電脳筆写『 心超臨界 』

嫉妬のナイフは詳細を極めて研ぎ澄まされる
( ルース・レンデル )

般若心経 《 エゴイズムと信心とを錯覚していないか――松原泰道 》

2024-08-31 | 03-自己・信念・努力
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病床で病気平癒を念ずるのも同じです。自分の病気全快だけにかかりはてていた自分の心の狭さに、必ず気づくはずです。一所懸命に念じつづけたおかげで、その過ちにきづかせてもらったのですから、これもご利益の一つです。すると、いわゆる“同病相憐れむ”という思いやりと情緒が芽生えます。病気に限らず、一つの苦悩を体験すると、同じ苦悩を持つ者の心中が、自分のこととして観察できるようになるものです。それを「悲(いたむこころ)」といいます。


『わたしの般若心経』
( 松原泰道、祥伝社 (1991/07)、p315 )
10章 羯諦羯諦(ぎゃていぎゃてい)……仏の真言――心経から何が得られるか
(2) 般若心経の功徳

◆エゴイズムと信心とを錯覚していないか

受験期ともなると、私どもの寺へも志望校に入学できるようにと、母子づれでお参りに来るのを見受けます。めでたくパスすると、また母子つれだって訪れます。私がその場に居合わせるときは、私はその母子を祝福しながらも必ずこう申します。

「入試にパスできたのは、本当のご利益への奨めです。ご利益の真実を学びたまえ、君が合格したということは、だれかが不合格であるからこそでしょう。君たちが両親と祝盃をあげるときに、今年も涙を呑んだ多くの未知の友のあることを思いましょう。君のしあわせは、君の努力だけではなく、数多くの失意の受験生のうえに乗っている事実を偲びましょう。

すると、謙虚と思いやりの心情と、将来へ努力を誓う情熱が生まれるでしょう。この心情と情熱が自覚できるのが、真実の信心のたまものです――」

神仏に祈るということは、けっして恥ずかしいことではありません。自分の力の限界を知ればこそで、自信過剰の傲慢な性格の人には、とても理解できないでしょう。

塙保己一の信心の縁も、かつて彼の鍼(はり)の師だった雨富検校(あめとみけんぎょう)の、「世に名を残すほどの事業をするには、神仏の加護なくては不可能だ」との教えによるものです。宮本武蔵の言う“神仏を信じて(神仏に)甘え”ないところに、迷信と一線が画せますし、向上心も養われる道理です。

しかし、このような信心の高い意味は、一挙に得られはしません。物ごとには順序があります。信心も、素朴な“病気平癒(へいゆ)・災難に遇わぬように・家内安全・商売繁盛”を神仏に祈る縁が、スタートになります。私も同じく、そのように祈念をします。こうした、いわゆる現世利益を求める祈念は、正しい信心にいたるための貴重な縁になるのですから、心こめて祈願するのがいいのです。

この祈願を続けていくうちに、先に受験生に私が話したように、「利己心を信心と呼んでいるのではないか――」と気づきたいのです。商売繁盛祈願も、要するにわが店・わが社についてであって、同業者全体の幸福を願っているのではないでしょう。このエゴイズムを信心と錯覚しているのではないかと思い当たったら、一級上の信心に昇進したわけです。すなわち手と手をつないで、仏教用語でいう「一切に及ぼす」思いやり・いたわりの心情が、しだいに身につくようになります。

病床で病気平癒を念ずるのも同じです。自分の病気全快だけにかかりはてていた自分の心の狭さに、必ず気づくはずです。一所懸命に念じつづけたおかげで、その過ちにきづかせてもらったのですから、これもご利益の一つです。すると、いわゆる“同病相憐れむ”という思いやりと情緒が芽生えます。病気に限らず、一つの苦悩を体験すると、同じ苦悩を持つ者の心中が、自分のこととして観察できるようになるものです。それを「悲(いたむこころ)」といいます。
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