電脳筆写『 心超臨界 』

限界も恐怖と同じでしばしば幻想なのである
( マイケル・ジョーダン )

読む年表 古代~中世 《 『源氏物語』成立――渡部昇一 》

2024-09-21 | 04-歴史・文化・社会
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アメリカの代表的な日本学者であるドナルド・キーン氏は平安朝を「世界史上最高の文明」と絶賛した。紫式部は『源氏物語』を単にフィクションとして書いただけではない。この物語のなかで紫式部は主人公の光源氏を通じて、フィクションというものは人間の生き方を『日本書紀』より忠実に示していると言わせているのである。そして、そういう空想でつくり上げた物語の実用的価値も、非常に大きいと言っている。これは実に先進的な文学論である。


◆『源氏物語』成立

『読む年表 日本の歴史』
( 渡部昇一、ワック (2015/1/22)、p44 )

1001頃
『源氏物語』成立
「世界史上最高の文明」が生んだ傑作

『源氏物語』の作者の紫式部は、藤原道長(みちなが)の長女彰子(しょうし=一条天皇の皇后)に仕える女房(にょうぼう)であり、和泉(いずみ)式部も同僚であって、彰子の周囲には華麗な文芸サロンが形成されていた。

言うまでもないことだが、『源氏物語』は1001年頃に書かれた世界最古の小説で、しかも女性の手によるものである。

イタリアのボッカチオが書いた『デカメロン』(1348)、フランスのラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』(1532)、スペインのセルバンテス『ドン・キホーテ』(1605)などと比較しても、3百年から6百年も早いのである。

女流小説家として考えると、夏目漱石が『三四郎』で名前をあげたことで日本でも有名になったイギリスの女流小説家アフラ・ベーンの『オルノーコ』も、『源氏物語』から650年後のことだし、いまも通用する小説家としては、やはり漱石がほめた『高慢と偏見』で知られるイギリスのジェーン・オースティンがいるが、これは8百年後のことである。

オースティンより8百年も前に、彼女よりスケールが大きく洗練された女流作家が日本にいたことは一般の欧米人には信じられないことのようだ。

英国の黄金期といわれるヴィクトリア朝時代の道徳心が緩んで、自由主義的な雰囲気が高まっていた第一次大戦の前後に、インテリや芸術家たちによるブルームズベリー・グループという組織がロンドンに生じた。その仲間であったアーサー・ウェイリー(1889~1966)が『源氏物語』の英訳『The Tale of Genji』を出版したのはその当時のことだが(1921~33)、そのときブルームズベリー・グループが受けたショックは大きかった。

ブルームズ・ベリーのインテリたちは自分たちがいちばん進んだ文化人であり、男女のつきあいを含めて最も洗練された生活をしていると思っていた。ところが、『源氏物語』を読んでみると、およそ千年前の日本で、自分たちよりも洗練された細やかな情緒をたたえながら男女が自由につきあっているというので驚愕し、その絢爛たる世界に圧倒されたのである。

アメリカの代表的な日本学者であるドナルド・キーン氏は平安朝を「世界史上最高の文明」と絶賛した。20世紀の傑作であるマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』と並ぶ世界の二大小説と評価する声もある。

紫式部は『源氏物語』を単にフィクションとして書いただけではない。この物語のなかで紫式部は主人公の光源氏を通じて、フィクションというものは人間の生き方を『日本書紀』より忠実に示していると言わせているのである。そして、そういう空想でつくり上げた物語の実用的価値も、非常に大きいと言っている。これは実に先進的な文学論である。

われわれは古い物語の実用的価値といえば勧善懲悪を思い起こすが、紫式部が言っているのはそんなことではない。彼女が言うのは、小説によって人間性というものを描くことができるから価値があるのだということである。西欧の近代の文学論が、さも大発見のように言い出したことを、彼女はそれより9百年も前に言っているのである。

もし、わが国の平安朝文学に『源氏物語』しかなかったら、それは大天才の作品という特異現象とも言えたであろう。しかし、『源氏物語』は富士山の頂(いただき)であって、その裾野が広大なのである。清少納言の『枕草子』は女性の書いたエッセイとしてはやはり世界最古のものであろうし、そのエスプリは今日でも輝きを失っていない。そのほか、『伊勢物語』をはじめ、物語の類(たぐい)は数多くあるし、紫式部も和泉式部も日記を残している。女性の日記文学というのも、やはり日本の平安朝が最初であろう。そして宮廷人は同時に歌人としてすぐれていた人が多い。

平安時代は平和と安穏の3百年であった。武力という男性的原理を発揮する必要がなくなって、優れた感性、つまり女性的原理が尊ばれる時代となり、女性文化が花開いた。

男たちは武力を軽蔑し、せっせと女のところに通うばかりであった。『紫式部日記』によると、ある年末に盗賊が入ったが、宮中には警護の武者どころか、男は一人もいなかったという。当時の男性をだらしないと批判することもできるし、事実、だからこそ武士の時代に移ったとも言えるのだが、逆にそれほどの平和な時代を何百年も維持したのは藤原時代の男たちである。それは決して不名誉なことではなく、むしろ立派なものと言わなければならない。
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