電脳筆写『 心超臨界 』

人の心はいかなる限界にも閉じ込められるものではない
( ゲーテ )

米国の歴史的な規範性を根底のところで覆す可能性を秘める――温暖化ガスの排出問題

2008-01-22 | 04-歴史・文化・社会
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[21世紀と文明――多元化する世界と日本]経済評論家・田中直毅
  [1] 国家とは公人とは
  [2] 一国モデルの幻想
  [3] 主権国家を超えて
  [4] 自己統治と日本
  [5] 自己統治の世界化
  [6] 原子力と日本
  [7] 新興国と世界秩序
  [8] 新たな挑戦と日本


[5] 自己統治の世界化
【「やさしい経済学」08.01.21日経新聞(朝刊)】

自己統治の基本概念は旧世界(宗教的抑圧に代表される権力的秩序)から離脱して新大陸(人口希薄な北米の処女地)を目指した開拓者が統治者と非統治者の同一性を自覚したところに始まる。建国の理念が語られる前に、自らが自らを治めることの意味を問わざるをえなかったのだ。こうした状況のもつ原理性と、そこで自己練磨の積み重ねゆえに、新大陸での民主主義はその後の世界的な影響力の発信源となってきた。

民主主義の浸透が特徴となった20世紀は、国際社会への関与を強めた米国の歴史と深く重なりあう。共産主義の軛(くびき)から開放された東欧諸国は当然として、抗米救国戦争に勝利を収めたベトナムでも、米国の民主主義に対する敬愛の念が強いのは、その歴史的な自己統治の原理性によるものといえよう。

こうした米国の歴史的な規範性を根底のところで覆す可能性を秘めるに至ったのが温暖化ガスの排出問題である。温暖化の原因が人為性にあることがほぼ検証されるに至る過程で、排出抑制への米国の抵抗が強烈だったことは明白である。米国を舞台にした産業化の挑戦こそが、米国の文明そのものであったことを考えれば、価値観の多元化を促す排出規制は、米国を内側から支えてきた人々にとって容易には受け入れ難かった。

従来、環境問題は地域が抱える課題として提起されてきた。大気、土壌、河川の異常に即座に反応したのは地域の住民であった。国家も環境規制の枠組みを用意するに至るが、より厳しい規制に踏み出す自治体もあった。日本で規制を強化したのは、大都市圏のいわゆる革新自治体であり、企業も環境対策の透明性の向上に努めるべく住民(自治体)と協定を結んだ。

ところが温暖化の影響は地球規模で、かつ例外なしに押し寄せる。自己統治が人類にとって住民、地域、主権国家を超える普遍的な課題として問われるに至ったのである。文明とは人為にほかならない。人類の偉大な歩みの跡が文明史だと受け止めてきたわれわれは、この人為性が自らの将来を損なうという多元性を秘めた命題を提示されるに至り、根源的なところで自問を迫られた。排出量取引などの手法は抑制・改善という側面では有効性を論ずることもできようが、要請される低炭素社会構築というより抜本的な点では、有効性は検証されまい。環境税についても同様であろう。われわれの前にはまったく異なった挑戦が待ち受けていると覚悟すべきだ。

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