遅生の故玩館ブログ

中山道56番美江寺宿の古民家ミュージアム・故玩館(無料)です。徒然なる日々を、骨董、能楽、有機農業で語ります。

面白古文書『吾妻美屋稀』18.「青物盡奉公人請證文 」

2024年04月05日 | 面白古文書

面白古文書『吾妻美屋稀』の18回目です。

今回は、これまでのものとは大きく異なり、見立番付ではなく、野菜尽くしの年期奉公證文(パロディ)です。

 

青物盡奉公人請證文

   青物年季證文之事 
一 此せりと申女、出生ハみかん之國ちんびごほりゆうかうじ村、心松茸せう路成者ゆへ、かうたけきうり様へごぼうかう/\にさんせう仕候所実正也。然る上ハ、うどの三月より芋の三月迄、中年九ねんぽうとあい定め、請取ところてんじつしやうがなり。御取次としてくさつたきんかんたつた五つぼ。だんなめうとにして、二股大根三ッ葉/\に候へ共、ちよつ共そつ共、いも頭様へけし程もごまふりかけ申間鋪候。依而宗旨ハ代ゝ南無妙法れんそう浅草苔三枚くハへ山れんこん寺ぎんなん和尚ニ紛無御座候。青物一札、仍而如件。
  桃栗三年柿八月    奉公人 せり
      茄子ノ吉日  請人 竹の幸右衛門

    大根屋瓜右衛門様

心松茸せう路成者ゆへ<=>心まったく正路なるゆえ
ごほうかう・・ゴボウと御奉公を掛けた
さんせう・・山椒と参上を掛けた 
実正:まちがいないこと、正しいこと 
中年:江戸時代の年季奉公の数え方、正味の年数。
中年九年奉・・・正味9年間の奉公

 

一部に掛け言葉が使われています。意味不明の部分は、単なる言葉遊びでしょう。なんとなく、文意は取れると思います。

野菜(他の食べ物も)を漢字、カタカナに変えてみました。

一 此セリと申女、出生ハ蜜柑之國陳皮(珍美?)郡遊小路村、心松茸松露成者ゆへ香茸胡瓜様へ牛蒡かう/\に山椒仕候所実正也。然る上ハ、ウドの三月よりの三月迄、中年九年奉と相定め、請取トコロテンじつ生姜なり。御取次として腐った金柑たつた五つぼ。旦那夫婦にして、二股大根三ッ葉/\に候へ共、ちよつ共そつ共、芋頭様へ芥子程も胡麻ふりかけ申間鋪候(申すまじくそうろう)。依而(依って)宗旨ハ代ゝ南無妙法蓮草浅草苔三枚加え、山蓮根銀杏和尚ニ紛無御座候(紛れ無く御座そうろう)。青物一札、仍て如件(よってくだんのごとし)。
  桃栗三年八月    奉公人 せり
      茄子ノ吉日  請人 の幸右衛門

    大根右衛門様

野菜などが25,6種類出てきます。

まるで、野菜曼荼羅證文です。

野菜が主人公になったものといえば、伊藤若冲のあの絵が想い起こされます(極最近、若冲の野菜を描いた絵巻『果蔬図巻』が新たに発見され、大きな話題になりました)。

伊藤若冲『果蔬涅槃図』

この絵は、釈迦涅槃図のパロディではありますが、京都錦で野菜を扱う大棚の家督を早々に弟に譲り、絵の道一筋に生きてきた若冲にしてみれば、野菜たちに対して、特別の思い入れがあったことは想像に難くないでしょう。釈迦の代わりに横たわる二股大根を、多くの野菜たちが取り囲んでいます。その数は、80種以上にものぼると言われています。注目されるのは、それぞれの野菜が、存在感をもって描かれ、扱い方に軽重があまり感じられないことです。まさに、野菜曼荼羅の世界と言っていいでしょう。

今回の『吾妻美屋稀』「青物盡奉公人請證文」は、若冲の『果蔬涅槃図』から、ほぼ100年後に出された面白瓦版です。「奉公人請證文」の形をとった言葉の野菜曼荼羅と言えます。この瓦版が出された幕末期は、若冲の頃より、いろいろな野菜が一般の人々にずっと馴染み深くなっていたはずです。若冲の『果蔬涅槃図』では、野菜の描き方に軽重はあまりありません。今回の「青物盡奉公人請證文」では、「せり」が中心の文面ではありますが、青物たちはほぼ同格。それらが「奉公人請證文」のなかに散りばめられています。それは、一種のリズムを生み出すのではないでしょうか。他愛もない言葉遊びに過ぎない「請證文」文を、多くの人が面白がって声にだして読んだことでしょう。ひょっとしたら、抑揚や節をつけて調子よく唄い、さらに、手足も動かして、楽しんだのかも知れません。幕末のヒップホップですね。

 

 

コメント (7)
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