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函館市とどほっけ村

法華宗の日持上人にまつわる伝説のムラ・椴法華。
目の前の太平洋からのメッセージです。

小話・大間原発

2012年10月16日 13時43分02秒 | えいこう語る
函館市の工藤市長が上京、関係各省や電力会社に大間原発再開中止の決闘状を叩き突きつけている。
それに対し、全国各地からの声援が函館市に押しよせ、オールジャパンでの戦が出来そうな戦況になっている。
函館市民としては、稀に見る気骨のある市長が出現したことで「市長頑張って」の黄色い声が巷にあふれかえっている気がする。
ちょいと気になるのは、市長は海のマチ出身らしく、言葉が少々荒っぽい。
国に対しても「支離滅裂だ」などの、ストレートすぎる発言が目立つ。
国から見れば函館の市長を、蝦夷が島の小さな集落の酋長のような感じでしか、見ていないだろう。
もし私が函館市長だったなら、ちょいと粋な会話で、国に一泡も二泡もふかしてやりたいものだ。
「枝野大臣、最近の原子力発電所の名前には“ふげん”そして“もんじゅ”ですが、大間原発は“おしゃか”というのはいかがでしょうか」


日本国憲法を考える

2012年10月15日 12時12分13秒 | えいこう語る
普段日本国憲法など、読むことはない。
でも憲法第九条だけは、日米安全保障条約の中で暮らす国民として、一番身近な存在で何度も読んでいる。
自分の住んでいるところに米軍の基地がある人たちなら、憲法の解釈と理解は、私たちより熟知しているに違いない。
オスプレイの強制配備は、沖縄県民は国家に人権を無視されている。
函館市民は大間原発建設再開で、沖縄と同じく国家に無視されている。
国家というものならまだしも「電源開発」という、水力や火力発電が専門で、原発建設は初めてだという一会社が、世界初のフルMOXという、実験も成功していない原発の建設を開始するというのは、随分なめられたものだ。
しかし我が国では、親分が国で子分が電源開発と言うことでもないようだ。
「建設再開は電源開発側にある」と政府はいうから、原発エネルギー問題は電力会社の言いなりのようだ。
以前、横綱の品格問題が騒がれた時、大相撲の親方がマスコミに向かい「朝青龍に怒られるぞ」といったのと、よく似ている。
国民が原発会社を怒らせると、節電はしなければならないし、料金の値上げまでされるのだ。
というところで、日本国憲法を考えてみた。
※ハーレー・ダビットソンがいる風景。


まずは、前文。
政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう・・・。
戦争は原爆投下で終了した。福島の原発事故はそれと同じではないか。
さらに、全世界の国民がひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する・・・福島県はいまだに16万人が戻れないでいる。
前文からこんな状況だ。あまりにも憲法違反が多いようなので、はしょってみる。
第3章の「国民の権利と義務」だ。
第11条。基本的人権は侵すこと出来ない権利として、現在及び将来の国民に与えられる。・・・そうなっているだろうか。
第12条。自由・権利の責任とその乱用の禁止である。・・・国民は必死で税金を支払っている。それを勝手に使い、世界一の借金国にまでした我が国の責任はどうなのか。
第13条。ここが最も肝心らしい。全ての国民は個人として尊重される。・・・沖縄県民や東日本の被災地の人々は、尊重されているのか。そして我々函館市民もだ。公共の福祉などは誰も違反していない。違反しているのは国ではないか。
早朝から血圧が上がっているようだ。
「憲法漫才」を思いついた。
「何が国民の権利だ、人権だ。オスプレイやプルトニウム、笑わせちゃいけないよ。憲法第九条を知っているのか、このボケ・ドジョウ。お前らは国民に対し喧嘩を売っているのか。オスプレイや原発による威嚇または武力の行使は、正義と秩序と平和を基調とする日本国民が選挙権を行使し、永久にお前らを放棄してやるぞ」
現在、大間原発建設反対訴訟が函館地裁に起こされている。
憲法第13条が争点らしいが、私は第九条を争点としたい。
大間原発は、プルトニウム239という、世界最大の猛毒兵器の「時限爆弾」なのだ。スイッチを入れたら、いつ爆発するかもしれないその恐怖に我々は脅え続けるのだ。
条文内の国際紛争を、国内紛争と置き換えてみる。
『国内紛争を解決する手段としては、永久に原発を放棄する』
こんな憲法解釈はいかがだろうか。


新聞・赤旗

2012年10月14日 11時38分41秒 | えいこう語る
昨日私の店に立ち寄ったのが、共産党函館市会議員のKさんだ。
市会議員にはあまり好きなタイプはいないが、Kさんとはどこであっても立ち話をする間柄だ。
しばらく逢っていなかったが、昨日は「新聞・赤旗」本社の記者を連れて入ってきた。
今函館で最も関心事の大間原発問題の取材で、函館ばかりでなく近隣自治体の住民の声も取材しているという。
ついに我が村にも赤旗の取材かと、ちょっぴりうれしさがこみ上げてくる。
今まで、北は稚内から南は熊本までの、新聞やテレビにはチラッと顔を出した私だが、赤旗は初めてだ。
もしかして、我が村の歴史始まって以来の事なのかもしれない。
大間原発については、函館市長が反対のこぶしを振り上げて以来、今まで読み漁った原発関係の本を読み返しながらノートに書き写し、まるで受験勉強のような勢いの私である。(でもまだ3日目だけど)
※お寺の門前の掲示板。


「少年老いやすく学なりがたし」という言葉を思い出す。
若い頃は、興味があちこちにあり、彷徨って勉強などする暇がないが、実はそれが人生を楽しくする。しかし、老いると行動範囲が狭くなるが、学ぶにはいい環境だ。
「少年老いやすく学なりがたし。老いて学びの楽しさを知る」。私はそう解釈する。
函館学検定、縄文検定を近年クリアーしている。どちらも中学入学程度だが、それでも試験日には、どきどきするのがなんとなく楽しい。
今は、原発学初級検定があるなら、受験しようという意気込みでいる。
そんな老人受験生のそばで、妻はテレビのボリュームを最大限に絞って、母親のごとく気を使ってくれている。
ただし心では喜んでいるのだ。チャンネル選択権が、その時間だけ妻に移譲されているからだ。
そんな時期に、赤旗本社の取材である。
とどほっけ村の歴史から市町村合併への経緯、町会の動きやこれからの原発反対運動への望むべき姿等、まるでワンマンショーだ。
近日中に、大間原発に怒りをぶち上げる(函館の漁師見習)の短いコメントが、掲載されるはずである。
都会に住んでいたら、赤旗などに載ることはなかっただろう。
田舎暮らしも、こんな時はいいものだと思う。


LED電球

2012年10月13日 12時12分44秒 | えいこう語る
LED電球は高価だが、省エネルギーで環境に良いとは聞いている。
函館市は省エネを促進するため、街灯のLED化に補助率を増やし支出している。
街灯を維持するのは町会なので、函館市町連でもその促進に力を入れている。
私の地域でも、徐々に取り替え始めているというのは、町会長である私は知っているが、実際どのくらい以前と違いがあるのか、まったく把握していない。
ところが最近、それを実感したのだ。
布団に入ると本を読むのが私の長年の習慣だ。
といっても、我がブログ仲間の“あかねさん”のような、熱心な読書家ではない。そうしなければ眠りに入れないからだ。
妻にいわせれば、お酒を多量に飲んでも本を開くそうだ。だが、開いた途端本を落とし、いびきをかくという。本はただの睡眠促進アイテムではないかといわれている。
でも、必ずといっていいほど本を開くのは、感心だといわれる。
小さな子供が、寝る前にお気に入りのぬいぐるみを抱くのと似て、幼児性を指摘されているようで、感心されるものではない。


前置きは長くなったが、布団に入った時の電気スタンドは、白熱電球を使用していた。今年の猛暑でその熱が気になり、なかなか寝付かれないのだ。それに急に文字がかすみだしたのだ。
視力が落ちたらしいので、眼鏡を購入した。すこぶる鮮明に見えるが、今の世の中だけは、相変わらずかすんだままだ。
獲物を探す猛禽類の目で、新聞のチラシの中から“省プラ(プライス)”を探す妻の勧めで、目にもいいし省エネだし、いつもより廉価というので、スタンドの白熱電球をLEDに換えた。
とたん、熱くはないし、眼鏡がなくともはっきりすっきりだ。
先日新聞をみて驚いたのは、函館が世界3大夜景から転落し、代わりに長崎が入っことだ。
子供の頃から信じていた世界3大夜景「函館・ナポリ・香港」。今や「長崎・モナコ・香港」だという。
判定内容に、長崎は観光施設の照明がLEDで、環境に配慮したことが評価されたとある。函館だって今努力中なのに。
長崎だって、白熱電球とLEDの“チャンポン”ではないかと、悪態の一つもつきたくなる。
今に見ておれ、大間原発を中止させLEDを普及させれば「長崎も三日天下さ」と、つぶやいてみた。
また話はそれたが、我が家の読書はおかげですこぶる快適になった。
LED電球は白熱電球より何倍も高価だが、目にはやさしいということは、照明が証明してくれたのだ。
でも、若い頃から酒好きの私は、電信柱に裸電球がぽつんと灯るほうが、男の哀愁や女の悲しみが漂い、なんだか泣けてくるようなそのあったかさが、好きなのだ。
古きよき時代の思いでも、省エネでかき消されてしまわないかとも心配する、秋の夜長である。


10・11函館市町会連合会

2012年10月12日 12時27分28秒 | えいこう語る
3・11以降、工事が中断されていた大間原発。
工事再開が発表されるやいなや、工藤函館市長は「完全凍結」の旗印を掲げ、政府と電源開発に真っ向からの勝負を挑む。
それに賛同する周辺の自治体もはせ参じ、道南地域一丸となる「津軽海峡の戦い」に挑む体制が整ったようだ。
参集した部隊は、函館市長を総大将とする、11自治体・10議会・8商工会・15漁協・5農協・5観光協会・5町会連合会のようだ。
初戦は10・15。敵の本陣に直接乗り込み「宣戦布告」を叩きつけるという。
その精鋭部隊、函館市長・函館市議会議長・函館商工会議所会・周辺自治体の首長・函館観光協会代表、後陣には函館市町連合会長だ。
187の町会長を率いる我が町連会長は、57歳の若大将だ。
気後れせずに“秀吉”のごとく、あの経産大臣の大きな耳朶をちぎる位の、戦意高揚を見せてほしいものだ。(私は時々過激な発言をするので、妻に手綱を引っ張られる性格だ)
昨日、午前中は町連の常任理事会、午後には理事会があった。私は常任理事(総務部長代理)なので、両方の会議に出席する。
上記10・5の戦闘部隊の顔ぶれは、その時会長から発表されたものだ。
宣戦布告時に若大将も上京する旨は、若大将が5人の副会長を召集し、賛同を得たという。
しかし、187の大部隊だ。
「それぞれの大将たちの思惑もあることだとし、常任理事会での了解と、さらには理事会での了承で、心を一つにしなければ戦に勝てない」との発言をした。
常任理事会では「反対はするが、国がやるというし、もはや遅いのではないか」との意見もでるが、市民の暮らしを守ることが基本の町内会、市長を支えて戦おうと、満場一致で採択した。次の理事会でも同様だった。
※函館は港に向かってたくさんの坂がある。ここは「幸坂」という。その昔、遊郭がこの付近にあったせいか。


常任理事会では、来年2月に行う町会長研修会が議題にあがる。
「今、市民の最大関心事は大間原発だ、各町会長の原発に対する意思を確認するため、みんなが発言できるそんな形式の研修会を」と提案をしてみた。
「大間原発問題という直接的テーマは、政治的で生々しい。安心安全なまちづくりという、ソフトなテーマにしたほうが」などの意見が出る。
私も会長としては若い。様々な活躍をして来た大先輩たちへの“口撃”は、やはり憚られる。ちょっぴりジョークも交えながら穏やかな発言。
結果、研修会の中身と運営は、私の所属する総務部に一任となった。
実は昨日の常任理事会では、大間原発問題がメインになると思い、3日ほど断酒し、原発関係の本を読み返していたのだ。
10,11の早朝、発言のまとめをしていたが、自分の意見を押し付ければ必ず反発が来て、後々それを引きずることになる。それは今まで多く経験してきたことだ。自己満足はいけない。そう思考えたら、気持ちをリラックスさせなければと気がついた。
朝から、マイケル、ムーア監督の「THE BIG ONE」のDVDを観る。
肩の荷が下りた。戦いの武器は「ユーモアのセンス」だ。「堅い木は脆い」のだ。
というわけで、昨日の戦いは、朝起きの弱い妻に代わり、マイケル・ムーア監督に手綱を引っ張られたのだった。