電脳筆写『 心超臨界 』

人の心はいかなる限界にも閉じ込められるものではない
( ゲーテ )

日本は「もっとも後に滅ぶ社会主義国」になりかねない――堺屋太一さん

2008-01-06 | 04-歴史・文化・社会
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‘08ニッポン再設計――満足向上へ「内弁慶」排せ / 作家・堺屋太一
【「経済教室」08.01.04日経新聞(朝刊)】


官僚の倫理高めよ――夢実現へ改革未来志向で


日本は急速に衰えている。知価改革のうねりの中、中国やロシアですら改革を進めたが日本はできない。このままでは日本は「最後に滅ぶ社会主義国」になりかねない。「内弁慶」主義を脱し、荒廃した官僚の倫理を高め、夢と楽しみに満ちた社会を築く未来志向の改革が必要だ。


2000年代の10年は
「失う10年」に

10年前の1998年はじめ、私は90年代を「失われた10年」と表現した。しかし、2000年代の10年は「失う10年」になりそうだ。多くの面で、日本の社会体質がどんどん悪化しているからだ。

一世代前の1977年、現首相の尊父福田赳夫氏が総理大臣だったころ、日本の一人当たり国民総生産(GDP)は世界17位、いわば中ぐらい豊かな国だった。しかし、経済成長率は7.5%、世界経済を引っ張る機関車と頼られていた。実際、それから十数年、日本の成長は続き、93年には一人当たりGDPで人口百万人以上の国では世界一豊かな国になった。

90年ごろの日本は真に天国だった。円高でも輸出は伸び、財政は健全だった。東京証券取引所は現物取引で、大阪証券取引所は先物で、世界一の規模を誇っていた。東証には126社もの外国企業が上場していた。神戸や横浜は世界最大級のコンテナヤードだった。欧米でもアジアでも日本経済の講演会には大勢が集まった。モノもカネも情報も、日本に集まっていたのだ。

経済だけではない。そのころは、貧富の格差も小さかったし、地方の都市も賑(にぎ)やかだった。少年たちの基礎学力も世界最高クラスだったし、犯罪も少なかった。日本の建造物は完全と信じられていたし、官僚や大企業に対する信頼も強かった。


満足が幸せな
文明に立ち遅れ

「21世紀はアジアの世紀」といわれ、その中枢が日本であると信じられていた。

しかし、今は違う。06年の日本の一人当たりGDPは約3万4千ドル、95年のピークより7千7百ドルも減り、経済協力開発機構(OECD)内の順位も18位に後退した。今や日本は一世代前と同じ「中くらい豊かな国」に逆戻りしている。特に21世紀になってからの下落が著しい。

それだけではない。財政が悪化、地方は衰退し、東証・大証の国際的地位は大幅低下。東証上場の外国企業は30社弱に減り、大証の先物取引は15位、韓国の釜山よりはるかに小さい。コンテナヤードに至っては日本全部でも香港の半分、韓国の釜山や台湾の高雄にも及ばない。

中高生の学力の国際比較でも順位が下がっているし、建造物や工業製品の信頼度も揺らぎ出した。スポーツの記録でも、囲碁の国別対抗でも、相対的地位はどんどん下がっている。

何よりの心配は情報発信力の低下だ。過去25年間に日本語から英語に訳された書物は2千5百冊。ドイツ語の2万2千、フランス語の2万1千にはもちろん、ハンガリー語やデンマーク語よりも少ない。東京の外国人記者クラブは加入者が減る一方、情報発信力は著しく低下している。

60年代から80年代にかけて、日の出の勢いで成長発展して来た日本が、90年代に入るころから急に衰え出したのは何故(なぜ)か。

その第一は世界の変化、いわば人類文明の変質である。

19世紀以来、世界を蔽(おお)って来た近代工業社会をリードしたのは、物財の豊富なことが幸せだ、という信念である。それ故、近代人は、物財をより豊かにする技術革新や資源開発を歓び、より多くの物財を供給するやり方を合理的と讃(たた)えた。こうしたやり方の行き着く先は規格大量生産である。

第二次大戦後の日本は、これを徹底した。官僚主義・業界協調体制によって製品や施設の規格化を進め、過不足ない投資配分によって大量生産を達成した。強制入学制の画一教育によって全国民を規格大量生産向き人間に育てた。頭脳機能を東京一極に集中する有機型地域構造で、全国均一的な市場にした。戦後の日本は全力を規格大量生産の順位傾注したのだ。

その甲斐あって、日本は自動車や電機などの大量生産は世界一上手になり、大いに成長することができた。

ところが、80年代から文明が変わり出した。物財の豊かさが幸せという近代思想が疑われ出した。人間の本当の幸せは、物財の豊かさではなく、満足の大きさではないか、というのである。

この二つ、物財の豊かさと満足の大きさは、まったく別物だ。前者は客観的で普遍的だが、後者は主観的で社会的で可変的である。だからこそ、90年代以降の世界では、主観的な宗教が力を持つようになり、社会的に認められた知価ブランド商品が巷(ちまた)に溢(あふ)れ、非現実的なお伽(とぎ)話の映画や小説が大流行している。私の指摘した知価革命である。


民間経済界も
知価創造急げ

地球を吹き抜けた知価革命の風は、「科学的」を標榜(ひょうぼう)した社会主義を吹き飛ばした。80年代に改革をはじめた中国は、90年代に入って大発展をしている。90年代に社会主義を捨てたロシアは、21世紀に入って強力になり出した。

そんな中で改革が進まないのが日本だ。官僚主義の規格化と計画性で発展した日本は、かつて「最も成功した社会主義国」と揶揄(やゆ)されたが、このままでは「もっとも後に滅ぶ社会主義国」になりかねない。

今世紀に入ってからの日本の相対的衰退は著しい。その原因の第一は官僚倫理の退廃だろう。

年金記録の不明、建築確認作業の遅延、外交案件の放置、前事務次官の逮捕、警察の誤認逮捕など、07年には官僚の失敗が噴出した。これらに共通しているのは、「省益あって国益なし」といわれる官僚機構の仲間共同体化、罰則反省なしの無責任体制、国民の手間と不便を何とも思わない効率思想の欠如、そして幹部官僚の政治家回遊癖だ。

日本の官僚制度は規格大量生産の近代社会を創(つく)るためには有効に働いた。しかし、多様な知価創造が必要な知価社会では機能しない。

このため、個々の官僚の才能と善意にも拘(かかわ)らず、組織全体としては邪魔な存在になってしまった。日本を衰退傾向から救うためには、有能有志の官僚をプラスに働かせる倫理と制度の改革が必要である。

一方、民間経済界にも問題がある。「モノ造りの復活」の掛け声は悪くないが、これからの文明をリードする知価創造は一向に進まない。金融は預金金利実質ゼロに安住して知恵を絞らず、IT(情報技術)産業は外国で売れない「内弁慶化」が著しい。何より気になるのは、日本発の知価ブランドがほとんど生まれていないことだ。日本のブランドといえば相変わらず自動車や家電、光学機器などの大量生産ブランドである。

もう一つ、最も心配なのは、若者たちの無欲無気力だ。米英では、若者たちの望みは超一流の上流になるか、平凡な庶民で暮らす下流志願に分かれる。これに対して日本では、医師や中堅サラリーマンを目指す無難な中流志向が大半。最近は出世や栄転を拒む庶民派下流志願も増えている。

満足の大きさを幸せと考える知価社会なら、怠惰を好むのも安穏を望むのも本人の選択、必ずしも悪いとはいえない。だが、そんな方向への志願者が増えすぎるとすれば、世の中の心理環境を見直さねばなるまい。

知価社会での満足は、主観的であると同時に社会的でもある。この国が夢と楽しみに満ちた社会であり続けるためにも未来志向の改革を実現しなければならない。世俗の成功者を無邪気に讃える陽気さを取り戻したい。

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堺屋太一(さかいや・たいち)
35年生まれ。東京大卒、元経済企画庁長官
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