電脳筆写『 心超臨界 』

知識の泉の水を飲む者もいれば、ただうがいする者もいる
( ロバート・アンソニー )

規制を嫌う通貨は自由な口座取引が許されるところに逃れ滞留する――田中直毅さん

2008-01-18 | 04-歴史・文化・社会
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[21世紀と文明――多元化する世界と日本]経済評論家・田中直毅
  [1] 国家とは公人とは
  [2] 一国モデルの幻想
  [3] 主権国家を超えて
  [4] 自己統治と日本
  [5] 自己統治の世界化
  [6] 原子力と日本
  [7] 新興国と世界秩序
  [8] 新たな挑戦と日本


[3] 主権国家を超えて
【「やさしい経済学」08.01.17日経新聞(朝刊)】

第二次大戦後の経済史は、主権国家とこの枠を超えようとするものとの対抗として描くことができる。通貨をめぐる経済政策の変遷は、明らかにその中心に位置する。

大戦直後は米国の生産力とその購買力の象徴であったドルが世界を圧した。しかし1960年代に入るころには、米国で海外勢が資金調達を急げば金利が上昇するという因果関係が目立つようになり、主権国家米国の内部に、海外からの米国資本市場へのアクセスを制限すべきとの主張が生まれることになる。

規制を嫌う通貨は自由な口座取引が許されるところに逃れ滞留する。ドル紙幣の半ば以上が米国以外で使われるという歴史的展開に伴い、米国の金融政策が米国経済の内部のみに焦点を当てて行われてよいわけではないとの認識が広まる。米国を離れたドルと米国内のドルとの距離感が、やがて文明史の展開軸の位置につく。この非居住者が保有するドルの発生に始まる主権国家と自由を求めるカネの流れとの間の相克のなかで、ついに主権国家の方が自由なカネの流れを前提として受け入れたうえで自らの守備範囲を制限する方向に転じたのである。

米国が70年代、政経両面で指導力を低下させ、ドルの価値が下落するおそれが募ると、西独のシュミット首相はEMS(欧州通貨制度)を通じた欧州の自律性確保をねらった。西欧の通貨間の変動幅を圧縮し、いわば船を数珠つなぎにしてドル変動の影響を回避しようとする策である。79年のEMS結成から20年後の共通通貨ユーロの創設と、国際通貨の多元化に至る道が用意されたといえよう。

ユーロの創設の過程で主権国家の内側の問題とされた金融と財政の枠組みが主権国家を離れることになった。価値保蔵という機能をもたらされる共通通貨の受容とは、金融と財政に関する主権の放棄につながらざるをえなかった。各国の物価の加重平均との関係で金利が決まり財政収支の不均衡についての厳しい枠組みが設定されたとき、欧州連合(EU)諸国では景気刺激のための金融と財政の組み合わせという概念が消えた。そして同時に、国家の債務の重みで経済が不活性化する道筋も封じ込んだのである。

バブル崩壊後の日本では、不況ならば歳出増と金融面からの刺激という提言が経済学者から相次いだ。前提は主権国家の内部におけるマクロ経済の総合的な運営という「神学」であった。結果として文明史の読み誤りであった。

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