電脳筆写『 心超臨界 』

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( ロバート・アンソニー )

パール判事の日本無罪論 《 同胞に石を投げるな――田中正明 》

2024-09-21 | 05-真相・背景・経緯
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「パール判事の日本無罪論」目次はこちら
https://tinyurl.com/467vckep


「これは敗戦の副産物ではないかと思う。すなわち一つの戦争の破壊があまりにも悲惨で、打撃が大きかったために、生活そのものに追われて思考の余地を失ったこと、一つにはアメリカの巧妙なる占領政策と、戦時宣伝、心理戦に災いされて、過去の一切があやまりであったという罪悪感に陥り、バックボーンを抜かれて無気力になってしまったことである」(パール判事)


09 同胞に石を投げるな

『パール判事の日本無罪論』
( 田中正明、小学館 (2001/10/5)、p206 )

当時、日本の新聞には、どうしたものかほんの数行をもって、「インド代表判事のみが、少数意見として全被告に無罪の判決を下し、異色あるところをみせた」程度の記事しかのらなかった。しかし、ヨーロッパ諸国においては、このパール判決がビッグ・ニュースとして紙面のトップを飾り、大々的にその内容が発表され、センセーションを巻き起こした。そしてフレンド派などのキリスト教団体や、国際法学者や平和主義者の間に非常な共感を呼び、これらの論争が紙面を賑わせた。

当時の日本の新聞や雑誌が、これを取り上げ得なかったのは、占領下の検閲制度によるものとしても、その後独立し、言論に自由すぎるほどの自由が与えられてからも、日本ではいっこうにこの問題が問題とならず、国際法まで無視した不公正なる判定を、そのまま鵜呑みにして、占領政策の宣伝を額面どおりに容認したまま今日にいたっているのは、いったいどうしたことだろうか。

裁いた側の英・米において、東京裁判の批判が盛んに行なわれたことは、一見奇異の感を抱かせるが、むしろこれは、彼らの批判精神が健全であることを意味するものであろう。ことに英国においては、法律学者や文化人の間に、激しい論争が戦わされただけでなく、その関心は一般市民にまで及んだ。たとえばロンドン・タイムズは1952年の6月から7月にかけて、実に約2カ月間、戦争裁判に関する論争を連載した。1952年といえば、すでにサンフランシスコにおける講和条約が締結され、日本の独立が認められた年である。言論の自由は回復され、東京裁判に対するどのような批判も探求も許された時代である。しかるに、日本のジャーナリズムはほとんどこれを取り上げようともせず、法律家も文化人と称する人びとも、むしろ裁判の結果を当然の帰結として受け入れ、あるいは死者に鞭(むち)打つごとく、いたずらに、過去の自分たちの指導者を責めることのみに急であった。

「われわれは失敗から学び、それを繰り返してはならぬが、後悔はなんの役にもたたぬのみか、無責任ですらある。なんとなれば、失敗を誇張する本人は生きていて、場合によっては儲(もう)けさえしているが、失敗だといわれる戦争の犠牲者は2百5、60万人もいる。彼らは祖国を信じて悔いなく死んでいった。悲しいことだが、自己の生命を捧げて悔いなきものをもつことこそ、生の最高の充実である。それに石を投げるような安易な利己主義者たちは恥ずべきである」(中山優『流れ』10巻8号5ページ)

自国の歴史を侮蔑(ぶべつ)し、他を責めることによって、自己の保身に汲々(きゅうきゅう)たる知識人がいかに多かったことか。

日本の独立は正式に認められながらも、当時まだ巣鴨プリズンには約8百名のBC級戦犯が幽閉されていた。その中には無実の犠牲者も少なくなかった。シベリアには“戦犯”という名において、幾十万という日本人が鉄鎖につながれ、重労働にあえいでいた。この人びとの99パーセントまでは、いったい戦犯の名に値するものであったろうか。中共治下においてもまた然りであった。これらの人びとの家族は、あの敗戦直後の廃墟(はいきょ)と窮乏の中で、どんなに耐えがたい屈辱と悲惨な生活を続けてきたことであろうか。

このいちばんの被害国である日本において、政治家も法律家も学者インテリもジャーナリストも、戦犯問題を真正面から取り上げようとはせず、むしろこれらの気の毒な同胞に、石を投げるような態度に終始していていたということは、今日から考えてみても、日本民族の恥辱であると思う。

ちょうどこの年(1952年)パール博士は再度日本を訪れたのであるが、この悲しむべき日本の事情を看取し、大阪の弁護士会館で、法律家を前に、つぎのように訴えた。

「わたくしが皆さんにお願いしたいのは、この国の国際軍事裁判で提示された問題をもっと研究し、真に国際法を守る法律家になっていただきたいことである。しかもその直接の被害者は日本人であり、日本国家である。それに、いまなお牢獄に、シベリアに、不公正な裁判の犠牲者として多くの同胞がつながれ、その家族は悲嘆にくれている。皆さんの兄弟や子供は、戦犯者としての烙印を押され、いわれなき罪悪にひしがれている。
 こうした中にあって、法律の番人であり、法律を守ることを職業として使命としている皆さんが、国際法の論争に無関心であるということは、わたくしには信ぜられないことである。どうかプライドをもって、堂々とこの論争の中に加わっていただきたい。法の真理を守る法律家になっていただきたい」

「日本とドイツに起きたこの二つの国際軍事裁判を、他の国の法律学者が、このように重大問題として真剣に取り上げているのに、肝心の日本において、これがいっこうに問題視されないということはどうしたことか。これは敗戦の副産物ではないかと思う。すなわち一つの戦争の破壊があまりにも悲惨で、打撃が大きかったために、生活そのものに追われて思考の余地を失ったこと、一つにはアメリカの巧妙なる占領政策と、戦時宣伝、心理戦に災いされて、過去の一切があやまりであったという罪悪感に陥り、バックボーンを抜かれて無気力になってしまったことである」

「日本は独立して、ふたたび国際社会の一員となった。今後アジアにおける信頼ある国家として非常な期待がかけられている。にもかかわらず、こういう世界の平和と運命に関連する大事な問題に対して、日本の法律家が無関心であるということは、なんとしても残念なことである。わたくしは日本の今後の国民生活、ことに精神生活の面において、東京裁判の内容とその影響というものが、非常に大きな作用をなすものと考えている」

「世界はいま動揺している。非常な混乱期である。一つの法律がその翌日には放棄されて顧みられないといった世相である。どうか、この混乱、動揺した世界情勢の中にあって、国際法の問題をもっと深く研究し、それに対する名判決を下されるようお願いしたい。少なくとも日本の青年をして、その方途をあやまらしめることなく、この世界の混乱動揺期に、一つの明確なる指針を与えてくださるよう心からお願いしたい」(拙著『平和の宣言』52~59ページ)

せつせつとして、博士が日本の法律家に訴えたこのことばは、そのまま、現在の時点においても十分傾聴に値しよう。
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