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マーマレイドジャム日誌

好きなロックのことを日常を交え日誌のように好き勝手に書きたいと思います。

キース・リチャーズ Ⅱ

2007-01-29 18:18:25 | Weblog
キースのギターについて語る程、偉くも詳しい知識も無いんだけど、もう30年近く夢中になってる彼のギター。本来は、スライドで弾くときに使うような独特のチューニングオープンEやGで、ステージばえする腰の位置で低くギターを構える、必殺のスタイルを生み出した。よくキースを下手ウマなギタリストなどと書く雑誌を見かけるけど、ギターのウマさ、テクとは、どの辺で判断されるのだろう?正確なピキッグ、早弾き、ドリルなどの道具を使った独創的なソロ、どれもうまいと言うことなんだろうけど、キースのギターは、ボーカルを生かすためのバックであると思う。ミック・ジャガーという個性のつよい声をより輝かせるためプレーだと私は考える。キースほど3コードのR&Rにさまざま表現を加えられるギタリストはいない。ほんとに細かいニュアンスの気の利いたリフやコードワーク、曲をアレンジしベースを弾いてもカッコイイ。使用するギターも52~53年製のブロンドとナチュラルのテレキャスター有名だが、ツアーによっても様々なギターを持ってあるいている。最近は、ギブソンES355がお気に入りのようだが、かなり曲によってこだわるのは、ファンの間では、有名な話だ。ぜひライブで聴いてもらいたい。95年の来日のとき7曲めでレスポール・スタンダード・ヒストリックで弾かれたサティスファクションの衝撃はいまでも忘れられません。あとCDならロニーの弾く「ストリップット」のストリート・ファイティング・マンとキースの弾く「ライブ・リックス」バージョンを比べて下さい。キースの脳天に刺さるぶっ飛びさが、わかると思います。

キース・リチャーズ

2007-01-25 18:56:11 | Weblog
ローリング・ストーンズのギタリスト。十代の頃からのあこがれで、もう好きか嫌いかの次元だと判断できないくらい人生に影響のあった人。タバコの吸い方、酒の飲み方、ギターの弾き方(自分はそんなに弾けませんが)、仲間との接し方、歳をとる時の考え方、歩きかた、朝の起き方、音楽の趣向まで数え切れない。
ロックの聖人。ドラッグ中毒者、ストリキニーネで全身硬直、フェンダーツインヴィンテージアンプ、アンペグのクリスタルギター、テレキャスター53年型、室温は、いつも38度(ジャマイカ気温)、ウイングレスエンジェル、蛇革のブーツ、ES355ブラック、オープンE&G、テレキャスターカスタム、ミックの幼なじみ、ジャック・スパロウの父親、ブーツの中のナイフ、永遠のボヘミアン。
89年にLAコロシウムで初めてキースのギターの音を生で聴いたとき、この世で唯一無二のものだと感じた。キース・フリークのギタリストを国内外たくさんいるけど誰にも出せない音だと思った。

刺青の男のB面

2007-01-24 19:16:25 | Weblog
現在は、CDやMD、ipodなどで音楽を聴くのが主流なので曲順は、とばす事も並び変えることも簡単なのであまり重要ではないのかも知れない。昔はアナログ・レコードだったのでこのA面、B面の並びというのが結構重要でアーティスト達も趣向をこらしていた。私は、自他とも認めるストーンズ狂なのだが疲れた時、リラックスして酒を一人であおるとき、ローリング・ストーンズの「刺青の男」のB面をかけることが多い。81年にUSツアーにあわせるようにリリースされた作品だが、なぜA面では、ないか?ストーンズの当時の意向でA面は、アップテンポのR&R、そしてB面はミディアムテンポの曲にわけられる。たしかパーティで流すときに使い勝手がいいようになんてミックあたりが、言ってたような気がする。名曲「Start Me Up」で始まるA面だと血流が逆流し踊りたくなるので、とてもリラックスできるもんじゃない。とにかくこの刺青のB面は、いい。2003年の武道館で演った「Worried About You」で始まり、「Tops」、不思議なだだようようなミックのファルセットが響く「Heven」、けだるく歌うミックにキースのコーラスがかぶる「No Use In Crying」そしてPVのニューヨークの裏通りをぶらつくキースが最高にかっこいい「友を待つ」。なにをおいてもこの流れ、男がひとり部屋で聞くには文句のつけようが無い。

雨まじり寒い月曜日

2007-01-22 19:32:44 | Weblog
昨日の夜から小雨が降り、寒くまして月曜の朝なので憂鬱さMAXだった。こんな朝に気合いを入れる曲は、何だろう?車に乗ってるオアシス「ロックンロールスター」「リブ・フォーエバー」もいいけど、いまのストーンズだと「ラフジャスティス」、ピストルズは、まんまファースト「勝手にしやがれ」全部、プりテンダーズの「ミドル・オブ・ザ・ロード」も結構アップする、B-52sの「ラヴ・シャック」、エアロの「ロックス」、B`zの「ジュース」、フーの「マイ・ジェネレーション」、Jガイルズの「堕ちた天使」、ボスの「明日なき暴走」。でもまちがってもドアーズとニルヴァーナは、聴きません。会社休みそうになるから。

Nov30、2006 U2公演

2007-01-19 19:54:18 | Weblog
もう去年のことだが、U2のさいたまスーパーアリーナの公演は、本当にすごかった。自分的には、4月の日本公演延期もあるが、実話は、その前になけなし金をはたいて奥さん、仕事場を拝み倒してLAまでストーンズを観にいった2005年11月までさかのぼる。到着時間の違いでホテルから歩いて5分のステープル・センターでやってたU2のコンサートを見逃したのだ。現地のアメリカ人に聞いてもとてもグレートだったストーンズ以上かもよなんて言われたので、悔しくてどーしても観たくて日本公演が決まると狂喜してチケットをゲットしたのだが、メンバーの家族の病気で延期。待ち待ったというコンサートだった。それだけ気持ちがはいってたら悪いはずがないのだが、もう何よりも1曲め「City Of Blinding Lights」が最高だった。”時がたち年をとっても僕の中の少年を追い出すことはできないんだ”とボノが歌うくだりには、涙しました。照明もNYの街のきらめきのようで、正直この1曲だけでもういいOKという感じ。つづいた「Vertigo」「Elevetion」の流れもいまのU2がとんでもないバンドであることこれでもかと見せ付けるような演奏で、もうこれ以上は言葉もありません。中盤では、まさか演らないと思ってた「Miss Sarajevo」ボノの歌声にここでも涙がこぼれた。遠いアジアの端に住んでいて当時ピンとこなかったのも事実だったが、オシム監督の伝記を読んだとき、いかに隣人同志が民族の違いで紛争に巻き込まれたのか、読んだときこの歌もつ意味を少しだけ理解することができた。サラエボ公演で初演し、ツアーでもあまり歌われていなかったので驚いた。あれから2ヶ月たったので、もう少しまともに分析できるかなと思ったけど、やっぱりだめだわ。

ジェフ・ユナイテッド 背番号2 中西永輔

2007-01-17 19:31:44 | Weblog
勝手に私ごとだが、うちの長男は、内向的な性格で小学校入学当初、登校を嫌がることが多かった。まあプチ登校拒否で友達の輪なかに入るのを苦手とした少年だった。親としては、当然心配なのでカメを飼ったり、公園に連れていったりしたが、どれも効果は、いまいちだった。そのうち父の趣味もありよく市原臨海のジェフ市原の試合に親子で出かけた。96年頃は、開幕当初のJリーグバブルもはじけ、スタンドは、ゆったりと座れるかんじだった。スタンド裏では、観戦にあきた子供たちが誰かのもってきたボールでサッカーに興じたりしていた。彼も自然にそんな草サッカーの中にはいり、見ず知らず子達とも平気で馴染むようになっていった。そんな中、彼の生まれてはじめてのヒーローが、中西永輔選手だった。ゴールを決めた時のバク宙回転もすごいが、どんなに倒されても必死に相手にくいさがるDFとしての中西のプレーに感動以上の何かを感じたようだ。長男は、学校でも永輔にあこがれ休み時間も友達とのサッカーに夢中になった。登校拒否もいつのまにか無くなっていた。98年のWカップ・フランス大会のアルゼンチン戦は、永輔の活躍に誰よりも誇らしげに思って、応援しアビスパとの入れ替え戦では、自分や身内の事のように心配し市原臨海に駆けつけた。2003年の0円契約問題では、学校じゅうをまわって署名運動した。江尻選手の後を受けてのキャプテンは、3年連続のJ2降格争いに巻き込まれた時期で本当にチームの一番苦しい時代を支えた選手だった。ジェフの背番号2は、ただの番号じゃない。古いサポータにとっては、チームの誇りである。その証拠に横浜FMに移ってからも彼だけは、ジェフ・サポーターからブーイングをあびない。また今年もジェフの2番が心ないフロントに踏みにじられた。

JEF千葉悲劇再び~オヤジサポーターの嘆き

2007-01-15 19:12:00 | Weblog
13日、キャプテン阿部勇樹の浦和移籍に続いて、MF坂本(隊長)将貴が新潟に移籍する意思を固めたと報じられた。GK櫛野もレンタルだが、名古屋へ行く。MF山岸、FW巻、佐藤も契約を保留しているという。いったいどうなっているんだろう。JEFというクラブは、何年かに一回こうした主力大量流出をおこす。阿部は、自分の意思もあったので海外クラブでないのが寂しいが、理解できなくもない。しかし坂本は、契約更改時に「若手を使うから」と事実上の戦力外通告とも取れる方針を伝えられショックは受けたと言われている。この選手を使い捨てるようなフロントの体質は、いい加減に考え直して欲しい。2003年の中西永輔の時と変わらないじゃないか。永年クラブを支えてきた選手にクラブの経済状況を理由に0円契約にし、永輔のプライドをずたずたにしたのに、またも懲りずに繰り返す。経営は、選手じゃなくてフロントの責任ではないのか。当時の岡社長に猛烈な反感を持ったのを思い出す。クラブの宝だったオシム監督を代表監督にとられ、祖母井GMに去られ、主力が大量に出ていった責任は、いったい誰が負うのか?淀川社長、あなたではないのか?若手の未知数だけに来期をかけろというのか。いい加減してくれ。

ドアーズと地獄の黙示録

2007-01-11 18:43:55 | Weblog
ドアーズは、1967年1月に「ハートに火をつけて」というファーストアルバムにしておそろしい程の名作でデビューした。バンド結成は、ジム・モリソンが、レイ・マンザレクにヴェニスビーチで自作の「ムーンライトドライブ」を歌って聞かせたことから始まったと言われている。私は、そのころウルトラマンに夢中のガキだったので当時の日本での捉えられ方を知る由もないが、出会いは、衝撃的だった。
1980年2月に公開されたフランシス・コッポラ監督の映画「地獄の黙示録」この映画は、ベトナム戦争を舞台にしたもので、ジョゼフ・コンラッドの小説「闇の奥」をもとにしている。冒頭シーン、アメリカ軍の空軍へりが、ベトナムのジャングルをナパーム弾で焼き払い、すべてが炎と化す中、へりのローター音に重なるように流れるジム・モリソンの声、ドアーズの「ジ・エンド」。恐怖と戦慄と甘美な静粛をこれほど見事に表現した曲を現在でも知らない。今年で40年もたつというのにドアーズの曲の持つ世界観は、色褪せないしむしろ混沌とした現代により響くような気がする。1~2年前に、「地獄の黙示録」ディレクターズカットのDVDがでたが、削られてたシーンが足され難解だったストーリーもだいぶ整理された感じだった。それよりも増して画像が鮮明になり冒頭のシーンもより衝撃度が増したきがする。

八千代、雨の中の惜敗

2007-01-09 18:57:40 | Weblog
昨日の8日の行われ第85回全国高校サッカー選手権の決勝は、盛岡商の2-1の逆転勝利で幕を閉じた。後半1点を作陽にリードされて絶好の機会得たPKを2年生MF林選手は、左隅を狙いはずした。その数分後に左サイドからのクロスを見事にゴールしたのも林選手だった。地獄のような失望の後に天国のような歓喜、サッカーの真髄を見てるようなシーンだった。2日前八千代高校は、準決勝の盛岡商戦でロスタイムに同じ林選手のコーナーキックでGKオウンゴールとなり惜敗した。終了の笛とともにフィールドに崩れ落ちた八千代イレブン。サッカーの残酷さ感じたシーン。ひどい雨の中で互いの力を出し切った、すばらしい試合だった。

八千代 いざ国立へ

2007-01-05 19:12:07 | Weblog
第85回全国高校サッカー選手権大会で千葉代表の八千代が、丸岡を2-1で撃破しいよいよ国立へ。2007年初めから、なかなかいい感じである。MFの米倉恒貴選手は、JEF千葉に来るようだし、強力に応援したいと思います。2日前の1月3日、冬のおだやかな日差しの中3回戦の八千代 対 野洲 を市原臨海まで観にいきました。試合前、取り壊されたゴール裏のスタンドを見てチーム創設時からのJEFサポーターとしては、なんとも言えないさみしさにひたっていたのですが、試合が始まるとそんな事も忘れるくらいのゲームに釘づけになりました。本音を言うと去年の鹿実戦の野洲のサッカーに惚れ込み、野洲の攻撃的サッカーが見たくていったのですが、予想は、見事に裏切られました。野洲の日本代表、乾選手は、1ゴールあげたものの八千代DFに完全に抑えられ、成すすべも無く左サイドで孤立してました。一方、八千代は、今までのPK勝ちの鬱憤をはらすべき多彩な攻撃でまさかの4ゴールをあげました。10番米倉選手のDFをかわした見事なシュートを初め、11番山崎選手の切れ味抜群のシュート、途中出場ながら20番高橋選手の技ありゴール、もうやりたい放題でどっち優勝候補かわからないほどで試合終了のころは、すっかり八千代のサッカーに魅了されてました。ここまで来たら是非国立で決勝を、 観たいぞ。