20年に及ぶブログ活動の集大成 → <a href=https://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/3d8eb22fad45ce7b19d6a60e8a70b7e7" target="_blank">★仏様の指
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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■緊急拡散宜しく『選択的夫婦別姓は戸籍廃止を策した反日勢力の亡国法案です』【「水間条項」国益最前線ブログ】
■超拡散記事『上限の無い特定技能外国人(移民)に認めるバス運転手・鉄道運転手に貴方の命を預けられますか!』
■国内外に拡散宜しく『安倍晋三ファン必見10連発動画』 54.8K
■安倍晋三総理 移民受入れ4連発動画 418.8K
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夏休みの宿題で日記を書かされるのですが、三浦朱門はずるい男で、ずーっと放っておいて最後の二日で全部書いてしまう。まず毎日の天気だけ人に写させてもらう。それから、パッと開けた頁の日記を書いては一度閉じて、またパット開いて書く(笑)。そういう悪知恵を働かせた日記が先生にホメられるんですって。よくできている、というので、みんなの前で読まされるわけです。そのとき、「三浦に比べて、お前のはなんだ」と叱られた男の子がいた。彼の日記は「8月1日 子守り」「8月2日 子守り」「8月3日 子守り」。それしか書かれていなかった。
◆子守りの男の子から受けた大きな“贈りもの”
『日本人の矜持―九人との対話』
( 藤原正彦、新潮社 (2007/07)、p70 )
《 曽野綾子(作家)》
【藤原】 たしかに、貧困はある意味で最大の教師で、戦後日本にはある時期まで貧困があったから、国を保てたともいえる。たとえば、他人の不幸に対する敏感さ、思いやりにしても、貧困が身近なものであれば、学校で教える必要は何ひとつない。私たちの子供の頃には、農村地域では学校に行きたくても野良仕事を手伝わなければいけない子供や、弟や妹が医者にかかれなくて死んでしまうといったことが珍しくありませんでした。そこまではいかなくとも、お腹すいたけど食べるものがない、なんて当たり前でしたからね。
【曽野】 私の夫の三浦朱門はよく子供時代の話をするのですが、彼が育ったのは東京の三多摩地域の農村でした。夏休みの宿題で日記を書かされるのですが、三浦朱門はずるい男で、ずーっと放っておいて最後の二日で全部書いてしまう。まず毎日の天気だけ人に写させてもらう。それから、最初から一日一日書いていったのでは、一気に書いたことが文章の調子でバレてしまうので、パッと開けた頁の日記を書いては一度閉じて、またパット開いて書く(笑)。そういう悪知恵を働かせた日記が先生にホメられるんですって。よくできている、というので、みんなの前で読まされるわけです。そのとき、「三浦に比べて、お前のはなんだ」と叱られた男の子がいた。彼の日記は「8月1日 子守り」「8月2日 子守り」「8月3日 子守り」。それしか書かれていなかった。その男の子は大きくなって、戦争で支那大陸に行って亡くなった。この話になると、三浦はやっぱり普通の声では話せない。自分が知的環境に恵まれたところに生まれて、いかに小ずるく暮らしてきたか、そのおぞましさを自覚させられるからでしょう。でもそれは、三浦が子守りの男の子から受けた大きな“贈りもの”なんです。
【藤原】 感動的な話ですね。私の小学校でも、給食費が払えなくて昼間の時間に砂場で遊んでいる子がいました。これはこたえますよ。その子も傷つくし、見ている子供たちも傷つく。食べ物のないような時代には、あえて子供に我慢力をつけさせる必要はないのです。だからと言って、昔に戻せというのは……。
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東京裁判史観の虚妄を打ち砕き誇りある日本を取り戻そう!
そう願う心が臨界質量を超えるとき、思いは実現する
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夏休みの宿題で日記を書かされるのですが、三浦朱門はずるい男で、ずーっと放っておいて最後の二日で全部書いてしまう。まず毎日の天気だけ人に写させてもらう。それから、パッと開けた頁の日記を書いては一度閉じて、またパット開いて書く(笑)。そういう悪知恵を働かせた日記が先生にホメられるんですって。よくできている、というので、みんなの前で読まされるわけです。そのとき、「三浦に比べて、お前のはなんだ」と叱られた男の子がいた。彼の日記は「8月1日 子守り」「8月2日 子守り」「8月3日 子守り」。それしか書かれていなかった。
◆子守りの男の子から受けた大きな“贈りもの”
『日本人の矜持―九人との対話』
( 藤原正彦、新潮社 (2007/07)、p70 )
《 曽野綾子(作家)》
【藤原】 たしかに、貧困はある意味で最大の教師で、戦後日本にはある時期まで貧困があったから、国を保てたともいえる。たとえば、他人の不幸に対する敏感さ、思いやりにしても、貧困が身近なものであれば、学校で教える必要は何ひとつない。私たちの子供の頃には、農村地域では学校に行きたくても野良仕事を手伝わなければいけない子供や、弟や妹が医者にかかれなくて死んでしまうといったことが珍しくありませんでした。そこまではいかなくとも、お腹すいたけど食べるものがない、なんて当たり前でしたからね。
【曽野】 私の夫の三浦朱門はよく子供時代の話をするのですが、彼が育ったのは東京の三多摩地域の農村でした。夏休みの宿題で日記を書かされるのですが、三浦朱門はずるい男で、ずーっと放っておいて最後の二日で全部書いてしまう。まず毎日の天気だけ人に写させてもらう。それから、最初から一日一日書いていったのでは、一気に書いたことが文章の調子でバレてしまうので、パッと開けた頁の日記を書いては一度閉じて、またパット開いて書く(笑)。そういう悪知恵を働かせた日記が先生にホメられるんですって。よくできている、というので、みんなの前で読まされるわけです。そのとき、「三浦に比べて、お前のはなんだ」と叱られた男の子がいた。彼の日記は「8月1日 子守り」「8月2日 子守り」「8月3日 子守り」。それしか書かれていなかった。その男の子は大きくなって、戦争で支那大陸に行って亡くなった。この話になると、三浦はやっぱり普通の声では話せない。自分が知的環境に恵まれたところに生まれて、いかに小ずるく暮らしてきたか、そのおぞましさを自覚させられるからでしょう。でもそれは、三浦が子守りの男の子から受けた大きな“贈りもの”なんです。
【藤原】 感動的な話ですね。私の小学校でも、給食費が払えなくて昼間の時間に砂場で遊んでいる子がいました。これはこたえますよ。その子も傷つくし、見ている子供たちも傷つく。食べ物のないような時代には、あえて子供に我慢力をつけさせる必要はないのです。だからと言って、昔に戻せというのは……。





