プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★望外のよろこび

2007-06-18 09:25:09 | 日記・エッセイ・コラム

 世の中に「記念日」と名のつく日は、一体どれ位あるのだろう?今から15年位前になるが、某新聞のエッセー欄に原稿を依頼され調べたら1600前後だったが、現在の数は知らない。当時、企業広報を担当しており、毎月「19日」を「トークの日」と読み替え”トーク名画劇場”と題したイベントを開催していたので、記者がテーマに取り上げてくれたものだ。引き受けたものの、記念日の定義で悩んだことを記憶している。

 国民の祝日のように公的なものや、商業ベースに基づくもの等々、線の引き方により際限がない程、「○△記念日」が氾濫している。私的なアニバーサリーまで含めると、毎日が記念日になってしまい、記念日そのものの意味合いが希薄になる位だ。

 さて、昨日の「父の日」に贈り物をするかどうかを某メディアが事前調査した。「贈る予定」の人が27%で、「贈るつもりはない」人が圧倒的だった。数字的には、「母の日」と完全に逆転現象。「世のお父さん、何ももらえなくても落胆しないで下さい」のメッセージが余計、哀感を誘った。家庭における父親の存在感を象徴しているようで複雑な気分になる。Epsn0001_17

 夫たるものは、家族全員の生年月日や結婚記念日位は、正確に覚えておきたいものである。贈り物をするかどうかは二の次だ。心の中で、「今日は何の日」かを問い直し、かさばらない言葉の贈り物をするも良し、形にするも又、良しだ。昨夕、長時間にわたる町内の役員会から戻ると、長女から花籠(生花ブーケ)が届いていた。短い一言が添えられており、疲れが一気に吹き飛んだ。