電脳筆写『 心超臨界 』

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環境が人間の産物なのである
( ベンジャミン・ディズレーリ )

不都合な真実 《 立花隆氏よ 議論の土俵に出てこい――渡部昇一 》

2024-04-11 | 05-真相・背景・経緯
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立花氏は一貫して検察側のマウスピース、代弁者だった。検察側の主張を立花氏の言葉で繰り返すことに終始した。私は、証人として出廷したコーチャンなどに対する田中角栄の反対尋問が裁判所に却下されたことを重視し、裁判の公正性に疑義があることを主張した。それはそうだろう。刑事被告人はすべての証人に十分に反対尋問をすることができる、と明確に憲法に定められているのだ。裁判における反対尋問は憲法が保障する特別重大な人権なのである。それを裁判所が却下する。こんなでたらめはない。


◆立花隆氏よ 議論の土俵に出てこい

連載第181回 歴史の教訓――渡部昇一・上智大学名誉教授
『致知』2012年2月号、p104 )

最後に、いささか私的めくが、これだけはどうしても言わなければならないことを述べる。

最近、ある出版社の編集者と話をしていて、立花隆氏がその著作の中で私のことを書いているのを知った。示されたページを読んで驚いた。私が立花氏との議論に負け、尻尾(しっぽ)を巻いて引き下がった、と書いているのである。ことの経緯はこうである。

のちにテレビキャスターに転じた筑紫哲也氏が編集長を務めていた『朝日ジャーナル』を舞台にして、ロッキード裁判について立花氏と私は議論を展開した。この議論はロッキード裁判の第一審からその後にかけて、『朝日ジャーナル』に長く掲載された。

立花氏は一貫して検察側のマウスピース、代弁者だった。検察側の主張を立花氏の言葉で繰り返すことに終始した。

私は、証人として出廷したコーチャンなどに対する田中角栄の反対尋問が裁判所に却下されたことを重視し、裁判の公正性に疑義があることを主張した。それはそうだろう。刑事被告人はすべての証人に十分に反対尋問をすることができる、と明確に憲法に定められているのだ。裁判における反対尋問は憲法が保障する特別重大な人権なのである。それを裁判所が却下する。こんなでたらめはない。国際法にも何にも拠(よ)らずに行なわれたあの目茶苦茶(めちゃくちゃ)な東京裁判でさえ、反対尋問は認められているのである。

田中角栄有罪を前提として、法の牙城(がじょう)であるはずの裁判所が法を踏みにじっている。こんなことが許されるわけがない。ロッキード裁判は無効である。私のこの主張に、立花氏は話題をすり替えることに終始し、まともに答えることは一度もなかった。

そのうちに第一審は終わり、田中角栄は当然控訴して、舞台は第二審に移った。第二審が始まるのに、第一審について我われが議論を続けるのは滑稽(こっけい)である。控訴審の経過を確認した上で問題を整理し、再度議論の土俵に立とうということで、私は『朝日ジャーナル』誌上での立花氏との議論をいったん打ち切ることにした。

これが事実である。これがどうして私が議論に負け、尻尾を巻いて逃げ出したことになるのか。角栄が金を受け取ったかどうかは当人と、それを取り調べている検察側しか主張できない。第三者にはっきり分かるのは、明々白々の憲法の規定が裁判所によってなぜか蹂躙(じゅうりん)されていたことなのだ。

さらに言えば、こういうこともある。ジャーナリストの田原総一郎氏の歯切れのいい司会で人気がある「朝まで生テレビ」というテレビ番組がある。この番組がロッキード裁判を論じる企画を立て、立花氏にも出演を要請するが、出演してくれるか、と私に打診があった。私は喜んで出させてもらうと答えた。だが、立花氏はついに出てこなかった。逃げていたのはどっちだ、と言いたい。

以前、致知出版社から慶大教授の小林節(せつ)氏と私の対談で、『そろそろ憲法を変えてみようか』を出版した。小林氏とはその時が初対面であった。

「私は渡部先生を尊敬しています」

顔を合わせるなりいきなりそう言われ、私はどぎまぎしてしまった。聞いてみると、こういうことだった。

小林氏がまだ助手だった頃である。憲法の学会が開かれ、小林氏は先生に従って末席に連なった。やがて学会が終わって、先生たちはクラブに行って雑談になった。そこで立花氏と私の議論のことが話題になった。「裁判所が反対尋問を却下したのは憲法違反だ。ロッキード裁判は無効だ」という意見で一致し、素人であるが、私の主張が正しいというところに雑談は落ち着いた。すると一人の先生が言ったのである。

「しかし、問題が田中角栄だから黙っていようぜ」

角栄であれ何であれ法は公平でなければならない、と小林氏は怒りを禁じ得なかったという。もっとも助手の身分では、その怒りをぶつけることはできなかっただろうが。

いや、憲法の学者先生たち以上に私の主張の正しさを証明するものがある。ロッキード裁判の最高裁の判決文である。そこには、下級審が然(しか)るべき手続きを踏んでいない、と述べられているのだ。然るべき手続きを踏んでいないなら、裁判をやり直すのが当然ではないか。ただ角栄はその最高裁の言葉を聞くことなく亡くなった。

立花隆氏は「知の巨人」だそうである。ならば、自著で私が議論に負け逃げ出したなどと嘘(うそ)を言ってカッコをつけているようでは、名が廃(すた)るというものである。

テレビでもラジオでもなんでもいい。衆目の見るところで私はいつでも議論に応じる。立花氏よ、堂々と土俵に上がってきてほしい。
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