プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★気まぐれ二人旅~お好み焼き談義~

2009-05-18 15:10:22 | 日記・エッセイ・コラム

 今回の旅の楽しみの一つに、ご当地グルメとして、「広島のお好み焼き」があった。

 広島風お好み焼きとの出会いは、忘れもしない1988年の夏。当時、私は名古屋に単身赴任中だったが、職場の上司が広島出身で、部下に大阪出身者がおり、ある日、「広島風と関西風のどちらが美味いか」と議論になった。大の男が、お好み焼きを巡って口角泡を飛ばすのも大人げないが、お互いに譲らないので、食べ比べをしようということになった。

 私の社宅に職場の仲間が10数名集まり、お好み焼き対決をすることになった。二つのホットプレートを使い、全員で試食して判定するルールだったが、甲乙つけ難く、延長戦になった。酒の勢いも手伝い、何枚も焼くうちにヒートアップし、ブレーカーが飛び引き分けとなった。

 上司の説得力の巧みさもあって、私は以来、広島風お好み焼きのファンになった。金沢でも月に1回は広島風の店に足を運んでいるが、本場の味と見劣りしないと実感したので、これからさらに頻度を増すに違いない。


★気まぐれ二人旅③巌流島

2009-05-17 10:03:47 | 旅行記

095_131 宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘した島として有名な「巌流島」は、関門海峡に浮かぶ周囲1.6㎞の無人島だ。正式名は、「船島」で、下関市に属する。2003年のNHK大河ドラマ「武蔵」の放映に合わせて、公園として整備された。095_123 二人の出生・素性は、伝説めいているが、吉川栄治作「宮本武蔵」では、武蔵は岩国出身として描かれている。小次郎は、豊前説と越前説に分かれる。

095_135 島の名前は、小次郎の流儀「巌流」を採って命名したものだが、何故、決闘に敗れた方の名前が残ったのか解せない。関門海峡を通る船は、今もなお1日700隻を数える。潮風に吹かれながら、さまざまな国籍の船を見ていたら、400年前に二人が決闘した血生臭い所とは思えなくなった。095_133

巌流島へは、門司港と下関港(唐戸)から連絡船が出ている。 二人の銅像は、決闘の伝説にならってか、小次郎の像から4ヶ月後に、武蔵の像が建立されたそうだ。帰りの船を待つ間に、ライトアップする装置を見つけた。国土交通省管理と銘記してあったのには愕然とした。


★気まぐれ二人旅②門司レトロ

2009-05-16 10:08:04 | 旅行記

095_138  5月13日。広島から山陽新幹線で小倉へ移動し、在来線に乗り換えた。小倉駅から門司港駅まで10数分で着く。1914年に建てられた木造の駅舎は、全国で唯一国の重要文化財に指定されている。この駅を中心にしたエリアが「門司港レトロ」地域として、人気スポットになっている。095_141095_154_2 095_155_2 明治から大正にかけ、国際港湾都市として栄えた門司港だけに、数々の西洋建築物が 往時の繁栄を物語っている。095_170 095_151 定時になると開閉する「はね橋」は現在では珍しい。見どころは集中しており、異国情緒を味わうなら徒歩で巡るのがお勧めだ。40年ぶりの再訪だったが、余りにも景観が変わっていて初めての地を訪れた気がした。戦時中、全国から集められた農耕馬100万頭を軍馬として戦地に送ったのも門司港。095_162095_161_2  「門司港レトロ」の華やかさと隔絶し、ひっそりと建つ「出征軍馬の水飲み場」の碑の前で、雑草を刈るひとりの老人がいた。彼は、「出征兵士の記念碑は大切にされるが、軍馬を顧みる人はいないのが悔しい」と、奉仕活動の動機を噛みしめるように語った。


★気まぐれ二人旅①宮島・広島

2009-05-15 14:00:13 | 旅行記

095_003  海上に浮かぶ朱色の鳥居を見ただけで、「ハ、ハーン」と察しがつく程、特徴的な景観を呈する世界文化遺産「厳島神社」。妻が、初めてというので、広島駅で乗り換え、宮島口へと回った。095_029_2 095_031私は3回目だったが、世界遺産に登録されてからは初めて。その華麗さは20年前と変わらず平家の栄華を想像するだけで、飽き(≠安芸)なかった。下手な解説は無用だろうから、写真だけを紹介したい。 095_038 095_039さて、今回の二泊三日の旅は、「JR西日本パス」を利用したぶらり旅で、通常料金よりも断然お得だ。詳細は、http://www.jr-odekake.net/navi/nishipass/でご覧になれるが、5月8日から6月29日までの期間限定なので注意が必要。私達夫婦が利用したのは、「3日間グリーン車利用ひとり20,000円」のパス。

 「食」は、”広島のお好み焼き”と”門司の焼きカレー”、「観」は、原爆資料館と門司レトロ・巌流島、西本願寺だった。大まかな行程を決め、宿泊先と復路の列車だけを予約し、あとはその日任せの気まま旅とした。095_064 095_074 095_083 095_078 宮島から広島へ引き返し、原爆ドームへ。過去、数回、足を運んだが、資料館をゆっくり回ったことがなかったので、閉館まで見学した。

世界で唯一の被爆国日本がなぜ、広島、或いは長崎に国立追悼施設を建設しないのか今も分からない。熱心にメモを取る子供たちや外国人観光客が多く、時間をかけて学習している光景に救われた思いがした。


★隠れた百万石遺産~天徳院~

2009-05-08 09:56:22 | 日記・エッセイ・コラム

003_3 金沢を訪れる観光客が必ず訪れる名所と言えば、先ずは日本三名園の一つ兼六園。長町武家屋敷、東山茶屋街を回り、近江町市場で買い物をする。急ぎ足で回るツアーでも、この4か所だけは必見だ。

 しかし、兼六園からわずか1㎞ほどの距離にある「天徳院」を訪れる人は少ない。009三代藩主前田利常の正室 「珠姫」の菩提寺だが、外様大名が15代300年にわたって加賀百万石を維持出来たのも、珠姫との政略結婚抜きには考えられない。

珠姫は、徳川秀忠の二女で、前田利家の母「お松の方」(芳春院)と人質交換したもので、3歳で前田家に輿入れし14歳で結婚、8人の子を産み24歳の若さで亡くなった。創建当時は、4万坪の広大な敷地(兼六園3万坪)を誇ったが、焼失し、今は山門や庭園等に往時の面影を留めるのみだ。012

 大型連休中、天徳院を数年ぶりに訪れ、庭園を見ながら抹茶をいただいた。境内には観光客の姿も少なく、つつじと新緑が見事に調和し、静寂に包まれていた。金沢の歴史と文化のルーツは、天徳院抜きには語れないと思う。