電脳筆写『 心超臨界 』

限界も恐怖と同じでしばしば幻想なのである
( マイケル・ジョーダン )

日本史 古代編 《 民間出身の皇后の影響力――渡部昇一 》

2024-08-17 | 04-歴史・文化・社会
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そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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聖武天皇が皇太子であったころに、藤原不比等の三女、安宿媛(あすかべひめ)を夫人にし、十数年後に、同夫人を皇后とされた。これは前例のないことであり、宮廷でも異議があったとみえて、聖武天皇はわざわざ長い詔勅(しょうちょく)を出して弁明しておられるのであるが、これは光明皇后が、単に賢明にして仁慈な方であられたばかりでなく、女性としての魅力に富まれていたからであろう。俗な言葉で言えば、「夫人」という、今の概念では正妻以下の地位に置くことに我慢ならず、どうしても「皇后」という正妻の地位に昇進させたいと願われたのであろう。


『日本史から見た日本人 古代編』
( 渡部昇一、祥伝社 (2000/04)、p181 )
2章 上代――「日本らしさ」現出の時代
――“異質の文化”を排除しない伝統は、この時代に確立した
(4) 「カミ」と「ホトケ」の共存共栄

◆民間出身の皇后の影響力

ところで日本の人民出身の最初の皇后が、ヨーロッパ式に言えばセイント・コーミョーであったことは、日本の後宮の特質を象徴的に示しているように思われる。

皇后は古代には「おほきさき」と呼ばれていたが、律令時代以後は「皇后」と書き、その次に「妃」と「夫人」と「嬪(ひん)」を置いていた。日本の皇后は古代においては濃厚な血族結婚であり、皇后は、つねに皇族から出た。

ところが聖武天皇が皇太子であったころに、藤原不比等の三女、安宿媛(あすかべひめ)を夫人にし、十数年後に、同夫人を皇后とされた。

これは前例のないことであり、宮廷でも異議があったとみえて、聖武天皇はわざわざ長い詔勅(しょうちょく)を出して弁明しておられるのであるが、これは光明皇后が、単に賢明にして仁慈な方であられたばかりでなく、女性としての魅力に富まれていたからであろう。俗な言葉で言えば、「夫人」という、今の概念では正妻以下の地位に置くことに我慢ならず、どうしても「皇后」という正妻の地位に昇進させたいと願われたのであろう。民間出身の皇后は奈良朝にすでに現われていたのである。

そしてこの皇后が天皇に与えた精神的影響力には、ある意味では世界的な意味のある結果を生じた。つまり皇后のおすすめで聖武天皇は仏教を深く尊信せられ、国分寺、東大寺をお造りになったからである。日本の各国に七重(ななじゅう)の塔を持つ国分寺と国分尼寺をお建てになったのも大事業であるが、もっと驚くべきことは東大寺である。

そもそも聖武天皇が在位しておられた8世紀の前半に文化の光が射し、建築や彫刻の美が輝いていたのはバグダートに都したサラセン国、もう一つはインドのカノージ、つまり当時の曲女(きょくにょ)城を首府にしていた戒日(かいじつ)王朝(ターネースワル王朝)、もう一つは長安に都していた唐であり、その中でも、唐が最もその輝きが強かった。

そのときに当たって東の小さな島の天皇が、唐にも天竺(インド)にもない大寺院を造ろうと決心したのみならず、それを実現してみせたのである。当時としてはまことに世界的大事業であり、これには朝鮮やシナからのみならず、インドのバラモンやトルコ人まで参加したのである。この時の勧進僧(かんじんそう)となった行基(ぎょうき)が百済王の子孫であったというのも注目してよいであろう。
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