プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★親姉妹のふれあい

2007-05-23 09:42:03 | 日記・エッセイ・コラム

Epsn0018  妻の母と二人の妹が金沢へ。わずか一泊二日の慌しい滞在だった。妻は、三人姉妹の長女で、次女は水戸、三女は前橋に住んでおり、全員が金沢で揃うのは初めてだった。Epsn0015_2

兼六園は、新緑に包まれ、曲水に沿って咲くカキツバタが見頃を迎えていた。平日だったが、外国人の団体客を何組も見かけた。かつては、金沢で外人を見かければ珍しかったものだが、小松空港の国際化で、中国・韓国に加え、台湾からの観光客が増え続けている。Epsn0034_2

義母は85歳だけに、長旅の疲れが出るのを心配していたが、本人が是非にというので実現した。結婚36年目にして初めての来遊だけに、ひときわ感慨深かった。私が10数回の転勤で落ち着かなかったこともあるが、随分、不義理をしたと悔やんでいただけに嬉しかった。Epsn0002_9

滞在中、私の身体を気遣い「健康の秘訣は、家に閉じこもらず、趣味を持つこと」と繰り返すので、笑いながら相槌を打っていた。が、「もう二度と来れないかも知れないから」との一言に、年甲斐も無く思わず胸に熱いものがこみ上げてきた。


★”ながら族”今昔

2007-05-21 09:26:05 | 日記・エッセイ・コラム

 ”ながら族”と聞くと、私はラジオを聴きながら何かをすることをイメージするが、今時の若者は違うようだ。”ながら族”という言葉自体、彼らには馴染まない位、複合動作が身に染み付いているふうにさえ感じる。

 奥入瀬&五能線の旅は、小松空港を発って羽田経由で青森空港というルートを辿ったが、その途中で目にしたのは、”ながら族”のさまがわり。機内から一歩出た途端、携帯メールをチェックしながら移動する乗客の多さ。自分の荷物が他人の身体に触れているのに気付かず、メールに夢中の中年のおじさんも。

 乗り継ぎを待つ間、飲食コーナーで友人とビールを飲みながら、片手は携帯の画面に釘付けの若者。どっちかにしろと言ってやりたいが、相手も”携帯ながら族”だけに、平気のご様子。コミニュケーションの形態は、時悠人には理解できない次元にさま変わりした。

 携帯電話を持たない生活に入って丸5年。あれば便利だと思ったことは何度かあるが、致命的な不便さを感じたことは一度も無い。便利さと豊かさを同次元で感じることが出来る人達が羨ましい。所詮、時悠人には無縁の世界だが、事故に巻き込まれるのは御免蒙りたい。


★メディアの幻想現象と影響

2007-05-20 09:22:30 | 日記・エッセイ・コラム

 高度情報化社会においては、限りなく透明性が進展すると同時に、氾濫する情報の価値を見極める能力が大切な要素。これは、情報の送り手の見識やモラルによるところが大だが、情報の受け手側にも真偽を見抜く能力が必要だ。

 1991年1月、国連の多国籍軍がイラクを空爆した際、我々は、お茶の間に居ながらにして戦争をリアルタイムで見た。2001年9月、アメリカの同時多発テロでは、旅客機がワールドセンタービルに激突する光景に釘付けになった。国内でも、たてこもり事件や交通事故、或いは、殺人事件の模様を毎日のようにテレビカメラで現地中継する。

 話題性と迅速性・正確性は報道の使命だが、反面、人心を惑わすマイナス効果を無視できない。マスコミ関係者は、興味本位ではなく、犯罪の凶暴性や残忍さ、或いは、事故の悲惨さをアピールすることで、事件・事故の抑止につながることを期待していると信じたい。だが、視覚に訴えるメディアは、当事者の想像を絶する影響力を持っていることも真摯に受け止めるべきだ。

 カメラは現実に起きている事象をとらえているのだが、テレビ画面を通すとバーチャルの世界のように錯覚する危険性がありはしないか。類似の凶悪事件がこうも起きると、犯罪者の心理異常だけではなく、メディアが創りだす”バーチャルとリアルの混同作用”に不安を感じる。


★不安が増幅する社会

2007-05-19 08:41:43 | 日記・エッセイ・コラム

 長久手市で、ろう城する元暴力団員に警察官が射殺された。先日、町田市でも立てこもり事件があったし、長崎市長が選挙前に射殺された事件も記憶に真新しい。

 幼児虐待や尊属殺人、ゴミ屋敷や騒音おばさん等々、日常茶飯事のように報道される。政治家の事務所費や活動費の乱脈経理、官僚の天下りと談合、社保庁や官僚の無駄遣いなども単にモラルの低下では済まされない。いずれも、「美しい国」とは程遠い。

 安倍総理は、自衛隊を自衛軍に置き換え、海外派兵を可能にすることに政治生命を賭している。首相の私的懇談会の顔ぶれをみれば、集団的自衛権の概念が変わるのは時間の問題だ。教育再生会議も同様だが、メンバー選定段階で、一定の方向が想定されているのが常だ。

 しかし、今の日本社会をみれば、国際協力以前に国内の治安・安全に注力すべきではないのか。国民が安心して生活出来る基盤の上での国際協力でなければ、本末転倒だ。国益を省益、或いは、一部政治家の野望に利用されたのでは堪らない。

 警察官や消防隊員、或いはレスキュー隊員等々、治安や安全を守る仕事に従事する人達の苦労を考えると、リスクに見合った処遇が保障されているのか。SATの23歳エリート隊員の死が痛々しい。


★バブル人気の正念場

2007-05-18 08:44:54 | 日記・エッセイ・コラム

 飛ぶ取り落とす勢いの宮崎県知事が県民に謝罪。理由は、「裏金」の発覚。知事就任時、「もう裏金は無いですね。あるなら徹底的に膿を出さないと恥の上塗りになる」と、宣言した手前、その後の対策が手ぬるかったと批判されてもやむを得ない。

 ところが、マスコミは隠していたセクションを責めるだけで、知事には好意的。実に得な御仁だ。確かに、彼が関与しているものではなかろう。だが、性善説で膿が一掃できるなら裏金問題なんぞは発生していない。自己申告の猶予期間を置いた後、調査委員会などを設ける姿勢が無かった点は甘いと言わざるを得ない。

 ともすると、商工観光部長としての活躍振りばかりが目立ち、本来の緊縮財政課題にメスが入らない印象が強い。宮崎県の注目度向上においては、大殊勲をあげた。レールを敷いたあとは、担当者任せで十分成果が期待できる。トップの仕事はそこで止めるべきだ。

 日本経済が2003年以降、年率2%前後の堅調な伸びを持続している中、政府に財布の紐を緩める姿勢が見られる。東国原知事には、大衆人気におぼれることなく、赤字自治体の範となる抜本的な策を示す正念場を迎えたと思うのだが。