過去記事「コメントに関して」に初めてコメントをくださった旅人さんのお話を読んで、こんなことは二度とあってはならないと思い、願いを込めて記事にします。
(ここから)
僕は無宗教、彼女は一家総出で学会員。僕と付き合い子供を宿し、おろし、別れました。
重い重い業を背負いました。
僕の考えは、僕は未加入で、彼女は学会を続ければいいと。子供は成人して自分で宗教を決めればいいと。
それがお互いの歩みよりだと想っていました。
しかし、彼女の家の方では、それは上手くいかないと。
彼女の両親に逢いに行って結婚させて欲しいと言いましたが、
結局、学会の話をされ。
チョココさんの彼氏の両親の話、とてもわかります。
「お互いが同じ方向を向いていないと上手くいかない・・・」
同じ話されました。
そして、彼女もやはり一緒のものを信じて欲しいと、おろすことを決めてしまったのです。
>本当に、創価の問題で大切な人を無くしたり、
>傷ついたり、絶望してどうしようもなくなっている人がいるのが事実です。
>何年経ってもトラウマのまま生きてる人もいます。
みきさんの話、その通りなんです。
例え、「全ては私利私欲のためだった」と言われ解散しようと、ずっと傷は消えません。
ちょんさんの言葉
>本当に彼氏の事が好きならば、何もかも受け入れられるのでしょうか?私はそれほど彼氏を好きじゃないのでしょうか。。
このコメントを見たら涙が出てきました。苦しいですよね。
「好きじゃないのか」そんなことはありません。愛しているからこそ悩むんだと想いますよ。
僕らは、子供の命をも手に掛けた。
相談していた友達の中には、「お前らは最低だ」と言われたりもしました。
この事が無ければ、恋愛して、結婚して子供産んで・・・
そんな当たり前の幸福が欲しかっただけなんです。
入信しようが脱会しようが、確かに上手くいくところもあれば、
上手くいかないところもある。
最終的には、当人同士が決めていくもの。
だけど、悲しい想いはどうかないようにと願うだけです。
(ここまで)
私はこれを読んで言葉を失いました。
どこかまだ学会を甘く見ていた所があったようです。
命を差し置いて優先するものなど何がありますか、子を殺してまで得たい幸せとはなんですか。
この彼女さんのご両親は今頃、「あの時ああしておいてよかった」とでも思っているのでしょうか?
命を平気で見捨てるような人々に、人の幸せを祈る宗教だなんて言って欲しくないです。
二度と同じ命は戻ってこない、生まれてこない。
例え彼女がこの後何度出産したとて、失われた命は二度と戻らない。
一部の学会員が、などとは言わせません。
彼にも読んでもらい、聞きました。
もし私のお腹の中に子がいても、彼の両親は同じ事を言ったと思うかと。
いつも楽観的でこういう時必ず「そんな事ないと思うけど」と言いそうな彼が、そうは言いませんでした。
恐らく同じ事を言われるだろうと。
他人事ではないのです。
彼がはっきりと怒りをあらわにしました。
「学会に向かって、これは違うとはっきり言える、命より大事なものはない」
当たり前です。
他にも色々言っていましたが自分の頭が沸騰していたのでよく覚えていません。
旅人さんの元彼女さんを批難すると旅人さんに悲しい思いをさせてしまうかもしれないのであまり言いたくないですが、自分の愛する人との間にできた子を殺してまで欲しい幸せってなんだったのでしょうか。
自分の娘に中絶させてまで得たい幸せとはなんだったのでしょうか。
非学会員の恋人とのお付き合いで悩んでここに辿り付いた方、よく読んで欲しいと思います。
入会しなければ結婚しない、と言う事はこういう事なんです。
その延長線上にこういう悲劇が起きるという事を、私達はもっと自覚しなくてはならないと思います。
別世界の話ではないんです。
彼女さんが学会員である前に、母であるという事を自覚して欲しかった。
私がもし妊娠していて彼の家族に同じ事を言われ、彼に見捨てられたとしても、子を守るために失踪してでも逃げ回ります。
子を持つお母さん方ならもっとおわかりになると思います。
男がどう言おうと産む産まないは結局女が決める事です。
しかし女だけの責任だとは言いません、旅人さんの言葉の端々から感じる後悔の言葉から、しっかり責任を感じていらっしゃるのがわかります。
私にこの話をしてくださったという事は旅人さんは「命を守れなかった当事者」としてご自身を責めているだろうと思います。
学会への怒りよりもそれがとても伝わってきました。
そして私の彼に、彼女さんと同じ選択をしないようにと。
一部の学会員の事だとは思わないでください。
極端で、かつ矛盾を持つ、創価学会の教えが引き起こすんです。
子供ができたら別でしょう、とわかる学会員さん。
バリさんの「結婚するなら折伏を」「信心しなければ結婚を許さない」という指導の先に、こういった例があることは少し考えればわかるはずです。
どうして疑問を投げかけないのですか。
冷静になるために2日起きましたがやはり言葉がきつくなってしまいました。
私達のためにつらい過去を話してくださった旅人さんに感謝致します。
しっかり教訓として屈する事無く自分達の、自分達なりの幸せを守っていこうと思います。
ちょっと長くなります。
先にお詫びしてから、書きますね・・
今から10年ちかく前、僕は知り合いの女子部員から相談を受けました。
「学会員でない男性と結婚したい。最初は彼に、入信しなくても良いから、私の信仰は認めて・・と話したのですが、今、回りの人たちからそれではいけないと、説得され、だから彼を折伏したい」
という事でした。
僕自身の苦悩から時も余りたっておらず、すごく苦しみましたが、彼に会う事にしました。
僕は彼とは気が合い、打ち解けた雰囲気になりましたが、彼はやはり、信仰はしないといいます。
彼女の方は、その時、すでにお腹の子が4ヶ月で、抜き差しならぬ状況でした。
僕は、二人が何もはじめから信仰しなくても良いのではと思いました。
ですが、彼女の取り巻きや、彼女のお母さんはそれを許しませんでした。
二人が別れる事になったとき、それでも僕は「お腹の子には関係のない事・・この子はきちんと育てて欲しい」と彼女に伝えました。
同じ思いで、彼女を担当する女子部の本部長さんも一生懸命に説得してくれました。
というのは、創価学会では、もともとは子供をおろすのは、生命尊厳の立場から否定的だったのです。
彼女や母親は僕や女子部本部長の必死の説得にもかかわらず、県の中心会館で副会長の指導を受け、また、その頃の地区の婦人部幹部にも散々いわれ・・
結局は、5ヶ月でおろしてしまったのです。
5ヶ月といえば、もう、赤ちゃんの耳も鼻も出来ています。
僕は、辛くて、自分が世話になった学会草創の頃からの一粒種だった人に、その話を聞いてもらいました。
「学会幹部がなんていう指導をするようになったの!」
その方も泣きながら怒っておられました。
「入信しない相手とは結婚してはならない」そんな指導は学会指導のどこを探しても存在しません。
バカンブの好き勝手な放言の中にならあるかもしれません。
「入信しない人と縁が出来たら、自分で一生懸命に信心している姿を、見てもらえるチャンスです」
かつてはそう言われていたものでした。
件の女性は、その後、僕が勧める男性(自分の意志で入会された方で、冷静に学会を見詰めていける人です)と結婚し、今、可愛い男の子があります。
何故、この女性の結婚まで僕が世話したかというと、一人の女性の思いを踏みにじり、ひとつの命を消し去った学会バカンブへの、やるせない思いから・・ある意味では仕返し・・からです。
結婚した男性には全ての事を話し、彼は、その全てを飲み込んで、彼女を包み込んでくれました。
時々、自分が学会にいる事の不思議さを感じる事もあります。
悲しい事、悔しい事・・本当に多くなりました。
愚痴なんかではない・・命のそこからの悔しさというのかな・・
それが、今はブログを書かせるエネルギーになっているのかもしれませんが・・
自分たちの「正義」のために命を奪うこともいとわない。
それは私利私欲以外の何ものでもないのでは?
創価の人はこのような話を聞いても、きっと「一部の人が」とか言い出すに違いない。
一部とは何なのだろうか。
全体の8割でも一部に違いない。分割できれば、総意でなければ一部になってしまうとでも言うのだろうか。
「組織」が命を奪う
こういう事が世間では全く取り上げられない。
あぁ、そっか。創価、怖いもんね。そりゃぁ、ニュースにできないわなぁ・・・。ワはハはハ・・・
「一部の人」…学会員がよく言う使う言葉です。
もし、学会員が言うように、本当に創価学会が「皆を幸せにする宗教」(私は最初こう学会員に教えられました)なら、犯罪を犯す学会員や、旅人さんにふりかかった出来事は、「一部の人」でも絶対にありえへん事だし、「一部の人」で片付けてはいけない事だと思います。
創価学会という組織はこうゆう非情な学会員がいる事を認めませんよね。何にしても「事実、現実を認める事」を創価学会にまず理解してほしいものです・・
尊い生命を大切にする事は、人として最も重要な事ではないのでしょうか。
人として重要な事を疎かにしてまで自分の幸せを求めても、幸せにはなれない気がします。
kousanさんのお話、彼と一緒に読みました。
本当に悲しい、なんて冷酷な事件でしょう。
お腹に子がいて、しかし相手を信心させなければ結婚は駄目だ、と言う事の責任の重さ。
言った人間はきっと「自己責任だ」とでも言うのでしょうね。
取り巻きや母親はなんて酷い……彼女を追い詰める事によって、最悪の結果になることをどうして考えないのでしょうか。
よく考えればそうなんですよ、彼らはそうやって追い詰めて相手を入会させる目的でいますが、そうならなかった時の最悪の状況を、そしてその当事者がどんな目に遭うかまで考えが及んでいないんですよ。
子供を殺してでも得たい幸せって、それって何なんでしょうね。
命を軽視し、目的のために人を追い詰めるならばオウムとなんら変わらないです。
本当に深刻な問題だと思います。
女性は一度中絶したら二度と出産できない体になる人もいます。
そして殺した子は、その後何人産もうとも二度と戻ってこない。
日々ニュースで大きく取り上げられる悲惨な事件と同じくらい、これは恐ろしい事です。
「学会幹部がなんていう指導をするようになったの!」と言った方は、そう言っただけなのでしょうか。
どうしてもっと強く組織に訴え、この恐ろしい状況をなんとかしようとしないのかとても不思議です。
見て見ぬふりは同罪であると私は思います。
つらい思い出を話してくださってありがとうございます。
kousanがお話してくださった事で、一人でも多くの人がこの状況をわかってくれたらいいですね。
こうしてkousanが行動を起こしている事、とても意義のある事だと思います。
一人でも多くの、非学会員の恋人を持つ学会員さんの目に触れる事を願うばかりです。
話してくださって、本当にありがとうございました。
私も、どう言えばいいのかわからない怒りと悲しみを感じました。
私も間違っていると思います。
決してこんな事があってはならない、これ以降こんな決断をする人を増やして欲しくない、心からそう願います。
釈bookさんの言葉を彼に見せたら「本当その通りだ」と言っていました。
学会は「一部の」という言葉を使うのに、「必ず」幸せになれるとか、学会員は「絶対」犯罪を犯さない、と言うんですよね。
幸せになっていない人や犯罪を犯した人の話をするとすぐに「信心が足りない、上辺だけの信心」と。
折伏の際そうやって言うならば、潔く「一部の」だなんて言わずに認めるべきですよね。
自分達の目的のためには命を奪う事も仕方なしとするだなんて、世界平和を唱える組織だとはとても思えないですね。
釈bookさんのタイトル、寸鉄のパロディみたい(笑
こういった事こそ聖教新聞で厳しく調べて欲しいものです。
学会には「事実、現実を認める事」を本当、知ってもらいたいですね。
よい面ばかりを見て、全てを知ったつもりでいる事は恐ろしいと常々思います。
悪い事には用意された言い訳を述べて目を瞑る、そんな体制が招く悲劇は悔しいです。
教えの中には確かにその非常な学会員を生み出すシステムが含まれており、現実を認めない事によってそれが抑止できていない、そんな感じですね。
本当に悲しいお話です。
赤ん坊であろうと大人であろうと生命を大切にすることが最も重要な事ですね。
違いがあるわけもなく、勝手に失わせてはならないです。
adamp1さんの仰る通り、それを疎かにしてまで自分の幸せを求めるなど言語道断だと私も思います。