プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★花見シーズン

2012-04-06 09:14:21 | 日記・エッセイ・コラム

 外国人の目に奇異に映ることの一つに、花見シーズンの「場所取り」がある。私も「何もそこまでしなくても」とか、「仕事は?」と思うが、周囲は概して鷹揚だ。

 あと何年、桜を見ることが出来るかと思うと、真っ先に、芭蕉の「さまざまの 事思い出す 桜かな」が思い浮かぶ。一茶の「さくらばな 何が不足で 散りいそぐ」は、楽しい宴の余韻が残るが、良寛の「散る桜 残る桜も 散る桜」となると、わが身に置き換えて人生の無常を感じる。

 さて、今年の花見は、去年の自粛ムードから一転して、馬鹿騒ぎが復活し、料理のデリバリーが繁盛しているとか。ストレス解消の一助と考えれば、さほど目くじら立てる程の事ではないが、何か虚しい。

 落語の枕に使われる「酒のない国へ行きたい二日酔い また三日目には戻りたくなる」は、”花より団子”党の心理を見事に表現した狂歌だが、やはり、むなしい。