解剖学者ジョン・ハンターも、自らを評してこう語る。「私の精神は“ハチの巣”に似ている。騒がしく雑然としているように見えて、実は秩序と規則によってすみずみまで支配されている。そして不断の努力の結果、自然の宝庫から知識という食物が集められるのだ」 . . . 本文を読む
昔は、お店に何年かつとめて番頭さんになったら、やがてノレンをわけてもらって、独立して店を持ったものである。しかし、生産も販売もしだいに大規模になって、店の組織も会社になって、だからもうノレンわけなどというものはすっかり影をひそめてしまった。つまり、独立して店を持つということがむつかしくなって、会社の一員として終生そこで働くという形が多くなったのである。 . . . 本文を読む
どんなことがあろうと、事の大小は問いません。自分の知る、知らないとを問わない。すべての人生の出来事は偶然に生じたものじゃありません。アクシデントというものは、自己が知る、知らないとを問わず、必ず自己が蒔いた種に花が咲き、実がなったんです。 . . . 本文を読む
ふえき-りゅうこう【不易流行】 いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。蕉風俳諧(しょうふうはいかい)の理念の一つ。解釈には諸説ある。▽「不易」はいつまでも変わらないこと。「流行」は時代々々に応じて変化すること。[ goo辞書 ] . . . 本文を読む
私は『眼聴耳視(がんちょうじし)』という言葉をラジオで学びました。『眼(め)で聴き、耳で視(み)る』という、この不思議な言葉は、ある経文の一句であって、あらゆる事柄の本質を見透(す)かす心の姿勢を説いているというものであります。失明25年、音をたよりに生きてきた私にとって、この耳で視る、という一語は日常的な実感でありましたので、思わず共鳴し膝を打ちました。 . . . 本文を読む
井伊直弼は『茶道一会集』で、亭主は客の姿の見えなくなるまで見送る。そして再び炉辺に独坐して独服するのが、一会の極意だと教え、「このとき、寂寞として打語らうものとては釜一口のみにして、外に物なし。まことに自得せざれば到り難き境界(きょうがい)なり」と結ぶ。実に清寂そのままで胸奥にしみ通る思いだ。 . . . 本文を読む
筆写の経験を書いてみたい。わが師、安岡正篤との出会いは『世界の旅』という一冊の本であった。旧満洲国立建国大学の学生時代で、日曜の外出に本屋へ立寄り、何気なく手にとった本だったが、寮の自習室でそれを開いた時の驚愕と喜びは今でも、そのまま甦ってくる。「驚愕」というのは、あの日独伊枢軸同盟のナチス全盛時代に痛烈にヒトラーやムッソリーニを批判していることだった。 . . . 本文を読む
コロンブスが新大陸を発見してスペインに帰ると、朝野を挙げて熱狂して迎えた。ところが、あまりに評判が高いので、これに反感を持つ者もいた。ある日、数人の貴族富豪がコロンブスを招いて盛大な宴会を開いたが、みんな尊大で、傲慢で、コロンブスの評判のいいのがしゃくにさわっていた連中ばかりだったから、酒が回るとだんだん無礼なことをいい始めた。 . . . 本文を読む
ひらめきを与えるのは解答ではなく質問である ( ウジェーヌ・イヨネスコ ) It is not the answer that enlightens, but the question. ( Eugene Ionesco ) . . . 本文を読む