電脳筆写『 心超臨界 』

嫉妬のナイフは詳細を極めて研ぎ澄まされる
( ルース・レンデル )

こころのチキンスープ 《 それは合言葉――トラック運転手 》

2024-08-31 | 06-愛・家族・幸福
電脳筆写『心超臨界』へようこそ!
日本の歴史、伝統、文化を正しく学び次世代へつなぎたいと願っています。
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そのノートから少しずつ反芻学習することを日課にしています。
生涯学習にお付き合いいただき、ありがとうございます。

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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
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  与えたことを忘れられる人、受け取ったことを覚えていられる人は幸いである。
    エリザベス・ビベスコ


◆それは合言葉

「こころのチキンスープ 8」
( ジャック・キャンフィールド他、ダイヤモンド社、p59 )

私は父がトラックの運転手、母が秘書という共働きの家庭に育ったが、父とはあまり顔を合わせないまま大きくなってしまった。父は、朝は4時前に家を出、私が寝てしまった後に帰ってきたから。私の起きている時間のほとんどを、父は道路で過ごしていたことになる。

そして、私がやっと夜の9時過ぎまで起きていられる年になったときは、私はもう「父さんのちっちゃな娘」ではなく、ティーンエージャーになっていた。もはや、父と私は他人同士だった。私は父のことがわからなかったし、父も私のことをわかるはずがなかった。

極端に言えば、ある朝父が仕事に出て夜戻ってきたら、私は13歳になっていたとでもいうところか。ずっと後になってわかったのだが、父は、情緒不安定で生意気な口ばかりたたくティーンエージャーの女の子を、どう扱ったらいいか戸惑っていたらしい。父さんのちっちゃな娘は、いまや親をやりこめる恐ろしい娘になり変わっていた。

そんなある日、私は決して忘れられない教えを父から学ぶことになった。父はその夜も、ニューヨークかフィラデルフィアあたりまでトラックで荷物を運んで帰ってきて、その日の午後の出来事を話してくれたのだ。

父は高速道路を走っていると、路肩で女性ドライバーがスペアタイヤを取り出しているのを見つけた。トラックを止めて、女性に自己紹介し、パンクしたタイヤの交換を手伝った。その女性は、「おかげで助かりました。本当にありがとうございます」とお礼を言った。大都会では、あまりにも犯罪が多いので、困っている人を見ても誰も助けようとはしないという。父がタイヤを交換し終わり、道具を片づけていると、女性は感謝のしるしにと20ドル札を差し出した。

父は、にっこり笑って彼女に言った。「そんな必要はないよ。おれにも女房や娘がいるし、おまけに娘は運転免許を取ったばかりだ。おれの願いはただひとつ。女房や娘の車が道で故障したとき、誰か親切な人が車を止めて手を貸してくれることさ。おれがあんたにしたようにね」、そして父は別れを告げ、路肩に止めておいた大型トラックに戻ったという。

私は、父の知らない面を見たような気がした。これまで私は、ブルックリン生まれのイタリア系アメリカ人の父から、改まって何かを教わるなどということはなかったのだ。道路上のルールにしてもトラック運転手の生活にしても、トラック仲間との家族ぐるみのパーティーなどで、わいわいがやがや冗談まじりに話し合っていることから自然に学んできただけだった。仕事中に食事をとる場所や安全に眠れる場所についても、トラック運転手にとって「敬意」や「正直」や「きつい仕事」がどんな意味をもつかも、「ブルーカラー」の生き残り法についても……。

しかし、実はどれだけ多くのことを彼らから学んでいたかに気づいたのは、24歳になってからだった。そのころ私は、ニュージャージーの両親の家を出て、カンザス東部で働いていた。ある日私は、「母なる大地のため――アメリカを歩こう」という環境保護とリサイクル運動のキャンペーンに参加するため、ルームメイトの車で開催地のカンザス西部へ向かった。コースの半分ほど走ったところで、車の左後ろのタイヤがパンクした! 私は徐行しながら、車を高速道路の路肩に寄せて止めた。

それから深呼吸をして心を落ち着かせ、トランクからスペアタイヤとジャッキを取り出した。その横を、一台の大型トレーラーがものすごいスピードですっ飛ばしていく。ジャッキを取り付けていると、道路の反対側からブレーキのきしむ音が聞こえてきた。目を上げると、トラックから運転手が降りてきて、四車線の高速道路をこっちに向かって走ってくる。

運転手は、さっきの大型トレーラーから、手を貸してやってくれと無線で連絡を受けたのだという。彼は自分の名前を名乗り、私がどこまで行くか尋ねジャッキを私の手から取り上げた。20分のうちに、タイヤは無事交換され、ジャッキはもとのトランクに収まった。

彼は、この先にある自動車部品店に寄って、新しいタイヤを買うよう勧めてくれた。スペアタイヤでは、とても往復の距離は走れないそうだ。別れ際に、私はお礼にと20ドル札を差し出した。しかし、彼はにっこり笑うと、中西部訛でこう言った。

「おれにもあんたと同じ年頃の娘がいるんだよ。お礼なんかいらないさ。おれの願いはただひとつ。娘の車が道で故障したとき、誰かが車を止めて手を貸してくれることだ。ちょうどおれがあんたにしたようにね」

父が言ったのと同じせりふだ! 父のブルックリン訛が聞こえてくるような気がした。私はその運転手に、父から聞いたことを話した。彼はにっこり笑い。高速道路を渡りながら振り返って言った。

「あんたの父さんは、いいやつさ……道路の合い言葉を知っているからな」

私は、タイヤを交換するため自動車部品店に寄って、両親の家に電話した。この時間には、二人とも出勤してしまっていることはわかっていた。私は留守番電話に、トラックの運転手に助けてもらったことを吹き込み、最後にこうつけ加えた。「父さん、道路の合い言葉を知っててくれてありがとう!」

道路の合い言葉を知り、それを実行してくれている運転手の皆さん、ありがとう。トラック運転手のちっちゃな娘が、心からお礼を言います。とりわけ、カンザスで私を助けてくれた二人の男性に!

      ミッシェル・H・ビノーラ
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