20年に及ぶブログ活動の集大成 → <a href=https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3d8eb22fad45ce7b19d6a60e8a70b7e7" target="_blank">★仏様の指
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■超拡散記事『石平氏の虚偽発言「帰化人第1世はやっぱり(選挙に)出ない方が良い』【「水間条項」国益最前線ブログ】
■超拡散記事『十倉経団連の「選択的夫婦別姓」は戸籍廃止を目論む中国政府の意向』【「水間条項」国益最前線ブログ】
■国内外に拡散宜しく『安倍晋三ファン必見10連発動画』
■超拡散記事『上限の無い特定技能外国人(移民)に認めるバス運転手・鉄道運転手に貴方の命を預けられますか!』
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他人や世界が認めなくても、富士は富士だ。最近の日本人は、ブランド名に頼りすぎる。もしかすると、そんな余計な「肩書」などない方が、日本人の愛する富士山を日本人自身の自覚と設計によって自由に保てるかもしれないくらいだ。喜ぶのは観光客が増えるだろうという地元の金儲けの計算だけで、富士の霊峰というイメージにとってはむしろ困りものかもしれない。
◆“お墨付き”好きが過ぎる日本人
(「曽野綾子の透明な歳月の光」産経新聞2013.05.08 )
2013年の5月初めのニュースは、富士山が「世界遺産」に登録されるという話題で独占された。テレビニュースもそればかりでもう見飽きたという感じになった。
私はこの制度の意味が未(いま)だによくわからない。こういうタイトルは、国連教育科学文化機構(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が決めるのだそうである。
その機関の条件に合い、県民が喜んでいるなら、それに反対を唱える理由は全くない。しかし私にとっては、そんなお墨付きがあろうがなかろうが、富士山は富士山だ。
私は始終、相模湾に面した土地で富士山を眺めている。この山は当然のことだが、水蒸気の少ない冬になると、いっそうはっきりとその壮麗な姿を見せる。夕刻は、その傍らに夕陽の沈む姿をみせる黄金の時間だ。あまりの壮麗さに、私は人生の死を想う。
現実には、その時刻は夕食の準備中で、てんぷらを揚げている時もある。てんぷらは油の温度が大切だから、ここで夕陽に心を奪われて、富士の落日を眺めに庭に出たりしてはならないのだが、私は半世紀に及ぶこの土地の生活の中で、ただの一日も同じ光景を見せたことのないこの偶然に出会うことのほうが大切で、てんぷらの火を消したりするのだから、私の料理好きも大したものではない。
他人や世界が認めなくても、富士は富士だ。最近の日本人は、ブランド名に頼りすぎる。もしかすると、そんな余計な「肩書」などない方が、日本人の愛する富士山を日本人自身の自覚と設計によって自由に保てるかもしれないくらいだ。喜ぶのは観光客が増えるだろうという地元の金儲けの計算だけで、富士の霊峰というイメージにとってはむしろ困りものかもしれない。
富士山も人生と同じように複雑な歴史を持つ山だ。戦争中、日本の多くの民間人を殺害する結果になることを知りつつ、東京や広島など多くの都市を空爆したアメリカの爆撃機の編隊が、日本上空でまず目標にしたのは雲の厚い日でもその上に頂上を出していた富士山であった。富士山は、戦時国際法(国際人道法の概念)を無視したアメリカの暴虐に加担した山であった。もちろん私は本気で山をせめているのではない。すべてこの世に存在するものは、善にも悪にも組み込まれてしまうことが普通だということだ。
有名なスポーツ選手が出ると、「県の名誉です」とか「僕まで肩身が広いです」などという。同じ県や町に生まれたからといって、「偉業をなし遂げたのでもない別人」に箔(はく)がつくということは全くない。こういう心理的便乗主義は、教育に悪いと教育者も言わないのは不思議である。
富士山が世界遺産に認められたからといって大騒ぎすることはない。それよりずっと地道に、この山のあるままの姿を保つ努力の方が大切だ。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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他人や世界が認めなくても、富士は富士だ。最近の日本人は、ブランド名に頼りすぎる。もしかすると、そんな余計な「肩書」などない方が、日本人の愛する富士山を日本人自身の自覚と設計によって自由に保てるかもしれないくらいだ。喜ぶのは観光客が増えるだろうという地元の金儲けの計算だけで、富士の霊峰というイメージにとってはむしろ困りものかもしれない。
◆“お墨付き”好きが過ぎる日本人
(「曽野綾子の透明な歳月の光」産経新聞2013.05.08 )
2013年の5月初めのニュースは、富士山が「世界遺産」に登録されるという話題で独占された。テレビニュースもそればかりでもう見飽きたという感じになった。
私はこの制度の意味が未(いま)だによくわからない。こういうタイトルは、国連教育科学文化機構(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)が決めるのだそうである。
その機関の条件に合い、県民が喜んでいるなら、それに反対を唱える理由は全くない。しかし私にとっては、そんなお墨付きがあろうがなかろうが、富士山は富士山だ。
私は始終、相模湾に面した土地で富士山を眺めている。この山は当然のことだが、水蒸気の少ない冬になると、いっそうはっきりとその壮麗な姿を見せる。夕刻は、その傍らに夕陽の沈む姿をみせる黄金の時間だ。あまりの壮麗さに、私は人生の死を想う。
現実には、その時刻は夕食の準備中で、てんぷらを揚げている時もある。てんぷらは油の温度が大切だから、ここで夕陽に心を奪われて、富士の落日を眺めに庭に出たりしてはならないのだが、私は半世紀に及ぶこの土地の生活の中で、ただの一日も同じ光景を見せたことのないこの偶然に出会うことのほうが大切で、てんぷらの火を消したりするのだから、私の料理好きも大したものではない。
他人や世界が認めなくても、富士は富士だ。最近の日本人は、ブランド名に頼りすぎる。もしかすると、そんな余計な「肩書」などない方が、日本人の愛する富士山を日本人自身の自覚と設計によって自由に保てるかもしれないくらいだ。喜ぶのは観光客が増えるだろうという地元の金儲けの計算だけで、富士の霊峰というイメージにとってはむしろ困りものかもしれない。
富士山も人生と同じように複雑な歴史を持つ山だ。戦争中、日本の多くの民間人を殺害する結果になることを知りつつ、東京や広島など多くの都市を空爆したアメリカの爆撃機の編隊が、日本上空でまず目標にしたのは雲の厚い日でもその上に頂上を出していた富士山であった。富士山は、戦時国際法(国際人道法の概念)を無視したアメリカの暴虐に加担した山であった。もちろん私は本気で山をせめているのではない。すべてこの世に存在するものは、善にも悪にも組み込まれてしまうことが普通だということだ。
有名なスポーツ選手が出ると、「県の名誉です」とか「僕まで肩身が広いです」などという。同じ県や町に生まれたからといって、「偉業をなし遂げたのでもない別人」に箔(はく)がつくということは全くない。こういう心理的便乗主義は、教育に悪いと教育者も言わないのは不思議である。
富士山が世界遺産に認められたからといって大騒ぎすることはない。それよりずっと地道に、この山のあるままの姿を保つ努力の方が大切だ。





