人間の打算は破算する

2012-11-12 15:31:37 | 山門法語

11月の山門法語

 

   人間の打算は

   破算する

       高光大船

 

人間は打算的に生きています。特に私はそうです。

私たちは常に損か得かを考え、計算し自らに有利になるように行動する。しかし、安価な電気を安全につくることを打算していた原子力の安全神話は破算しました。

真実を伴わない人間の打算は、いつか破産する。今日も破算すると思っても、つい打算的に生きてしまう自分を見つめさせてくれるくれる心に残った言葉でした。

 

 

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