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時悠人chosan流処世術

★視聴率という魔物

2006-07-11 09:06:03 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日10日のサッカー・ワールドカップ決勝戦「イタリア対フランス」の延長戦開始前までの平均視聴率が、11・6%だったとか。テレビ中継の時間帯(午前2:30~5:00)を考えると、凄い数値だ。6月12日夜に生中継された「日本対オーストラリア」戦の平均視聴率は49・0%。18日のクロアチア戦は52.7%だったという。

 一方、プロ野球の視聴率は、ゴールデン・タイムでも数%しか稼げず、3月21日のWBC決勝「日本対キューバ」戦でさえ、43・4%だったそうだから、サッカー人気の高さを見た気がする。

 ところが、この視聴率というのは極めていい加減なスケールで、調査母体と標本数等のカラクリを知ると、馬鹿らしくなる。テレビ局や企業スポンサーが視聴率一辺倒で視聴者の反応を測定するのは危険だ。ITツールが高度に発展した現代において、いまだに視聴率の高低によってスポンサー料を決める広告宣伝業界というのも原始的な社会だと思う。

 数年前、広告業界の最大手会社の役員にNTTグループ会社が開発したマーケティング・ツールを紹介した時、「画期的な評価測定方法だが、我々自身の首を絞めることになる」とのコメントが返って来た。そのとき、客観的な数字で解明されると困る世界なのだと実感した。それも道理で、広告宣言業界とは人間の信頼関係で成り立っている世界なのだ。だから、視聴率という気紛れで捉えようの無い魔物が説得力を持っているようだ。


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